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2014・2・28
  名古屋(熱田神宮・東山植物園)〜東京
                           
          
      ロイヤルパークホテル ザ名古屋  名古屋駅                  

7時半にホテル内のレストラン「Monsieur ITOH」で朝食を取りました。
さほど広くないレストランにはBS国際ニュースが流れ、国内外のビジネスマンの姿が目立っていて、
和・洋メニューが並ぶビュッフェには、「ハードビジネススープ」というビジネスマン応援メニューもありました。
私が選んだ中では焼き立てのパンケーキと厚切りベーコンが飛び切りの美味しさでした。

9時前にホテルをチェックアウトして、名古屋駅のコインロッカーに荷物を入れた後、
地下鉄桜通線に乗って「瑞穂運動場西」駅へ行きました。
松阪からそのまま東京まで戻ることも出来ましたが、名古屋での1泊を入れたのは、古事記の旅に熱田神宮を加えることと、
シチリア以来、10年来の旅友であるK夫妻にお会いすることが目的でした。

熱田神宮からお付き合いして下さることになったK夫妻が、「瑞穂運動場西」で9時40分におち合った後、
名古屋を知らない私達のために車で街案内をしながら、正門から熱田神宮へ参拝するというプランを立てて下さいました。



30数年前に車で立ち寄り、1泊だけしたことのある名古屋は「道路が広い」という印象が鮮明に残っていますが、
熱田神宮のある南部の方は古くからの住宅街がある文教地区のようで、道路幅も他の地方都市と変わりなく見えました。
10時前に熱田神宮に到着し、伊勢神宮と同様に笠木が直線の神明鳥居を二つ抜けて、緑に包まれた神域を進んでいきました。



手水舎

大楠

第2鳥居近くの手水舎のすぐ北に、大きなクスノキが目立つ境内の中でもとりわけ立派な大楠があり、
弘法大師のお手植えになる樹齢1000年の木として、特別なお祀りがされていました。



信長塀

東八百万神社

大楠の先には、永禄3年(1560)に織田信長が桶狭間の戦いに出陣する時に戦勝祈願をし、大勝を果たした後に、
お礼として奉納したと伝わる築地塀の「信長塀」がありました。
築地塀は土と石灰を油で練り固めて瓦を厚く積み重ねた土塀で、
この信長塀と京都三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀(阪神淡路大震災後に復元)が日本3大土塀とされています。

信長塀の前には伊勢神宮にあったものとよく似た高床式切妻造りの社が向き合って立っていましたが、
熱田神宮より東国の神々を祭神とするのが「東八百萬神社」(ひがしやおよろずじんじゃ)、西国の神々を祀るのが「西八百萬神社」で、
両社を参拝すればすべての神を参拝したことになるという便利な末社のようでした。


 


熱田神宮には祭神として熱田大神、相殿神として天照大神、素戔嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命が祀られていて、
熱田大神は三種の神器のひとつ、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)とする天照大神と同一神とされています。

素戔嗚尊が八俣大蛇の尾から取り出した天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ=草薙剣)が天照大神に献上され、
父の景行天皇(おほたらしひこ)から東征を命じられた日本武尊(やまとたけるのみこと)が、
天照大神に斎宮として仕える叔母の倭姫に会いに伊勢へ行き、火打ち石と共に授けられた草薙剣に守られて東国各地を平定した後、
約束通りに訪れた尾張の国で、尾張氏の遠祖とされる建稲種命(たけいなだねのみこと)の妹の宮簀媛命(みやすひめのみこと)と結婚、
というのが相殿神5神にまつわる古事記や日本書紀の物語です。

熱田神宮の社殿は明治26年(1893)までは尾張造り、その後、伊勢神宮とほぼ同様の社殿、規模の神明造りに替えられた後、
昭和20年に2回の戦災を受け、昭和30年(1955)に造替がなされたそうです。



授与所

神楽殿

再建以来50余年を経て、創祀1900年の慶節を迎えた平成25年(2013)に大屋根の葺替えや授与所や神楽殿などの新修造を行い、
真新しくなった熱田神宮は、これから又、歳月を重ねながら、風格をまとっていくことと思われました。


  

参拝を終えた後、境内の南神池に面した「お休み処 清め茶屋」で「抹茶ときよめ餅」と「甘酒」に分かれて、一服入れました。
昨日、そして、翌日からの週末が雨続きという間に恵まれた一日だけの好天が話題になりましたが、
それが夫達が二人揃って自負する晴男パワーによるものか、天照大神の御慈悲かは、さて置いておくことにして・・・。



菅原社

下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)

一服した後、学問の神様を祀る菅原社近くから西門を出て、大通りを北へ向かい、影向間社(ようごうのましゃ)へ行こうとしましたが、
神宮北端の下知我麻神社まで行き着いてしまい、樹木の手入れをしていた職人さんに尋ねて、元来た道を少し戻ることになりました。
下知我麻神社は旅行安全の神様で、境内の石を戴いて持ち帰り、願いがかなったら倍の大きさの石を菅原社へ奉納するという
珍しい風習が両社の間にあるということを後で知りました。



