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15 Oct.2011
  Plitvička Jezera~Zadar~Šibenik~Trogir~Split


朝8時にプリトヴィツェを後にして、一路アドリア海沿岸の街へ向かいましたが、バスの車窓には、
昨日ほしかったのはこのお天気!という見事な青空が広がっていました。
のどかに見える内陸部の田園風景ですが、この辺りにはかって旧ユーゴ軍の軍事基地があり、
飛行演習などが行われていたそうです。
チトー大統領の4番目の夫人ヨヴァン・カー(ベオグラード在住)の出身地ペツァニ村も通過し、
政治へも、否応なく、思いを向けさせられる地域でした。



この日はボーラ(北東の風)が吹き、ヴェレビト山脈を抜けるトンネル周辺の道路が閉鎖されたために、
旧道を通って峠越えをした時、バスが横揺れし、ボーラの凄まじさをミニ体験することになりました。
この一帯に森が少ないのは土壌が少ない石灰岩質の土地柄のほかに、
1200年代以降500年にわたってヴェネツィアが造船用に木材を使ったことが理由で、
ボーラが木の生育を妨げているせいではないそうです。
カフェでトイレ休憩を入れたり、ズルマニャ川高台の16Cの城塞や揚水式水力発電所などを見ながら、
ヴェレビト山脈(最高峰1757m)を越えて行きました。



10時前にアドリア海が初めて姿を見せて間もなく、山道を下って小さな村を通過しようとした時、
バスが止められて、ドライバーのトニーさんが下車して行きました。
スピード・オーバーかと思ったのですが、おとがめの理由は車線はみだしで、
先を急ぐため文句を言わない?観光バスを特に狙ったねずみ採りによる10分間ほどの停車でした。
右はその停車中に撮った窓の外の景色ですが、何の変哲もない村道で、としか言いようのない不運でした。



聖ストシャ(アナスタシア)大聖堂

左に「恥の柱」

ザダルに10時45分に到着して、海の門から旧市街へ入り、
12Cにロマネスク様式で建築が始まった聖ストシャ大聖堂前を通って、ローマ時代の広場フォロへ向かいました。
1202年にカイロへ向かう筈の第4次十字軍がハンガリー牽制のためにザダルを襲った時、
建築が中断された聖ストシャ大聖堂は、建築が再開された後、上部はゴシック様式で1324年に完成、
正面タンパンには聖母子像をはさんでザダルの守護聖人ストシャとゾイルスが彫られています。
フォロの入り口には中世に悪事を働いた者を晒したことによって「恥の柱」と呼ばれるローマの石柱がありました。



ザダルの現地ガイドさん

ザダルはBC9Cから住んでいたイリリア人の地をBC1Cに征服したローマ人が、
ローマの都市計画に基づいた街「ヤドリアティック」を建設、北ダルマチア地方の中心として発展した港街です。
7Cにやって来たスラブ人によって形成された中世クロアチア王国の中心地ともなりますが、
ビザンチン、ヴェネツィアの支配下に置かれた後、第2次世界大戦の時には連合軍、
90年代の内戦時には旧ユーゴ軍の攻撃を受けてしまいます。
キリスト教徒がキリスト教国を襲うという前代未聞の第4次十字軍を始め、
地理的条件の良さが悲劇を生んでしまう宿命を背負わされた街で、
長さ1kmほどの半島の旧市街の中に教会が沢山あり、聖ストシャ、聖シムン、聖クルシェヴァン、聖ゾイルスと
4人もの守護聖人を奉っていることもうなずける気がしました。



聖ドナット教会

左:考古学博物館   右:聖母マリア教会

フォロに面して800年代初頭のザダルの司教ドナットの時代に建てられた聖ドナット教会がありました。
ビザンチン様式の集中式と呼ばれる円筒形の建物は宮廷礼拝堂や首都の聖堂建築のみに用いられた様式で、
ザダルがクロアチア王国の中心地であった根拠になるとも言われています。
壊れた石材が点在する縦90m横45mのフォロ向かい側には
近代的な建物の考古学博物館とルネサンス様式の聖母マリア教会がありましたが、
内部見学はせずにフォロを右折して、シロカ通りを東に向かいました。



