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Apr 7 2006
Urk〜Giethoorn〜Zutphen
 
          ユルク                    -IK-
 
 

「おはようございます。今日は4月7日、火曜日でございます。本日の天候は晴れ。・・・」と、
Nトラベル船内駐在員Tさんの落ち着いて、ゆったりとした声の船内放送で、船の一日が始まります。
乗下船口のある3階のフロントの一角の添乗員デスクでは、Tさんを中心に5人の添乗員さん達が
ミーティングをする姿がしばしば見られました。
飛行機からでもインターネットが出来る昨今、船でもパソコンが使えるかと期待したのですが、
通信料がかなり高いようで、まだ乗客が自由に使えるパソコンは設置されていませんでした。

昨日から朝のラジオ体操が始まりましたが、私が参加したのは今日1日だけ、
同じ7時から始まる朝食のバイキング・テーブルの行列が長くなる前に朝食を済ませ、
停泊港を散歩したり、観光出発の時間まで部屋でゆっくり過ごしたりしました。
関空からの4班添乗員Fさんがラジオ体操の担当のようでした。

 

   
ヒートホールンへ向かう車窓
   

9時過ぎバスに乗車、ユルクからヒートホールンへ向かいました。
整然と美しい宅地計画がされたように見受けられるユルクの高級住宅街を抜けてしばらく走ると、
今までの田園風景とは少し違った森林地帯や畑が見えてきました。
この辺りは「スホクラントと周辺の干拓地」として1995年に世界遺産登録されている地域だそうです。
15世紀後半までは本土と繋がる半島の一部であった土地が海水に侵食され、
ゾイデル海に浮かぶ島となったものを、1920年から北海入口に建設された大堤防によって海が淡水化され、
アイセル湖と名を変えてから、大工事を行ない、東京都ほどもある広大な干拓地をフレヴォラント州として
誕生させたのだそうです。この干拓地の土地利用は農業用と定められているそうです。
オランダ人の土木工事が世界遺産に認定され、歴史に残る技術であることを初めて知りました。

 

 
ヒートホールン
 

750年にこの地に定住した人々が山羊の骨や角をたくさん発見したことから「ヒート(山羊)ホールン(角)」と
名付けられた美しい水郷の村を訪ねました。福岡県柳川市の姉妹村とされています。

泥炭の産地であったことから、運搬用の水路が張り巡らされた村の中は車の乗り入れが禁止され、
現在でも水路か自転車が交通手段とされているそうです。
そういうスローライフに憧れて、移住を希望する人が多いそうですが、茅葺き屋根など住宅規制が厳しく、
維持管理も大変で再び村を出る人が少なからずいるそうです。現在の人口は2500人。
水路、湖とも水深1mほどで、泥炭のため水は茶色く濁っていますが水質は良いそうで、
夏には子供たちが水泳を楽しむ姿が見られ、冬は水が凍結してしまうそうです。
20人乗り程のボートに分乗して、ゆっくりとオランダ又は緑のヴェネツィアと呼ばれる水郷風景を楽しみました。

オランダは日本より1ヶ月ほど春の訪れが遅いようで、写真のように木々の芽はまだ固く、
種類ははっきりとはわかりませんでしたが、水辺にはハンノキ、シラカバ、ヤナギ、クルミなど、
街路にはプラタナス、トチノキ、ニレ、カシ、ポプラなどが多く植えられているようでした。
そういう中で時々、サンシュユ、レンギョウ、ヤナギの黄色い花が目立っている所がありましたが、
これらは東洋貿易の名残りともいえる植栽なのでしょうか。
林床の花も目覚めているものはとても少なかったのですが、個人的には春の初めの季節も好きですので、
花が少ないことが予想される時期のツアーを選んだことを残念には思いませんでした。

 

 
 

12時半過ぎに船に戻って昼食後、2時からデルフト焼の絵付け体験が行なわれました。
12cm余りの正方形のタイルと筆や絵の具が用意されているラウンジに入って、手前の席に座ろうとしましたが、
奥の方が人目が少ないという連れ合いの意見に同意、一番奥の席に陣取って、ちょっと冷汗体験をしました。
何しろ筆を持つのは何十年ぶり・・・・。タイルに下絵を写し取ってもらってさえ筆の動きは不自由で、
輪郭だけ書いた後の色付けは、写真のプロさんに手を入れていただきました。
余りにも無様なものを家まで持ち帰りたくありませんし・・・。(写真のどれが私の作品かは内緒です。 )
帰国の日までに焼き上がって手元に戻って来る予定です。

 
 
ズッペンへ向けて出港する5時には時間がありましたので、TSさんと3人でユルクの町を散歩しました。
お店が並ぶメインストリートも短く、こじんまりとした清潔感のある漁師町と見受けました。
17世紀半ばにスペインから独立した時はプロテスタントの国であったオランダも、
現在はカトリックの方がやや多いお国柄となっているようです。
20世紀に出来たフレヴォラント州の町ユルクの教会はどちらの信者を集めているのでしょうか。
同じような大きさの家が並んでいる通りには木靴を干してある家がありました。
 

 
 

3時半頃部屋に戻って、「世界・美の旅 ゴッホ」のビデオを観たり、出港した外の景色を眺めたりして、
のんびりとした船旅を楽しみました。(今夜から「カサブランカ」「麗しのサブリナ」「旅情」などの
ビデオ上映を部屋で観られるようになったのですが、映画は1度も観ずじまいでした。)

今年の冬はアルプス地方に雪が多く、3月の急な暖かさで始まった雪解けで、ドナウ川沿岸では
数百年来の洪水被害が出ていると新聞で報じられていましたが、ここライン川支流でも水位が上昇し、
次の停泊地が接岸の都合でデベンデールからズッペンに変更になりました。

7時からの夕食では、あんこうのシンガポール風チリソースをメインに選びました。
デザートはウィーン風ザッハトルテと本当にインターナショナルなメニューです。
「ワインですか?ビールですか?おっきいの?小さいの?」と飲み物の注文を取りに来るピーターさんは、
数日後には名前や部屋番号を覚え、サインをする前に「部屋は216ね。」と声を掛けてくれるようになりました。

旅に慣れて来た4日目の夜は、ラウンジに班毎に集って自己紹介の時間がもたれました。
夫婦6組、1人参加が男女2名ずつの3班の盛り上がりには、他班を圧するものがあったようです。
添乗員Yさんが、偶然、私の学校の後輩だったことは旅にちょっとしたアクセントを与えてくれました。
その後、先輩風を吹かせたか、後輩の仕事を優しく見守ったかはご想像にお任せということで・・・・。

 

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