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20 Dec.2010 |
Esfahan〜Abyaneh〜Tepe Sialk〜Kashan
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イスファハンに2日間滞在して主な所は見学しましたが、もっとゆっくり歩いてみたかったという思いを残して、
コウサル・ホテルを8時に出発、180km北のカシャーンまでバスを走らせました。
車窓には土の景色、都市文明を支えたカナートなどペルシアの原風景のような景色が流れて行きました。
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ササン朝時代の城塞 |
イマーム・ザーデ |
時々現れる歴史や文化を伝える建造物も車窓に見ながら、
世界の統計、言語、宗教など多岐にわたるN添乗員さんの日替わり車内講座に耳を傾けていると、
(時々「何の話でしたっけ?」と脱線するようでいて、きちんと軌道修正されていく達者な講座でした。)
2時間半が訳もなく過ぎて、この日最初の見学地アビアネ村に到着しました。
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アビアネは女性がバラ模様のスカーフをかぶっていることで人気のある村ですが、
過疎の今、若い人の姿はほとんど見られず、‘かわいい’ではなく、風格のある写真が収集されました。
スカーフの端に「MADE IN JAPAN」のマーク
標高3899mのカルカス山麓に赤い土の家が集まるアビアネ(=水がある)村は
パルティア時代にゾロアスター教徒が住みついたことが村の起こりと言われています。
窓が外側を向き、下の家屋の屋根が庭であったり、屋根の上を狭い道が通っていたり、
中庭式のペルシアの伝統的な建物とは全く違った造り方の家々です。
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だぶだぶズボンの男性、バラ柄のスカーフの女性共にゾロアスター教の名残と言われていますが、
多分に観光的な要素があるとしても、村人の服装と家並みはよく調和していました。
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現在はイスラムに改宗した村にはナフルが飾られていたり、19Cの礼拝室もありました。
出身地で迎える人が多いアシュラの祭りの時、山道は10km渋滞し、途中から歩いて帰るのだそうです。
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ゾロアスター教神殿跡 |
氷室とバードギル |
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イマーム・レザー孫の聖廟 |
今は使われていないゾロアスター教神殿跡や氷室、バードギルなどを見ながら歩き、
8代目イマーム・レザーの孫の聖廟では内部見学をしました。
聖廟のバルコニーからは美しい山の景色や下方の冬枯れの果樹園が見渡せました。
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1軒開いていたお店で、3ドルという値段ながら、携帯電話入れもついた技ありのポシェットを買った後、
ホテル・アビアネのレストランでランチをいただきました。
ナインのレストランと同じ食器で供されたランチは、サラダと鶏肉、レンズ豆、人参のスープ、
ナスやトマトの煮込みにフライドポテトを載せた郷土料理でした。
場所をラウンジに替えてチャイと果物のデザートをいただき、のんびり流れる村時間も楽しみました。
1時過ぎにホテルを出発して、カシャーンへ向う途中で丘の中腹に見られた穴は、
100頭以上も飼うことができるという羊や山羊の小屋でした。
程なく、写真撮影禁止というウランの濃縮施設を持つ原子力工場の近くも通過しました。
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アビアネ村を出て、1時間ちょっと、2時半過ぎにカシャーン郊外のテペ・シアルクに到着しました。
1930年代にフランスのギルマンシュが発掘したテペ・シアルクは、
イラン高原の初期農耕村落の成立から金属生産の始まり、都市形成に至る歴史が見られ、
南北に分れる遺丘の北丘は新石器時代、南丘は銅石器時代から青銅器時代、鉄器時代に至る層位を持ち、
他の遺跡の年代を決める基準ともされている重要な遺跡です。 (「栄光のペルシア」山川出版社刊)
写真に見える丘は最近の調査でジグラットであることが判明したそうです。