市庁舎

ロッジア

シロカ通りの突き当りには旧市街の中心のナロドニ(=人民)広場があり、土曜日のお昼前とあって、
市庁舎とロッジアに囲まれた広場のカフェや露店市は大勢の人出で賑わいを見せていました。
ロッジアとは裁判所や税関などとして使われた柱廊で囲まれた屋根付きの建物のことです。



ナロドニ広場からさらに東に進み、聖シムン教会(後述)の前を通り、修復中の石柱や城門など
ローマ時代の遺物を目にしながら、「5つの井戸の広場」を目指しました。



5つの井戸の広場

隊長の塔

オスマン・トルコの攻撃を受けた16Cに元は堀であった場所に造られた貯水場に5つの井戸が残る広場は、
そのままに「5つの井戸の広場」と呼ばれています。
広場の片隅に立つ13Cの見張り塔は近くにヴェネツィアの隊長の館が建てられたことから「隊長の塔」と呼ばれ、
19Cまで水が使われたという井戸の広場は時代の変遷を語り継いでいました。



井戸の広場の城壁の上から、ザダルの正門であった1543年建造の「陸の門」が見えました。
凱旋門の形をした門の真中は馬車用、両側の小さい門は人間用の通用門となっています。




門の中央には聖マルコの下に聖クルシュヴェン騎馬像、両側の文字板の下には人の顔がつけられていますが、
その顔を拡大してみると恐ろしい形相をしていて、「鬼は外」という意味を持つ魔除けということでした。

ナロドニ広場に戻って、11時半から12時20分までフリータイムとなりましたので、
先ず聖ドナット教会の鐘楼に上ることにしました。(何しろ高所好き夫・・・)




息を切らせながら、途中で鳴り始めた鐘の音に耳をふさぎながら、狭い螺旋階段を上って行きました。


聖ドナット教会

シロカ通り

何という高所日和!?でしょう。
ザダルの旧・新市街、アドリア海の素晴らしい眺望をただ心ゆくまで堪能したひとときでした。



海の門(内側)

海の門(海側)

鐘楼を降りてからは、もう一度「海の門」を見に行きました。
「海の門」はローマ以来の城門と、オスマン・トルコを破ったレパントの海戦を記念して
1573年にヴェネツィアが海側に建てた門と、2重構造になっています。


 
聖クルシェヴァン騎馬像         聖マルコのライオン像

それぞれの門にシンボル・マークがついていましたが、
ヴェネツィア門は未修復とおそらく海側の塩害のせいで傷みが目立っていました。



リエカに本社があるヤドロリニアの客船が停泊しているヤジネ港と対岸は現在は歩道橋で結ばれていますが、
かっては海に囲まれ、城壁が築かれていた旧市街の様子がわかる海沿いのプロムナードの景観でした。



聖シムン教会

ナロドニ広場の時計台

残り15分のフリータイムに、「5つの井戸の広場」へ向かう途中に何やら秘宝がある気配のあった
聖シムン教会まで急ぎ足で向かいました。
外観は新しく見えますが、建造は5Cにさかのぼるという教会の主祭壇には
金銀のレリーフ細工が豪華に施された守護聖人シムンの棺がしっかりと警備員に守られて置かれていました。
やはり街の秘宝のひとつのようで、写真は厳禁という物々しさに包まれていました。
小さな街ながら見どころをまだまだ残して、ナロドニ広場に集合後、ランチ・レストランへ向かいました。




モダンなレストラン「2Rivara」のアンチョビ前菜、マグロ・ステーキ、ケーキのランチは
海の街にぴったりのメニューで、質量ともに大満足でした。



ヴァンスコ湖(夫撮影)

