イギリス旅日記

2002年06月07日


 「スコットランドとイングランドの美しい村々と文化を尋ねて」という
イギリス13日間のツアーに参加。
 英国航空で午後1時ごろ成田を発ち、
ヒースロー空港に着いたのが現地時間の夕方5時。
今回の心配事の一つがフライト中に行われるFIFAワールドカップ、
イングランドXアルゼンチン戦の結果。
もしイングランドが負けたら、入国審査が厳しくなるのではないか、
ロンドンの街が荒れているのではないか・・・と。
 しかし空港からホテルに向かうバスの車窓から、家の窓や車のアンテナに
はためく白地に赤十字のイングランド旗が見えて一安心!
 ホテルの部屋に落ち着いたのは、ロンドンの空がいまだ暮れやらない
7時頃だったが、これは日本時間になおすと午前3時。
家を出てからほぼ19時間という長旅だったので、すぐ寝ることにする。

 追記:お風呂から出てくると、部屋に用意されていた軽食のサンドイッチが
ひとつ残らず同室人に食べられてしまっていた。
「だって食べないというから無理して全部食べたんだよ。」
「今はいらないって言っただけなのに!」・・・夜中に何度か目が覚めたのが
時差のせいで、空腹のせいでなかったのは不幸中の(!?)幸い。



2002年06月08日

  
マロニエ                  ユリノキ

 朝食後、ホテル近くのケンジントン・ガーデンズを散歩。
「夜明けから日没まで」という開園時間設定に文化の成熟を感じながら、
ダイアナ妃も住んでいた宮殿の広大な庭園で、
マロニエやユリノキの花、花壇で遊ぶリスなどを楽しむ。
(ロンドンでは防犯カメラが死角なく設置されていることを後に知った。)
大通りを悠然と馬に乗って歩く(?)親子を2組見かけた。


国会議事堂とビッグベン

 9時にホテルを出発し、国会議事堂、ビッグベンの写真タイムの後、
ヘンリー・オン・テムズへ向かう。

 
テムズ川クルーズ               水門

ロイヤル・レガッタで有名なヘンリー・オン・テムズからマーローまで、
ナローボートで2時間半のテムズ川クルーズ。
河畔の景色が素晴らしく、以前TVで見た水門も2度体験した。

  
ビアトリクス・ポター家(現在は小学校)

 ロンドンに戻り、バッキンガム宮殿へ立ち寄った後、
夕食まで3時間のフリータイムは、「ビアトリクス・ポターの住んでいた家が
このホテルから近いんではないですか。」という質問に、
ロンドン生活9年の経験をもつ添乗員のYさんが「このあたりですよ。」と
教えてくれた地図を持ってポター家探しとなったが、
サウスケンジントンの‘このあたり’というブロックが予想外に大きく、
通りかかった40歳位のカップルに教えてもらうことになった。
別れ際に男性が手を頭に載せピーターの格好をしてくれたのが愉快だった。
 その後、ロンドンの地下鉄‘チューブ’体験に繰り出したが、
行き先をお上りさんらしくピカデリーサーカスにしたのが大失敗。
土曜日夕方のサーカスは人にあふれていて、ただ疲れにいった感じだった。
 夕食はホテルの隣のレストランで、西洋ネギとポテトのスープ、
クリームソース・チキン、チョコレート・ケーキというメニュー。



2002年06月09日


 ホテルを8時半に出発して、ストラトフォード・アポン・エイボンへ向かう。

 

 途中、中世からビクトリア朝時代にかけて築かれたウォーリック城を見学。
ビクトリア朝時代のウィークエンド・パーティをろう人形で再現していたり、
放し飼いにしている孔雀が城壁の上を歩いているお城。
あいにくの雨模様だったが、タワーから見た市街地は
レンガ色の屋根と緑が調和し、美しい眺めだった。  

  
アン・ハサウエイ生家          シェイクスピア生家

城内のレストランで、コテージパイのランチをとった後、
シェイクスピアの妻、アン・ハサウェイの生家へ行く。
庭園、果樹園越しに見る茅葺屋根の家はとても趣きがあり、
室内の調度品などにも裕福な小地主の生活振りが窺われた。
 15世紀チューダー朝時代の木骨組(ハーフ・ティンバー)の建物が多く残る
ストラトフォード・アポン・エイボンにはシェイクスピアの生家が残り、
シェイクスピア・バースプレイス・トラストによって管理されていて、
生家前の通りで、<O NOBLE FOOL! A WORTHY FOOL! 
(AS YOU LIKE IT!)>のプレートをつけた像が出迎えてくれる。
ミュージアムショップで<TO BE,OR NOT TO BE>とプリントされた
赤ちゃんのTシャツを見つけたが、
3か月後に生れる予定の初孫のお土産にはさすがに躊躇された。
(生まれた時から悩まれても・・・!)