影向間社

熱田大神の分霊を祀るという影向間社は車祓所の近くにひっそりと佇む小さなお社でした。
伊吹山で命を落とした日本武尊が宮簀媛命に遺した草薙御剣が熱田に置かれた後、
同行(どうぎょう)が新羅へ持ち去ろうとした盗難事件が天智7年(668)に発生、逃亡は食い止められましたが、
草薙剣は朝廷へ留め置かれて、熱田へは戻ったのは天武天皇の病気が草薙の剣の祟りと占われた18年後といわれています。
ここへ立ち寄ってみたいと思ったのは、この返剣の悦びを表した酔笑人神事(えようどしんじ)が影向間社で行われることを、
「古事記を旅する」(三浦佑之著)で読んだことがきっかけでした。

毎年5月4日午後7時から境内の灯を消して、16名の神職が、古来、見てはならないと伝えられる神面を装束の袖の中に隠し持ち、
中啓という扇で神面を軽く叩いた後、全員が一斉に「おほほ」と悦びを込めて高笑いをするという珍しい神事が
おほほ祭りの別名を持つ酔笑人神事で、闇に包まれた境内をひたすら歩き、
影向間社、神楽殿、別宮八剣宮、清雪門前の4か所で高笑いを繰り返すそうです。
始められた時代も、神面を叩く不思議な所作も、由来については伝承がないそうですが、
悦びを表すためだけにおごそかに行われる神事は想像するだけでも愉快な気分が湧いて来るようです。


          
 別宮 八剣宮    清雪門

酔笑人神事が行われる正門近くの別宮八剣宮と清雪門は立ち寄りませんでしたので、
熱田神宮のHPから写真をお借りして、掲載させていただきました。

別宮八剣宮は元明天皇期、和銅元年(708)に勅命によって神剣を造り、境内に社を建てて祀ったことが創祀とされ、
建築様式をはじめ、祭典、神事も本宮に準じて執り行われる別宮で、
天正3年(1575)に長篠に出兵した信長が社殿の修造を命じ、慶長4年(1599)に家康が拝殿・回廊・築地の修造、
貞享3年(1685)に綱吉が本殿の造替を行ったという記録が残されているそうです。

もともとは本宮の北門であったといわれる清雪門は、新羅の僧、同行が神剣を盗み出して通った不吉の門として忌まれ、
神剣還座の際に門を閉ざして再び皇居へ還ることのないようにしたために不開門(あかずのもん)とも呼ばれています。

酔笑人神事の翌5日の午前10時からは神剣還座を祝って、雅やかな装束の約100名の奉仕者がご神宝を捧げ持ち、
本宮から参道を正門まで下り、大通りを北上して西門に設えた斎場まで、
神輿を中心にして行列を連ねる神輿渡御神事(しんよとぎょしんじ)が執り行われるそうです。


    

  

    

11時15分頃、熱田神宮を後にして、K夫妻が予約を入れておいて下さった食事処「らん」で昼食をいただきました。
昨年暮れに和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたことは記憶に新しい所ですが、
(1)新鮮で多様な食材とその持ち味の尊重(2)栄養バランスに優れた健康的な食生活(3)自然の美しさや季節の移ろいの表現
(4)正月行事、収穫祭などの年中行事との密接な関わりを登録理由とする、
正にそれらを具現した配慮の行き届いた和食をいただきながら、2時間近くの食事会を心ゆくまで楽しんだひと時でした。



  

昼食後はK夫妻が東山植物園にご案内してくださいましたが、
昭和12年(1937)の開園当初から公開、平成18年(2006)に国の重要文化財の指定を受けた温室「前館」は、
残念ながら補修工事のため、平成31年(2019)まで閉鎖とのことでした。
それでもよく似た建物の昭和35年(1960)に開館した「後館」には入ることができましたので、
ハイビスカスやブーゲンビリア、サボテンなどの熱帯植物を一緒に見て回った後、温室前で2時40分頃にお別れしました。



旧兼松家武家屋敷門

也有園(宗節庵)

奥池

合掌造りの家

その後、私達はKさんのご提案に沿って、引き続き植物園内を見学、信長・秀吉・家康に仕えた兼松家の武家屋敷門や
尾張藩士で俳人として「鶉衣」を著した横井也有(1702−1783)を讃えて造られた回遊式日本庭園、
岐阜県白川村から移築した合掌造りの民家などを見ながら、浅い春の園内散策を楽しみました。


  

ロウバイやマンサク、フクジュソウやセリバオウレンの花がきれいに咲いているのも見られました。
順路に沿って星が丘門まで上った所で植物園を出て、星が丘駅から地下鉄東山線で名古屋駅へ戻りました。

今回からメンバーとなったジパング倶楽部でチケットを購入し、16時24分発の「ひかり526号」に乗って、18時過ぎに品川に到着、
19時ごろ帰宅して、3泊4日のお伊勢参りの旅を上々の首尾で幕おろしすることが出来ました。

                                                     (2014.3.21)



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