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Oct 17 2005
Saint-Emilion〜Bordeaux  
   
 

午前中、ボルドーワインの名産地の一つであるサン・テミリオンへ行きました。
ボルドーの東40kmに位置し、世田谷区より少し広い7800haのサン・テミリオンには1000を超す
シャトーがあるそうです。この地域ではブドウ畑を持つワイン醸造所をシャトーと呼び、シャトー(城館)というより、
質素ともいえる建物の中でワイン造りに励んでいるワイナリーも多いようです。

私達が見学に行ったシャトー・ラニヨットはグラン・クリュ(特級)のBランクの認定を受けているワイナリーでした。
枝の剪定から収穫に至るまでのブドウの手入れ作業やワイン製造過程をまとめたビデオを観た後、
2時間前に開栓しておいたという2002年のワインを試飲しました。
この地区のワインは石灰質の土壌に合ったメルローやカベルネ・ソーヴィニヨン種で造られ、
長期熟成に向いた渋み、固さ、色の濃さが特徴だそうです。
ブドウを発酵させてワインに変わる大事な時期を過ごしているオーク樽が並んでいました。

下段の写真は左がこのシャトーのオーナーのアルノーさん(自称アラン・ドロン)で、
夫人のことを悪魔、扉を2枚開けなければ入れないデブ、大酒飲みなどと冗談ばかり言うので、
ガイドのNorikoさんが通訳しきれない様子でした。
カンツォーネを歌ったり、フランス人らしからぬ陽気さのアルノーさんの名調子につられて?
当たり年だったらしい2000年物を2本買って帰りました。
その隣がいつもネクタイ姿のドライバーのディエゴさん。とても気が利いて、判断が的確なので、
本当に楽に仕事をさせてもらったと添乗員Oさんの評価も高い仕事師でした。

   

 

サン・テミリオン旧市街
 

城壁に囲まれた美しい中世の街並みと、周りのブドウ畑を合わせた調和のとれた景観によって、
サン・テミリオンは1999年に世界文化遺産に選ばれたそうです。
ローマ時代以来のワイン造りの村ですが、8世紀にブルゴーニュからやって来て、
この地に庵を結んだエミリオンという聖人が街名の由来となっているそうです。
丘の上のモノリス教会前広場まで上ってから、自由に散策して、展望を楽しみました。
右下の赤いお店で、この地方のお菓子、アーモンドの香りのマカロンを買いました。(思い出される方も・・・・?)

 

   
ピエール橋とボルドーの街
   
ボルドーに戻り、ガロンヌ川対岸からピエール橋と18世紀の建物が並ぶボルドーの街の写真を撮ったり、
車窓から海洋門、移動遊園地が設置されたカンコンス広場などを見ながら、12時半頃ホテルに戻って、
ツアーのスケジュールがすべて終了、最後の半日フリータイムとなりました。
 

   

サン・タンドレ大聖堂

電線の無いトラム
グロス・クローシュ(大鐘楼)
   

アキテーヌ地方の中心都市ボルドーはガロンヌ川とドルドーニュ川が合流、ジロンド川と名前を変える直前に位置し、
大西洋と内陸をつなぐ町としてローマ時代から繁栄し、マルセイユに次ぐ古い商業港といわれています。
アキテーヌ公女エリオノールがルイ7世と離婚2ヵ月後に、後の英国王ヘンリー2世と再婚し、
この地方が英国領となった12世紀中頃から100年戦争が終結する15世紀半ばまで、
ボルドーは英国王の保護下でワインの生産を増やし、その輸出によって経済的発展を遂げたそうです。
そして18世紀にはフランスの植民地政策による三角貿易の拠点となって繁栄を極め、
その時代の建物が中心となって、現在のボルドーの美しい街並みが形成されているそうです。

そのような歴史を大雑把に思い返しながら、ボルドーの街を散策しました。
1137年に国王ルイ7世とエレオノーラが結婚式を行なったサン・タンドレ大聖堂は、
正面が北口という所が特徴的で、そのタンパンにキリストの昇天が彫られている所も大変珍しいのだそうです。
昇天中で頭が上の像に入り込んでいる図柄もユニークに思えましたので、帰国後、ガイドのNorikoさんに
質問Eメールをだしましたら、ロマネスクからゴシックに移行する時代、1330年ごろの彫刻だということでした。
グロス・クローシュは北面は15世紀、南面は18世紀と違う時代の時計を持つ大鐘楼です。