  
Swan Hotel                スワン

 ようやく雨が上がった中を、今回のツアーのハイライトの一つ、
美しい丘陵地帯のコッツウォルズへ向かう。
バスからの眺めにウサギが初登場し、期待が高まる。
ウィリアム・モリスがイングランドで1番美しい村と称賛したといわれる
バイブリーに到着し、スワン・ホテルに2連泊。
シーザーズ・サラダ、(ホテル前のコルン川の)マスのレモンバター・ソース、
バニラ・ムース・ルバーブ煮添えの夕食。
 日本がロシアを1X0で破ったというW杯ニュースは、
ツアー仲間に共通の話題をもたらしてくれた。



2002年06月10日

  
 コッツウォルズの村巡りの1日。
先ず、ホテル前に広がるカモや白鳥が子育て中の湿地帯と、
アーリントン・ロウの家並みをガイドさんの説明を受けながら見学。
ナショナル・トラスト(国民環境基金)との初めての出会い!


ナショナル・トラスト看板

  
アーリントン・ロウ
  
マガモ                   白鳥親子

ライムストーン(石灰岩)で造られた家の色合いから
はちみつ色の村の別称を持つコッツウォルズの美しい村を気持ちよく散策。



バスに乗り、リトル・ベニスと呼ばれるボートン・オン・ザ・ウォーターへ。
村の中心を流れる川でカモが遊ぶ風景は見飽きない。
自由散策の後、ローワースターターまで1時間弱のフットパス・ウォーキング。
降ったり、照ったり、イギリスのお天気はきまぐれ。
きれいな鳥の声を聞いたのでガイドさんに聞くとBLACK BIRDとのこと。
ビートルズの曲を思い出した。(帰って辞書を引くとクロウタドリと出ていた。)
 庭の広い素敵なレストランでマッシュルーム・スープ、
ロースト・ポーク、レモンタルトのランチ。
 再びボートンまで歩いて帰り、バスでブロードウエイのホテルまで行き、
イギリス名物のクリーム・ティ・タイム。
ランチをしっかり食べたので、とても入らないと思ったが、
暖かさの残るスコンをちょっと一口だけ・・・のつもりが、
「ん?なかなかおいしい!」と1個まるごとたいらげてしまった。
そして夜、「もう限界!」と仕方なく行ったダイニング・ルームで
出されたポワロとポテトのスープ、ラム煮込み、パンナコッタ・・・・。
我ながら驚きの食欲。



2002年06月11日


 典型的なイングリッシュ・ブレックファーストというのは果物(ヨーグルト添え)、
ベーコンエッグ、ソーセージに、ポテト、グリーンピース、マッシュルーム、
ベイクド・トマトなどの野菜添え、カリカリに焼いた薄いトーストパン、
紅茶というようなメニューを指すらしいが、
(スターターの果物だけで、お腹がいっぱいになるボリューム)
この日は肉類の代わりにマス、タラ、ニシンの燻製が出された。
17世紀創業の小さなスワン・ホテルの日本人向けサービスだったのかも。
食べきれないトーストパンをスコン川のカモ達に分けて、バイブリーとお別れ。
 9時に出発したバスは一路、陶磁器の里ストーク・オン・トレントへ向けて、
約3時間のドライブ、その途中、緑広がる田園風景の中に時々、
キンポウゲや真っ赤なケシの群落を見る。
(農地としては荒れた状態とMr.木暮のレクチャーを受けた記憶がある。)
 パブでのミックスサラダ(久々の生野菜!)、チキン&マッシュルームパイ、
アップルパイ・カスタードクリーム添えのランチの後、
ウェッジウッド工房を見学。

  
 ウェッジウッド工房

‘The WEDGWOOD STORY’と名付けられた建物内を、
ミュージアム、工房内部、ショップと日本語ガイドホン付きで、
効率良く見学するシステムになっていたが、
日本のデパートの高級感漂うディスプレイとは様子が違い、
購買意欲はそそられなかった。

