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Oct 21 2004
 Bourge〜Orleans〜Paris
 
ブールジュを朝8時半に経ち100km北上、オルレアンに寄って観光と昼食の後、再び130km北上し、
パリ・シャルル・ド・ゴール空港から帰国の途につきました。
オルレアン
ジャンヌ・ダルクの家 ジャンヌ・ダルク
   
ジャンヌ・ダルクが1429年に10日間だけ滞在したオルレアン公財務官のジャック・ブーシェの家です。
第2次世界大戦の時爆撃で全焼したようですが、1964年に木骨組みの家を復元し、ジャンヌ・ダルクの家として
絵、写真、模型などを展示して100年戦争の様子を伝える記念館になっています。

‘神の声’を聞いて、200日間もイギリス軍に包囲されていたオルレアンをたった10日間で開放した
救国の英雄ジャンヌ・ダルクの歴史的評価は様々に問い直されているようですが、
(戦い方が余りに唐突だったのが勝因とか、イギリス軍の配備に問題があったに過ぎないとか・・・・。)
100年戦争によって国家としてのフランスが始まったということは間違いないようです。
所詮は身内同士の戦いを繰り返していたに過ぎない中世ヨーロッパに、初めて「神と王の国フランス」という
ナショナリズムを目覚めさせたのがジャンヌ・ダルクだと言われています。
フランス革命やナポレオンの「人民のフランス」に400年近くも先立っている訳ですね。
   

ジャンヌ・ダルク騎馬像 トラム
     
ジャンヌ・ダルク通り サント・クロワ大聖堂
 

サント・トロワ大聖堂の中には、ジャンヌ・ダルクが神の声を聞いてからルーアンで火刑に処されるまでを
克明に表したステンドグラスやジャンヌの礼拝堂、マルトロワ(殉教)広場には騎馬像と、
街を歩けばジャンヌにあたるオルレアンです。1435年から続くお祭は、革命の時も大戦の時も欠かすことなく、
毎年5月に盛大に行なわれているそうですし、20世紀になって公式に聖女と認定されたことなど、
現代生活にジャンヌが生きているというメンタリティは日本人の理解を超える部分があるように思えます。

街の中をモダン・デザインのトラムが走っていました。フランスのいろんな地方都市で見直され、
復活している交通手段のようです。古い建物にもしっかりと調和しています。

 

   
ロワール河とオルレアンの街 車窓風景
   

オルレアンのランチにかけていたジビエ・ランチは、ミシュラン本で目星をつけていたお店が閉店していて、
ランチ・タイムが充分にはなかったこともあり、地元の人で賑わっていると見えたお店で済ませたのですが、
これはいわば大衆食堂でハズレでした。エスカルゴが食べられただけで良しとするしかないような・・・。
帰りの飛行機で隣り合わせたフランス人と結婚したばかりという若い日本女性によると、病原菌の関係で
食べるのが禁止されているのではということでしたが真相は分かりません。
季節だからといって、どこでも出しているものではないということだけはよく分かりました。

2時15分の集合時間の数分前にバスに戻ったTSさんと私達を待っていたようにバスは出発。
(走って戻った私達を見て、バスの中から手を振ったUさんの顔には安堵の色が・・・・。)
ロワール河のビューポイントで写真を撮ってから、一路空港へ向かいました。

   
シャルル・ド・ゴール空港
 
パリ市内の渋滞を警戒して余裕を持って出発したのですが、大した渋滞にも巻き込まれず、
順調に空港到着、と思ったのも束の間、ターミナル路線に入ってからいきなりの渋滞。
ピターッと車が動かなくなってしまいました。先頭の車が見えている位置だったので、
警官達がストップさせている様子はうかがえましたが、理由は分からず、あてにしていた空港のお店での
お土産の買い物は諦めるしかないなぁ・・・・と心を決め始めた頃、突然発砲の音が聞こえ、ようやく
少しずつ車が動き始めました。後で聞いた所によると、見つかった不審物を爆破した音だったのだそうです。
パリの空港では週1回位起きて珍しいことでもないそうですが、迷惑かつ不気味な話です。

私たちが乗った全日空のターミナルは免税店は少なく、ベンチさえ置いてなく、ゆっくり出来ない所でした。
仕方なく早めにゲートまで行ったのですが、荷物チェックで初めてボディ・チェックをされてしまいました。
両手でぱたぱたと全身をたたいてチェックされたのは、女性係員とはいっても感じ悪かったです。
(向うにとっても感じが悪かったということ・・・・??)その後、いかにも団体という感じで入ってきた人達は
ノーチェックのようでした。ベンチに座って、W航空(旅行社)名物?の添乗員さん作製のおむすびを食べ、
(Uさんは6時起きをして30個結んだのだそうです。)飛行機は定刻の午後8時に空港を飛び立ちました。
 

 
 Oct 22 2004  
   Narita  
   

新潟上空から日本に戻って来ました。左写真のぼんやり赤く見えるのは、越後山脈の紅葉です。
帰国時は偏西風の関係で往きよりは少し早く到着、11時間半ほどの飛行で、
定刻の午後2時半に成田に着きました。
娘と一緒に迎えに来てくれていた孫娘に飛行機を見せに送迎デッキへ行くと、
遠くに乗ってきたANA機が見え、旅の終わりを実感させてくれました。
道路が少し渋滞していたため、帰宅は5時過ぎになりました。

 

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