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地震で亡くなった10歳の女児(BC6000年) |
赤い彩色が残る壁 |
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BC6000年の木製車輪や遺骨などが発掘されたテペは、
大学生を中心とした発掘チームによって春から夏にかけて調査が進められているそうですが、
資金的な問題もあり、まだまだ調査途上というのが実情のようです。
かっては緑豊かな都市であった筈の遺跡の周りには乾いた沙漠の景色が広がり、
遠くにカシャーンの街が見えていました。
遺跡見学中のツアーメイト達の影も、識別はやめて、絵として楽しんでおくことにしましょう。
付属の博物館にそれ程多くはありませんでしたが、発掘品が展示されていました。
石器や牛頭型リュトン、彩文土器などの展示品を見ていると、
数千年という時間が日常と隣り合わせていると感じられるのがイランという国だと思えました。
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3時半に最後の見学場所、カシャーン郊外のフィン庭園に到着しました。
1000年の歴史と23700uの敷地を持つフィン庭園はアッバース1世が夏の離宮として愛用したことでも有名で、
樹齢400年の糸杉やスズカケの木に囲まれた園内に張り巡らされた水路が印象的で、
入口近くにサファヴィー朝、奥にカジャール朝の建物が見られました。
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入口の左手にカジャール朝の宰相アミール・キャビールが1851年に暗殺されたハマムがありました。
社会情勢が混乱した時代に軍隊を組織、イラン初の日刊紙を創刊、ヨーロッパ型教育機関を創設など、
様々な近代化に貢献したキャビールは、改革を望まない王によって殺害されたそうですが、
アミール・キャビール庭園というフィン庭園の別名が示す通り、今も名宰相として高い評価を得ているようです。
アミール・キャビール像
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ブルーのタイルが貼られた水路に陶器製の噴水壺が並んでいましたが、
水の高さを均一にするという技術は謎で、修復後には不均一になってしまったと言われています。
19Cのカジャール朝の建物のシラーズ出身の職人が描いたバラや鳥の絵は
サーディ廟と全く同じ図柄だそうです。(だそうです、としか言えない所が情けなくも・・・。)
ここでは幸せを呼ぶ?コイン投げを試みる方もいました。
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カシャーンの街の畑にも供給されるという水施設 |
30分程の見学が終わった後、庭園内のチャイハネで、アリーさんによるティータイムがあり、
甘いデーツ(ナツメヤシの実)とチャイで一服入れました。
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フィン庭園を出て立ち寄ったバラ製品のショップには、
去年の春、ブルガリアで見たダマスク・ローズと同じ絵が描かれていましたが、
ダマスク・ローズの原産地はペルシアで、ダマスカスの行商人が故郷へ苗を持ち帰って栽培に成功、
11Cの十字軍遠征によって世界中に広まったのだと言われています。
ペルシアに産するのに「トルコ石」、ペルシア起源のお話なのに「アラビアン・ナイト」、
ペルシア産でありながら「ダマスク・ローズ」・・・何だか割の合わないネーミングですね。
メッカのカーバ神殿を洗うと言われるバラ水やエッセンス、ジャムなどを売っていましたが、
ブルガリアのバラ製品がまだ残っていましたので、購入は見合わせました。
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4時40分にフィン庭園近くのアミール・キャビール・ホテルにチェックインしました。
カシャーン唯一の3つ星ホテルでは笑顔の素敵な女性スタッフの出迎えを受けましたが、
部屋のエアコンが故障寸前のようで、温度設定を変えることが出来ず、
窓やドアを開け放って、31℃の室温を下げることが最初の仕事となりました。
保温効果が高い沙漠仕様?の建物は、結局、エアコンなしでも朝まで暑いままとなりました。
ホテル内レストランでのビュッフェ式レストランにはお馴染みのイラン料理が並び、
デザートのバナナが最高のおもてなしと見受けられました。
この夜のN添乗員さんのお楽しみプログラムはビリヤードでしたが、これはパスをして、
旅の終盤の疲れ休めの早寝を決め込みました。
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