  
   ザ・ロウズ           ローマン・ハーバー城壁

 再びバスに乗り、宿泊地のチェスターへ。
(W杯、オーウェンの街と知ったのは帰国後のこと。)
古い城壁に囲まれた中世の面影を残す街を夕食まで散策。
ザ・ロウズ(列)と呼ばれるショッピング・アーケードは、
ローマ時代の遺跡を避けるために2階のバルコニー部分に店を出し、
歩道を作ったというハーフティンバーの14世紀の建物。
歴史を感じる街である。
 夜はスープ、サラダから一つ、ターキー、ラム、パスタから一つ、
デザートという近代ホテルのカフェ・ラウンジのチョイス・メニュー。
これは今までの食べ過ぎの調節と考えなければ、
ちょっといただけない内容であった。
気楽な場所とみて、こっそり日本酒を持ち込んで、
盛り上がったテーブルもあった様子だが、私たちは添乗員Yさんと、
7日間お世話になった長距離ドライバー氏と4人のテーブル。
目の前で「老けて見えるけど、結構若いのかも。」などと
日本語で噂話をしてごめんなさい、Mr.チェック。



2002年06月12日


 昨夕着いた途端に閉館になり、目の前で閉まったチェスター大聖堂へ、
朝食後、散歩がてら出掛ける。(ちょっとした意地?)
ノルマン様式からネオ・ゴシック様式まで、時代が幾層にも重なった
堂々とした教会。木彫で有名な聖歌隊席を中心に見学。
 いよいよ湖水地方へ向かい、この日からボウネスに3泊するのだが、
その前にブロンテ姉妹の住んだヨークシャー州の寒村ハワースへ立ち寄る。
牧師だった父パトリックと共に一家が住んだ牧師館が、
現在ブロンテ・ソサエティの管理によって、博物館として公開されている。
夜更けてから(おそらく薄暗い中で!)「嵐が丘」や「ジェーン・エア」を
執筆したという食堂や居間、書斎のある18世紀の建物、
室内の遺品などを見学し、洋服、手袋、靴の小ささに驚き、
衛生管理の悪さなどで平均寿命が26歳という当時の暮しが偲ばれる。

  
ペニンストン・ヒル             ヒースの丘

 午後、一家が埋葬されているハワース・パリッシュ教会の裏手に広がる
ペニンストン・ヒルを1時間程ウォーキング。
「嵐が丘」を連想するヒースの丘は、6月の光の中で美しく爽快な広がりを
見せていたが、冬にはとてつもない寂寥を感じそうな風景だった。
丘がヘザー(エリカ)でピンクに埋め尽くされるのは夏の終わりとのことである。
エミリーが「嵐が丘」の着想を得たトップ・ウィセンズまでのウォーキングは
時間の都合で出来なかったのは残念。 
再び2時間余りバスに乗り、
夕方5時過ぎに小雨の降るウィンダミア湖畔ボウネスに到着。
 鯖の燻製、鱈のパセリ・ソース、メロンの昼食に、
トマトサラダ、ローストポーク、アイスクリームの夕食という
前菜、メイン、デザートの3点セットにぼつぼつ飽きが出始め、
ワイン選びが食事時の楽しみとなる。



2002年06月13日


 午前中、ブロックホール・ガーデン、ホルカー・ホールという庭園や
貴族の邸宅を見学。
広大な敷地の中の木々と花のバランスのとれたイングリッシュ・ガーデンは、
手入れが行き届いて見事という他はない。



   
モンキー・パズル       クリノデンドロン      ブルー・ポピー

モンキー・パズル、クリノデンドロン、ブルー・ポピーなど異国趣味も散見。
ニワトリを親と思ってしまったカモの雛たちの一群もいた。
室内にはウェッジウッドのジャスパーの暖炉をはじめ、
貴族の生活を垣間見る装飾品、調度品の数々。
 午後ホークスヘッドへ行き、昼食は初お目見えのローストビーフ。
ステーキ並みの厚さのウェルダンなロースト・ビーフに
ホースラディッシュ(西洋わさび)をたっぷりつけ、ヨークシャープディングという
何の味もついていない小さなパイにグレービーをつけて食べる体験。
(食したというより体験の語の方がぴったり!)
昨日のランチ店が‘The Old White Lion’この日が‘Red Lion Inn’、
羊のことをライオンと呼んだと聞いた気がするが理由は覚えていない。