前日の夕刻ボルドーに入り、バスから眺めた街はそれ程美しく感じなかったのですが、
自分の足で歩いてみると、歴史と近代化がうまくマッチした魅力的な街であることが段々に分かってきました。
文豪ユーゴーは「ヴェルサイユにアントワープを合わせればボルドーになる」とこの街を表現したそうです。

 

   
 

少し遅めのランチを小さなカフェ・レストランで取りました。
私が選んだのは唯一メニューが読めた‘Croque Mousieur Maison’(チーズとハムのサンドイッチを焼いたもの)で、
連れ合いは隣席の若い女性の二人連れが食べていたものをそっと指差してオーダーし、
久し振りのオリーブオイル味のパスタを堪能していました。
ちょっと新しい感覚を取り入れたお店のようで、店内は空席が見つからない程流行っている様子でした。

 

   


   

昼食後は大劇場、修復中のジロンド党記念碑の建つカンコンス広場ヘ行ったり、
ワイン・ショップに入ったり、この街の名物菓子‘カヌレ’を買ったりしながら街歩きを楽しみました。
夕暮れの中に建つ像は18世紀にボルドーの大胆な都市計画を行なったコルベール地方長官です。
この優雅で美しい街並みの生みの親という訳ですね。

< コルベールによる都市計画であるというのは、AF機内誌の受け売り情報だったのですが、
この像はトゥルニー地方長官だそうで、ガイドのNorikoさんから以下のメールが届きました。
「トゥルニー将軍は、18世紀以前にあった中世の入り組んだ路地からなる都市を
アヴェニュー(大通り)と呼ばれる道幅の広い、両側に均整の取れた建造物が並ぶ現在のボルドーの景観に
作り上げた立役者と言えるでしょう。彼の統治下で多くの貴族館も建設されています。
ボルドーの埠頭にある軍艦の名称はコルベールですが、コルベールの像は特にないように思います。」
ガイドブックなども案外いい加減な情報がありますので要注意ですね。鵜呑みは怪我の元です!? 11・25追記 >

午後遅く一度ホテルに戻り、ひと休みをした後、夕食の為にもう一度街に出たのですが、
空腹を感じないし、程よいメニューのお店を探すことが出来ず、夜食用のパンだけを買って
ホテルに戻ってしまい、せっかくの最後の夜が全く冴えないことになってしまいました。

という訳で、期待のひとつ、‘食’の方は、段々尻すぼまりになった感がありますが、
ツアー・コースとしては変化もあり、見たかったもの、知らなかったもの、多くの出会いがあって、
全体的には満足できる旅だったと思いました。帰国後、数日してパリの若者達の暴動が地方都市にも
飛び火したニュースが連日のように流れ、その意味でも幸運なツアーだったと思います。

 

   
Norikoさんからもう一つご指摘をいただきました。

「サンテミリオンの格付けには3ランクありまして、上のランクから、
@プルミエ・グラン・クリュ・クラッセA(特別級Aクラス)
  シャトー・オーゾンヌとシャトー・シュヴァル・ブランの2軒
Aプルミエ・グラン・クリュ・クラッセ(特別級Bクラス)
11のシャトーが名を連ねています。
Bグラン・クリュ・クラッセ(特別級)。
 シャトー・ラニョットを含む54のシャトー。このように格付けされています。」

シャトー・ラニヨットはグラン・クリュ(特別級)のBランクではなく、
もう一つ下のグラン・クリュ・クラッセでした。ごめんなさい。

クリュ(Cru)というのは特定の気候と土壌という意味だそうで、
他の言語では一語に置き換えるのが大変難しい単語のようです。
因みにラベルのことを、フランス語ではetiquetteと呼ぶようで、
 エチケットの語源が‘嘘のラベル表示をしないこと’だったら面白いですね。 
   
                          (11・25追記)

 

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