アドリア海

1時45分にザダルを出発し、アドリア海を南下してシベニックへ向かいました。
途中、自然保護区である汽水湖ヴァンスコ湖を通過しましたが、海側に座っていた私の席の車窓からは、
複雑に島が連なったアドリア海の景色がどこまでも続いているのが見えました。



3時にクルカ川河口に広がるシベニックの街に到着しました。
右写真の左側の大きなドームが聖ヤコブ大聖堂で、右上の丘が聖アン要塞です。
少し汗ばむほど気温が上がった中を海沿いの道を歩いて、聖ヤコブ大聖堂を目指しました。


シベニック現地ガイドさん

シベニックはローマ時代を経ず、スラブ人が7Cに入植して造り、中世クロアチア王国の拠点のひとつとして発展、
その後はヴェネツィア、ハンガリー、イタリアと他のアドリア海沿岸の街と同じような歴史を辿った街です。



聖ヤコブ大聖堂

牢獄として使われた時代を経て、今は博物館になっている市壁の階段を上ると共和国広場があり、
目の前に堂々とした聖ヤコブ大聖堂の全体像が姿を現しました。

1431年にヴェネツィアの建築家フランチェスコ・ディ・ジャコモが後期ゴシック様式で建築を始め、
上部を地元の建築家ユライ・ダルマティナッツやその弟子たちが引き継いで、
ルネサンス様式で造られた聖ヤコブ大聖堂は120年余りかけて1555年に完成、
煉瓦や木の補助を使わずに造った石造建築としては世界最大で、2000年に世界文化遺産に登録されています。
建材として使われたスプリット沖のブラチ島の石灰岩や大理石はスプリットのディオクレティアヌス宮殿、
ドゥブロヴニクのスポンザ宮殿や総督邸、イスタンブールのアヤ・ソフィア、ブダペストの国会議事堂、
遠くはアメリカのホワイトハウスにも使われているそうです。
3廊式聖堂のトンネルヴォールトの天井や壁に張られた石板が重厚でおごそかな雰囲気を造りだしていました。


聖堂内にはルネサンス様式のプットーが支える大理石の洗礼盤が置かれた洗礼堂がありました。



天井には見事なストゥッコ彫刻が施され、何とも美しく、神々しさを感じさせる空間でした。


「楽園の扉」と呼ばれる北側の入り口はライオンの上にアダムとイブが乗るミラノのボニーノ作の彫刻で飾られ、
「ライオンの扉」とも呼ばれています。





北側と後陣の外壁を帯状に飾っているのが、ダルマティナッツによる72人もの人の顔の彫刻です。
これらは市民の顔だと言われていますが、この類をみないユニークな装飾の意図は、
様々に解釈されて、結論には至っていないようです。

イライ・ダルマティナッツ像 市庁舎

共和国広場の一画にはイライ・ダルマティナッツ像(イヴァン・メシュトロヴィッチ作)が立ち、
聖ヤコブ大聖堂と向き合って市庁舎がありました。



市庁舎で挙式したカップル


共和国広場を抜けるとファサードに24時間の時計盤をつけた15C建造の聖バルバラ教会があり、
クラリャ・トミスラヴァ通りでは週末の午後を楽しむ女子高生と写真の撮り合いっこをしたりしました。



「AMOR D’CANI」と書かれた犬用水飲み


シベニックのメインストリート、クラリャ・トミスラヴァ通りの一端に19Cに造られた劇場があり、
劇場に面したチトー広場を通って駐車場へと下っていく公園に
ピーター・クルジミール王(在位:1058-74)のモダンな像が置かれていました。