ポター・ギャラリー

  
グラマー・スクール            ブリッジ・ハウス

 食後、入ったレストラン隣のポター・ギャラリーは、
ポターの夫、ウィリアム・ヒーリスの弁護士事務所だった17世紀の建物で、
没後ナショナル・トラストに寄贈され、絵本の水彩原画や、
ポターの湖水地方での生活記録を展示している。
 ワーズワースが通ったグラマー・スクールや寄宿していた建物を見た後、
トラストのインフォメーション・センターの小さな石橋の上に建つ
ブリッジ・ハウスや(スレート積みの湖水地方の典型的な17世紀の建物で、
税金を払いたくない為に川の上に建てたと伝えられている。
窓の数に課税された時代もあり、別の場所に石で窓を塞いだ建物もあった。)
大きな水車を見ながらアンブルサイドの街を散策。

  
ビアトリクス・ポターの世界館

 5時過ぎにボウネスへ戻り、ビアトリクス・ポターの世界館という
小さなアトラクション館に寄り、ピーターラビットの絵本の世界を体験。
 夕食後はホテルの一室を借りて、旅行社主催のグリーン・ティ・パーティ。
虎屋羊羹を差し入れしてくださった方がいて、
それを23等分(!?)する役回りになり、ちょっと焦る。




2002年06月14日


 雨傘を開いたり、仕舞ったりというイギリスの天候には慣れてきたが、
この日は動かない雲がどーんと空を覆っていて、どう見ても完璧な雨天。
湖水地方ウォーキングのハイライトともいうべき日なのに・・・。
(日本がチュニジアに2X0で勝ったW杯ニュースは気分を明るくしてくれた。)

  
ライダルマウント             ダブコテージ

 ワーズワースが住んだ二つの家、ライダルマウントとダブコテージを結ぶ
コフィンロードというフットパスを傘をさして歩く。
 ワーズワース・トラストが管理している二つの家をガイド付きで見学し、
湖水地方の自然を謳うことでイギリス人の自然観を変え、
ナショナル・トラストの生みの親ともいわれるワーズワースの
質実ともいえる暮らし振りに触れることができた。
(7月初旬に新潮社が創刊した季刊雑誌「考える人」のサブタイトル、
<plain living &high thinking>もワーズワースの言葉を引用)

  

  
コフィン・ロード

始めはちょっと気が滅入る感じがあったが(何しろコフィンはお棺のこと!)
シダの中に咲いているピンクのジギタリスや、
樹間に見え隠れする美しい湖水の景色が目に入り始めると、
もう天気は気にならず、「雨の風情も素敵!」と楽しくウォーキング。

  
ナショナル・トラスト所有の山
  
途中、目を惹かれ、思わずカメラを向けた美しい山には
ナショナル・トラストのプレートが掛かっていた。
(写真を現像して初めて鉄線が張られていたのに気付く。
「出入り口を閉めるように」とプレートに書いてあるので立ち入りは自由、
鉄線は大きな動物の‘出入り’を防ぐ為と思われる。)
 
  
ジョン・ラスキン像           ナショナル・トラスト車

ワーズワース一家が眠るお墓があるセント・オズワルド教会や
小さいけれど有名なジンジャーブレッドのお店があるグラスミア、
奇想天外なポットを作るティポタリー工房があるケズウィック、
ラスキン像があるナショナル・トラストの重要な拠点、
ダーウェントウォーターまで観光が続けられたが、
雨のために行動が制限されたことが返す返すも残念!
雑誌「ヴァンテーヌ」に湖水地方のガイドとして数年前に紹介された
マルコムさんも初めて見たというほど湖が荒れた不運な一日だった。
ナショナル・トラストは社会思想家ラスキンを仲立ちとして、
弁護士ロバート・ハンター、社会活動家オクタビア・ヒル、ローンズ牧師が
出会い、産業革命によって破壊された自然環境を取り戻すために
1895年に誕生した社会活動である。
 夕食は老酒を置いてなく、ウィスキーがびっくりする程高価な中華料理店へ。
イングリッシュ中華ながら、おいしくない‘3点セット’よりはおいしくもあり、
懐かしいオリエント味ではあった。



2002年06月15日

  
Old England Hotel           おねだり白鳥

ホテル近くの乗場から対岸までウィンダミア湖ミニクルーズ。
観光拠点である宿泊地ボウネスでは、洋服をひっぱって餌をねだる白鳥や、
近隣のレストランの人が投げこんだ残飯に群がるカモやカモメ、カラスに
気持ちが引けたが、岸を離れると静かな自然が広がっていて、
船から見る湖水の景色を堪能する。

