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18 Jan 2009
Giza〜Dahshur〜Memphis〜Saqqara〜Cairo

メリディアン・ピラミッド・ホテル

いよいよ旅の最終日となりました。
この日は午前9時出発でしたので、ホテルの中を散歩したり、久し振りにゆっくりとした朝を過ごしました。
メリディアン・ホテルは4年前とドアーマンは変わっていないようですが、
池にたくさんいたフラミンゴの姿は、まだ渡りの時期ではないのか、見ることが出来ませんでした。
夕方のフライトで帰国ということで、古王国時代の首都メンフィス方面へ最後の観光に向かいました。


屈折ピラミッド 赤ピラミッド

道路は相変わらず渋滞していて、ギザから30kmほどのダハシュールまで1時間半かかりました。
軍事基地や油田があるダハシュールには、第4王朝(BC2600年頃)の初代王スネフェルが
3基建てたピラミッドの中の2基が残っています。
最初に写真ストップして遠望した屈折ピラミッドは底辺の長さ188.6m高さ105m(現在は101m)、
基底から49mまでが54.37°その上部が43.20°と角度が変化していることから屈折ピラミッドと呼ばれ、
最初の勾配では石の重みで内部が崩れる恐れがあった、建築途中に地盤沈下が起きたため重量を減らした、
崩壊したピラミッドの失敗を繰り返さないためなどと途中で角度を変更した理由が様々に考えられています。

次に2kmほど北にある赤ピラミッドを見に行きました。
表面の化粧石がはがれて現れた石が赤いことから赤ピラミッドと呼ばれ、
スネフエル王が工法を追及、ついに実現させたこの三角錐の真正ピラミッドは、
底辺220m高さ105mで、屈折ピラミッドの上部と同じ勾配で作られています。
それを継いで造られたのが、スネフェル王の息子クフ王が建造したエジプト最大のギザのピラミッドです。



赤ピラミッド入口

赤ピラミッドの西側の入口に回り、希望者は内部に入場しました。
暑い、臭い、何もないと聞いていましたので、私は捻挫がまだ治っていないのを口実に入るのをパスしましたが、
65m下に3つの部屋と玄室があるそうで、入ったツアーメイトには10分で往復した満足感が感じられました。
入口で待っている時、成田からの飛行機で一緒だったNトラベルの添乗員さんが近くにいて、
途中は違うルートを辿りながら、最後にまた出会った偶然を愉快に思い、
以前セレナーデ号に乗ったことや、その時の添乗員さんのことなど話し掛けてしまいました。

このダハシュールのラムセス朝第19王朝から20王朝時代(BC1295−1069年)の墓跡から、
早稲田大学の調査隊が4つの木棺とカノプス(ミイラから取り出した内臓を入れる容器)を発見したという
ホットニュースが昨日の日経夕刊(09.2.27)に出ていました。
黒い松やにで塗装され、黄色い碑文が記されている木棺は、ザヒ博士によると
「盗掘のためからになっているが、当時の特徴は損なわれず、完全に残されている」そうです。



ダハシュールを11時10分に出発して北上、メンフィスへ向かいました。
上下エジプトの境界線に位置し、初期王朝から古王国時代の国の中心地として栄えたメンフィスは、
首都がテーベへ移ってからも政治的、経済的に重要な都市として発展したそうですが、
現在は遺跡が残るだけの農村地帯となっています。
第6王朝の王ペピ1世が造った「メンネフェル」と呼ばれたピラミッドのギリシア語読みがメンフィスの由来で、
父親のアテン信仰を廃止したツタンカーメン王の統治時代には再び首都とされていたそうです。
現代ののどかな農村の暮らし振りを車窓に見ながら、20分ほどでメンフィスに到着しました。


アラバスター製のスフィンクス
ラムセス2世立像
ラムセス2世巨像 プタハ神殿跡

メンフィスの土地神プタハを祀った神殿跡に残されたスフィンクスやラムセス2世像を見学しました。
アラバスター製スフィンクスは保存状態は良いものの、身体に銘が入っていないため時代が特定できず、
第8王朝のアメンヘテプ2世がプタハ神殿に奉納したのではないかと考えられています。
ラムセス2世の7mの立像は上エジプトの象徴の白冠だけをかぶり、
足首から下が破損しているため横にされた15mの巨像は上下エジプトの2重冠をかぶっています。
2体で1対となっていた巨像のもう1体は現在はカイロ市内のラムセス中央駅前に立っていますが、
ギザの新博物館完成後にはそちらへ移される予定だそうです。
プタハ神は万物創造の神であり、王位を更新する「セド祭」の主神でもあるため、
プタハ神の土地メンフィスに大神殿が建てられ、歴代の王達が数多くの石像や石碑を奉納したそうです。


