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21 Dec.2010
Kashan〜Rey〜Tehran


カシャーンからテヘランへ再び戻る日になりました。
紀元前から人が住み、12C頃から陶器、織物、絨毯、絹などで有名になったカシャーンは、
人口35万人を擁する街で、アッバース1世の遺体を安置した廟や大商人の邸宅など見所はありそうでしたが、
朝8時にホテルから街を抜け、北へ250kmのテヘランへ向けて出発しました。



銅の産地(ということは金も産するそうです。)で赤身を帯びた山や綿摘みの光景を車窓に見ながら、
バスを走らせ、1時間20分ほどでコムに到着しました。


年間3000万人が訪れるというシーア派の聖地コムは現在観光バスの乗り入れは出来ないということで、
高速道路沿いのアッヘベイト・モスクでトイレ休憩だけ取りました。
左写真は建設中のモノレールで、N添乗員さんが「来る度に変わっている」というピッチで
国内各所で交通、道路網の整備が進められているようです。


 
イマーム・ホメイニ廟

11時15分頃、レイのイマーム・ホメイニ廟に到着しました。
イスラム革命(1979年1月)を指導して共和国を樹立、最高指導者となったホメイニ師(1900−1989)の霊廟は、
40haの広さを持ち、今なお建築中でした。
葬儀の時は何百万人もの参列者で車が立ち往生し、ヘリコプターで運ばれたという遺体は、
8年間のイラン・イラク戦争を意味する8本の柱、ロシア製シャンデリア、一般の寄付によるカーペットなどがある
逝去後45日で完成したといわれるだだっ広い霊廟に収められていました。
ホメイニ師の録音音声が流れる霊廟をパキスタン巡礼団が訪れているのが不思議に思われたのですが、
向こうからは私達が奇異に見えたのかもしれません。
逆光のミナレットはホメイニ師の年齢と同じ91m(数え年?)で、ドームの色は最近、金から銀に変わったようです。



ホメイニ廟を出て、30分足らずで車も人もあふれる大都会テヘランに到着し、ランチ・レストランへ向いました。


ムハンマドの子孫のセイイェド(黒ターバン)


チーズとハーブの前菜、チェロウ・モルグ、スイカ、バクラワ(パイ菓子)とナツメヤシというランチでした。
シャベ・ヤルダーと呼ぶ冬至のこの日には、イランでは親類が集まって、スイカやナッツを食べながら、
ハーフェズの詩占いをしたり、語り明かして夜を過ごすそうで、
西瓜と南瓜の違いはありますが、日本とちょっと似ている習慣のようでした。


シャベ・ヤルダーはシリア語の「誕生」から来ていると言われ、クリスマスとも関係があるそうですが、
屋根の上のサンタクロースにはちょっとびっくりというレストランでした。
デザートの写真を撮っていると、ウエイターのお兄さんが「カメラを貸して」と私にカメラを向け、その様子を、
私に負けず劣らずの写真魔Gさんがカメラに収めるという光景もありました。


 
イラン中央銀行 フェルドゥスィー像

ランチ後、週に3日間、1日2時間だけ開館しているイラン中央銀行地下金庫の国立宝石博物館へ行きました。
近くの広場に立つフェルドゥスィー(934頃〜1025頃)は、現在でも高校、大学生が学ぶ、
ペルシア建国からササン朝滅亡までの神話、伝説、歴史の叙事詩「シャー・ナーメ」(王書)を著した国民詩人で、
ペルシア語の父と呼ばれる人物です。

貴重品の入ったバッグすらバスに置いて、厳重なチェックを受けて中央銀行へ入館すると、
後で鉄格子のシャッターが閉まるという物々しさでした。
革命前に王家が所有していたおびただしいコレクションは、
「イランの豊かな文化と歴史を知り、その時代の権力と富の蓄積を追及した者たちの運命の結末から
何かを学ぶことである。この目的ゆえにこれらのコレクションは展示され、保存され、
後世にその豊かさを継承していくものである。」という意図によって公開されているものです。
展示ケースに近付き過ぎると警報音が鳴り、「何番のケース」とマイクで注意される中で、
ただ圧倒されるばかり、思考停止状態でしたが、
買ってきたパンフレットからそのほんの一端をお伝えすることにしましょう。



      「光の海」            「ファラ王妃冠」          「パーレヴィー王冠」

サファヴィー朝の後、政権を握ったナーディル・シャーが1736年にムガール帝国から戦利品として
持ち帰ったと言われる「光の海」は世界最大182カラットのピンク・ダイヤモンドです。
洗練されたデザインの「ファラ王妃冠」は1967年にフランスのヴァン・クリフ&アーペル社によって
制作されたもので、ダイヤモンド1469個、エメラルド36個、ルビー34個、真珠105個が使われています。
ササン朝のデザインで作られた「パーレヴィー王冠」はファラ王妃冠の倍以上、
3380個のダイヤモンド、368個の真珠が使われていて、重さは2kgだそうです。



 「燭台」            「かぎ煙草入れ」         「宝石地球儀」

宝石と金製の燭台、エメラルド製のかぎ煙草入れ、宝石総重量3656g、総数51366個の宝石地球儀・・・。
ただ、ご想像ください、としか言いようがありません。


「水パイプ」             「円盾」              「孔雀の玉座」

トルコ石とルビーで作られた19C終わりの水パイプの一部、ナーディル・シャーの円盾、
ナーディル・シャーがインドから持ち帰ったものと同じデザインで後のシャーによって作られた孔雀の玉座など
イラン王朝のとてつもなく豪奢なコレクション群でした。


  

4時半過ぎに初日と同じエステグラル・ホテルに着くと、入口にセキュリティ・チェックが設けられていて、
何事かと思いつつチェックを抜けると、60数カ国によるイスラム世界女性閣僚会議を開催中とのことでした。



広さは同じだと思われますが、ファブリックの違いで初日より少し豪華に見える部屋から、
エントランスのセキュリティの様子が見えました。



5時半にロビーで待ち合わせ、N添乗員さんと近くのナッツ屋さんへ買物に出掛けましたが、
シャベ・ヤルダーの「西瓜とナッツの日」で店内は大変な混雑でした。
旅の始まりから半月近くが経ったことを教えてくれる満月の美しい夜でした。





「さよならパーティ」の夜は旅行社のサービス・ドリンクでの乾杯からスタートです。
長くて、短かくて、楽しかった2週間の旅に乾杯!
ノンアルコール・ビールとラム・チョップと山盛りのザクロのフェアウエル・ディナーでした。

  

女性閣僚会議のために押し出されて、ホテル近くのレストランでの夕食でしたが、
地元の人達に混じってシャベ・ヤルダーの雰囲気を味わうことが出来て、心に残る夜となりました。


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