  
ヒルトップ
  
ビアトリクス・ポターの家
  
ポター家庭園と農場

 船を下りて、ミニ・シャトル・バスでビアトリクス・ポターの家ヒルトップへ行く。
当初はヒルトップまで、フットパスをウォーキングする予定だったが、
ピーターラビット出版100周年で不規則になった開館日に伴う日程変更で、
時間の制約上バスになったということらしく、これも心残りの一つ。
 ニアソーリー村にあるヒルトップは、ビアトリクスが39歳の時に購入し、
お気に入りの書斎兼仕事場として使っていた農場である。
17世紀後半の粘板岩スレートの屋根と不揃いな石を重ねた壁の
湖水地方特有の建物とコテージ風園芸植物が植えられた庭園や農場は、
生前に近いままの姿でナショナル・トラストによって保存管理されている。
1946年の一般公開以来、年間7万人の観光客が訪れているそうである。
ポターの絵本に登場する動物達がひょっこりと現れて来そうな
広々として気持のよい農場であった。

  
農場レストランの庭

 ホークスヘッドでミニ・シャトル・バスから大型バスに乗り換え、
いよいよイングランドに別れ、スコットランドへ向かう。
途中、ますの養殖をしているアルコールの免許を持っていないという
農場のレストランで昼食。
遠くのテーブルのお客さんの小麦色の飲み物を目ざとく見つけ、
「ビール飲んでる!」と言う人がいたが、「あれはアップルジュースです。」と
軽くいなされる光景もあった。
メニューはメロンの前菜とビーフステーキ&マッシュルームのパイに、
甘さと塩辛さが同居したデザートのトライフル。

  
ハドリアヌスの長城

 イングランドとスコットランドの国境の町カーライル郊外で、
世界遺産に指定されているハドリアヌスの長城を見学。
これもナショナル・トラストのプロパティである。
かつては長さ117km、高さ4〜5m、幅2mだったというローマ時代の防壁は
家屋やフィールド壁用に石を持ち去られ、迫力には欠けていたが、
2000年という歴史的遺跡としての価値は大きいといえよう。
 6時半ごろスコットランドの首都エジンバラに到着。
最後の宿泊地であと3泊という安堵と寂寥感の入り混じった気分になる。



2002年06月16日


 ホテルを9時に出発して、スコットランド北部のハイランド地方へ向かう。
エジンバラに着くまでのスコットランド南部、ローランド地方は
イングランドと似たようななだらかな丘陵や平地が続く田園風景だったが、
ハイランドは氷河期に出来た峡谷があり、バスから見る風景は
雄大さを増し、人の手の入らない自然が多く残っているように思われた。
しかし木はほとんどが自然林ではなく、人工樹林なのだそうである。
ブナやカシ類の多いイングランドに比べ、マツやイチイなど針葉樹が多く、
そこかしこに鮮やかな黄色のエニシダが群生していた。

  
ブレア城

 最初に立寄ったのは、皇太子時代の昭和天皇やヴィクトリア女王が
泊まられたというブレア城。
瀟洒な外見と、絢爛さと猛々しさを合わせ持つ室内の、
まさに西洋という感じのマレー公の白亜の邸宅で、
大正時代の終わり頃、日本の天皇はどう過ごされたのであろうか。



庭では出会い頭に孔雀と衝突しそうになる。
 素晴らしい景観を持つマナーハウス・ホテルでのランチは、
野菜スープとサーモンクリームソースのパスタとチーズケーキというメニュー。
旅行中、どこの食事でも最も好評だったのはスープだったような気がする。
デザートの切り方のラフさと(私のはお隣の方の倍サイズ。)
お茶がセルフサービスだったことにちょっと驚く。
 昼食後は、留学中の漱石が心を癒しに訪れたというピットロホリーという街を
自由散策。さしずめ軽井沢か清里に当たるという場所柄だそうだが、
メインストリートの両側にお店が並んでいるだけの静かな小さな田舎町だった。

  
エドラドゥーア・ウィスキー蒸留所

 その後スコットランドで一番小さい、そしてそれを誇りにしているウィスキーの
蒸留所、エドラドゥーアへ行き、試飲とビデオと所内見学と買物。
庭がきれいな蒸留所だった。
 6時ごろホテルに戻り、夕食後、希望者で、と言ってもほとんど全員で、
ホテル向かいのパブへ繰り出す。
チップ不要のパブは、各々が好きなように過ごす気楽な場所のようである。