階段ピラミッド 大理石製の祭殿壁

最後にエジプト最古のピラミッドが残るサッカラへ寄りました。
古王国時代第3王朝2代目のジェセル王(新王国時代に‘神聖’の意で付けられた名前。本来名はネチェリケト)の
宰相で建築家であったイムホテプが造ったこの底辺140m×118m高さ63mの階段ピラミッドは、
それまで日干しレンガで造っていた台形の墓(マスタバ)に初めて石材を用いたもので、
エジプト建築史の金字塔ともいえるこの功績によって、イムホテプは後に神格化されたそうです。
南北545m、東西277m、高さ10mの石灰岩製の周壁を巡らした中に階段ピラミッド、葬祭殿、セルダブ(小部屋)、
ヘブ・セド祭殿などを配した壮大なピラミッド・コンプレックスは国力の充実を表すものでもあったようです。


コンプレックス南側の柱廊

束ねたパピルス様の柱が立つ柱廊を抜けると、王がセド祭の時に走った中庭と階段ピラミッドが見られました。
王が若さと権威を回復するために即位30年後、その後は3年毎に行ったのがセド祭(王位更新祭)だそうです。



南側の壁に沿って歩き、南の墓に上ると、屈折ピラミッドや赤ピラミッドが遠くに見えました。
サッカラはメンフィスのネクロポリス(死者の町)として多くのマスタバ墳が作られたため、
「第5王朝(BC2356−2323年)のウスナ王に仕えた女性歌手と資産管理人の墓を発見」
「古代エジプト末期第26王朝(BC664−525年)の完全なミイラが見つかった」などと
今なお毎月のように発掘ニュースが新聞に掲載されています。


もと来た道を戻る途中、コプラの彫刻や発掘調査中の竪穴墓などが見られました。
階段ピラミッドや葬祭殿などがある北側は遠望しただけで、20分程でピラミッド・コンプレックスを後にして、
サッカラに多く残るマスタバ墳の1つ、メレルカのマスタバに立ち寄りました。



BC2340年テティ王の宰相メレルカと妻、息子のために作られた墓は30室余りもある古王国時代最大級のもので、
テティ王のピラミッドの目の前、入口に面して造られていることがメレルカの地位の高さを表しているそうです。
葬祭、奉納などの宗教行事、狩猟、魚採り、農作業など日常生活の様子が細かくレリーフで表現され、
彩色も残っていて、見応えのあるマスタバでした。




エジプト最古の首都周辺の遺跡をいくつか見学して、長い歴史を駆け足で辿った旅が終了しました。
1時半にレストラン「CARVERY」に到着、最後のランチには旅行社からワンドリンクがサービスされました。
今回最も多かったビュッフェ・スタイルの食事には落ち着かなさや面倒臭さはありましたが、
適量を選べることが出来て、残してしまう心苦しさがない点は気楽にも感じられました。



 

レストランを2時15分に出発、カイロ空港に4時前に到着しました。
この日はバスの最後部席に座っていた所、マイクの音が余り届かず、「聞こえませーん」と
何度も言うのにも飽きて、田園風景や町並み、下校する生徒たちの様子を車窓に見ていたのですが、
ふと気が付くと、ガイドのナシュワさんが何か挨拶をして、バスを降りて行きました。
どうやら自宅近くでの下車だったようで、8日間のスルーガイドにしては珍しく、余り親しく交わることもなく、
空港までの見送りもなかったガイドさんでした。
空港では現地手配会社の方がチケットの手配を終えていて、簡単に団体チェックイン、
荷物の重量も心配することなく出国することが出来ました。
空港内のお店でお菓子など最後の買物をして、5時半過ぎに搭乗、
「席の希望があればお聞きしておきます」ということで、「出来れば窓側を」とお願いして取って頂いた席は、
翼の真上でしたが、前方部の最後部席で、とてもリラックスできる窓際でした。



6時過ぎ、灯りがともる夕暮れのカイロ空港を飛び立ちました。
2度の機内食には食欲が湧きませんでしたが、とりあえず、写真だけは撮っておきました。
サバイバル・ツアーとも思えるような早朝出発に驚かされながらも、無事に全日程をこなした満足感と共に、
予定通りに!?眠りこけながら帰って来ましたので、12時間がとても短く感じられました。



19 Jan 2009
Cairo〜Narita

10時半過ぎに日本上空に入り、お昼ごろ富士山を通過しました。
ホルス神と富士山という絶好の構図の写真を撮ることができ、お土産が増えたような気分でした。
予定より少し早く、12時35分に成田空港に着陸して、10日間の旅の幕が無事に下されました。

余りに有名な観光地であるエジプトで、実の所、お正月気分の延長・・・という旅の始まりだったのですが、
実際に数千年前の文明を目のあたりにすると、予期以上の感動に捉えられることがしばしばでした。
砂漠の乾燥が守って来た古代遺産を堪能し、支配の変遷の痕跡を辿り、
現代のアラブ国のカルチャーを戸惑いつつ楽しんで、心充たされる面白い旅ができました。 
ホルス神に多謝!          (2009.2.28)


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