聖ヤコブ大聖堂をメインとした1時間余りのシベニック徒歩観光を終え、4時15分にバスに乗り、
この日最後の観光地トロギルへ向かいました。



16Cにトルコから逃れたヘルツェゴビナの人々が移住したといわれるプリモシュテン半島や
牡蠣やムール貝の養殖場など車窓風景を楽しんでいる途中に、
不毛な地で続けられた地味で、忍耐強いぶどう農家の努力が世界の農民の規範になると評され、
畑の写真が国連に飾られているという地域を通過、
5時15分頃、イリリア、ギリシア人が2千数百年前に築き、ローマ、ヴェネツィアへと引き継がれた
古都トロギルに到着しました。
トロギルという街名は山羊の耳を持ったイリリア人の狩猟の神トラグリオンに由来します。


北の門(陸の門)

聖ロヴロ大聖堂

トロギルは防衛のために運河を作って本土と切り離された東西500m南北300mの小さな島ですが、
歴史的な建物が残る旧市街が1997年に世界文化遺産に登録されています。

本土のバスターミナルでバスを降り、運河を渡って、守護聖人イヴァン・ウルスィニが守る北門から
街へ入って行ると、ほどなく聖ロヴロ大聖堂があるイヴァナパヴラ広場がありました。



聖ロヴロ大聖堂の内部見学は出来ませんでしたが、ダルマチア出身のラドヴァンの彫刻が施された
1240年制作のロマネスク様式の美しい正面扉を見ることができました。
ラドヴァンはヴェネツィアのサンマルコ寺院の正面レリーフ制作にも関わったと言われています。



時計塔とロッジア

ロッジアのレリーフ

イヴァナパヴラ広場は市庁舎やロッジアもある街の中心広場です。
ロッジアの壁にはニコラ・フィレンティナッツ作の天秤を持った女性のレリーフが飾られていて、
裁判所として使われたものと考えられています。


 
   天秤を持った女性         ベリスラヴィッチ総督騎馬像

ロッジア正面の壁にはオスマン・トルコと戦って1520年に戦死したトロギルの英雄、
ベリスラヴィッチ総督の大きな騎馬像レリーフが飾られていました。



南門(海の門)

E旅行社のこのコースでは、通常、この夜の宿泊地のスプリットのホテルへ到着してからホテル内レストランで
夕食となるのですが、今回はトロギルでの夕食後にスプリットへ向かうという初試みがあったため、
南門を出て、海沿いの夕食のレストランの位置を確認してから、30分ほどのフリータイムが取られました。


再びイヴァナパヴラ広場へ戻ると、市庁舎前では何かを待っている人々、路地からは旗を先頭にした集団が
やって来るのが見え、何事が始まるのかと立ち止まって見学をすることにしました。




サッカー関係の催しでも始まるのかと見ていたら、集団の中には花嫁さんの姿があり、
世界遺産の古都で映画の場面のひとこまのような光景を見ることができました。


対岸のチョヴォ島の夕暮れ
小学校 カメルレンゴ要塞

広場からベリスラヴィッツア海岸通りへ戻って、夕映えやカモメが舞うチョヴォ島の風景を見ながら、
急ぎ足で島の西端のカメルレンゴ要塞まで歩きました。


美しい日没に間に合いました!



6時過ぎまで夕日鑑賞をした後、プロシュート、ダルマチア名物の仔牛の野菜巻きグリル、メロンという
レストラン・フォンタナでの美味しい夕食で盛り沢山な一日が締めくくられました。



7時半過ぎにトロギルを出発し、夜道をバスを走らせ、ディオクレティアヌス帝の出身地サロナを通過して、
25kmほど東に位置するスプリットのダルミナ・ホテルに8時15分に到着しました。




部屋のドアは鍵をかざすだけのハイテクな街はずれのモダンなホテルでしたが、
お湯がなかなか出ないことには焦らされました。
水を遠くの山から引いているので時間がかかるとのことでしたが・・・?
それにしても、ホテルに到着して、すぐ入浴、就寝できるというのはうれしいスケジュール変更でした。
お天気にも恵まれ、この上なくラッキーにツアーが進行していきます。


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