2002年06月17日


 最も寒さを心配していたエジンバラで最高のお天気に恵まれ、
午後からは暑過ぎるほどになった。
 観光最終日となったこの日は、
午前がエジンバラ市内観光で、午後フリータイムというメニュー。

  
カールトン・ヒルの眺望
  
ホリールード宮殿

旧天文台やネルソン記念碑、ナポレオン戦争戦没者の国家記念塔
(ギリシャ神殿風の未完成の記念塔はエジンバラの恥と呼ばれている。)
などがあるカールトン・ヒルから市街の全貌を見た後、
優美なルネッサンス様式のホリールード宮殿を見学。
今まで見学した過去の宮殿と違い、
現在なお英国女王がスコットランド訪問時に滞在するという宮殿では、
歴史の重みを現実感を伴って感じることが出来るようだった。

  
エジンバラ城   

 その後、氷河期に削られた岩山に聳え立つ巨大な城砦を持つ
歴代のスコットランド王の居城、エジンバラ城を見学。
城前のエスプラナード広場では8月中旬から3週間にわたって行われる
エジンバラ国際フェスティバルのメイン・イベント‘ミリタリー・タトゥー’の
観客席の設営が早くも始まっていた。
現存する中では英国最古と言われる王家即位の3種の宝器や、
王位継承の椅子‘運命の石’、集会ホール、慰霊室、大砲台などの
見所を自由に見て歩く。

  
Jhon Knox House Museum       The Georgian House

 街中の小さなレストランで鰊のムニエル料理のランチの後、
フリータイムになり、スコットランド・ナショナル・トラストが管理する
18世紀末の建物、ジョージアン・ハウスを見に行き、
ジョージ王朝時代の‘ニュー・タウン’シャーロット・スクエアに建てられた
タウンハウスの貴族階級の生活を垣間見る。
その後、国立美術館の予想外に幅広いコレクションを覗いたり、
(国立美術館は入場無料だが、トラストは1000円程の入場料。)
イングランドのハロッズに当たるというデパート、ジェナーズに寄ってから、
4時半過ぎにホテルへ戻る。
ホテルの部屋で一休みしていると突然非常ブザーの音。
「何だろう?」と言っている所へ、ホテルの中年女性従業員が、
次々とドアをノックし、外へ出るようにと指示。
ちょっと迷ったが、部屋の鍵カードと財布だけ持って、
「従業員に緊迫感もないし、非常訓練じゃないの?」などと言いながら
非常階段を使って外へ出る。
外には消防車が止まり、人だかりがしていたが、程なく‘お開き’となる。
結局、誤報だったということらしいが、
こういう場合に取るべき行動が何であるかは今もってわからない。
しかし、スリッパのままだったのは私達だけだったこと、
観光最終日でほとんど現地通貨を使い切った空財布を持ち出しても
何の意味も無いことだけは確かな反省材料である。
 夜はバグ・パイプ演奏や、スコティッシュ・ダンスなどのショーを見に行く。
ショーは舞台をこの字型に囲んだ観光客の国名の紹介から始まったが、
ということは、日本人席はいつも左側ということなのかもしれない。
(毎日変わったら覚えられる筈がない!)
スコットランド名物料理‘ハギス’を動物にみたてたセレモニーや
各国語での‘ホタルの光’の合唱など盛だくさんなメニューが終ったのは
10時半過ぎで、外に出ると日の長い6月のエジンバラの夜も
さすがに暮れてしまっていた。



2002年06月18日


 W杯決勝トーナメント、日本Xトルコ戦が1点リードされた後、
ハーフタイムに入った所までを部屋のTVで見てからホテルを出発。
(負け結果を知ったのは成田に着いてから。)
 エジンバラ空港の荷物計測では25KGオーバーを次々と指摘され、
はらはらしたが、スーツケースを別のカウンターに載せ直しただけで
全員無事通過し、1時間20分ほどのフライトでヒースロー空港へ着く。
後はひたすら我慢の11時間半を過ごせば、成田である。
 往復利用した英国航空は、TVが個々に見られるようになった代わりに、
日本語の機内誌や新聞のサービスがカットされてしまったようで、
ちょっと物足りなさを感じた。



2002年06月19日


 ほぼ定刻通りの11時20分に成田に到着し、
12時25分のリムジンバスで水天宮を経由して、2時過ぎ無事帰宅した。

 緑豊かな美しいイングランド、妖精や魔物が楽しく共存していそうな
不思議な魅力にあふれるスコットランドの旅の思い出は
いつまでも心に刻まれることだろう。