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Apr 9 2006
Antwerpen〜Brussel〜Antwerpen
 
        アントワープ             -IK-
 

朝、6時ごろアントワープ港に入港しました。(眠っていましたので、聞いた話ですが。)

この日から朝食メニューに和食が加わりました。
添乗員さん達のびっくりするような大荷物は、これらの食材のせいでもあったようです。
海外旅行中に和食がほしくなる方ではないのですが、せっかくですから、
エプロン姿の添乗員さんにお味噌汁やご飯をよそっていただきました。

 

 
独立75周年記念門 軍事博物館屋上からブルュッセル市街を展望
王立軍事歴史博物館
   

アントワープから南へ50km程、ベルギーの首都ブリュッセルまでバスで観光に行きました。

センヌ川のサン・ジェリー島に979年に築いた小さな砦ブルク・セラに語源を持つブリュッセルは
その長い歴史を重ねた古い佇まいと、EUやNATOの本部が置かれる国際都市の現代的な顔が
‘程よく混ざり合って調和が取れている。’とガイドブックに出ていましたが、
バスの車窓からみる街は調和というより、混然とした印象を受けたというのが正直な感想でした。
街の本当の良さは足で歩いてみなければ分からないというのはよく経験することで、帰国後、
少し様子が分かった所で地図を見ると、公園も多く、理想的な国際都市という評が分かるような気がしました。

ベルギーがオランダから独立して75年後の1905年に建てられた独立記念門のあるサンカントネール公園に
1時間余りで到着し、王立軍事歴史博物館へ入りました。
エレベーターで博物館屋上に上り、市街を展望した後、
軍事品、資料などを展示してある館内を自由見学しました。四方を他国に囲まれ、
いろんな国の支配を受けて来たヨーロッパの古戦場ともいうべきベルギーの古くから現代までの軍事品が
所狭しと並べられていました。この軍事歴史博物館と向かい合って美術歴史博物館があるのですが、
何故、軍事博物館の方へ入館したのかは不明で、徒歩観光に向う前の単なるトイレストップだったのかも・・・・?

   

 

王宮
ブリュッセル公園
 
王宮前でバスストップし、写真タイムが取られました。
18世紀後半にレオポルド2世によって建てられたルイ王朝風の華麗な王宮の前には、道路をはさんで、
かってはブラバン候の狩猟場だったというブリュッセル公園が広がっていました。
ブリュッセル公園をまっすぐ突き抜けた先に国会議事堂があるようです。
   

セルクラース像
小便小僧
 

徒歩観光で最初に向ったのがお馴染み‘小便小僧’の噴水です。
1619年生まれで、最も歳を取ったブリュッセル市民と親しまれているジュリアン君は、
世界各国から衣服が贈られ、650着もの衣裳持ちだそうですが、気温10℃そこそこにかかわらず、
この日は裸ん坊でした。身長は60cmほどだそうです。

右側のセルクラースというのは14世紀にフランドル伯の軍隊を追放し、ブラバント公国を救った街の英雄で、
右手に触ると幸せになるという言い伝えがあるそうですが、手ばかりでなく、全身がピカピカに輝いていました。

   

花市
市庁舎
ギルドハウス ブラバンド公の館
 
ブリュッセル観光のハイライト、グラン・プラスへ行きました。
豪奢な建物がぐるりと四方を取り囲み、ユゴーやコクトーが「世界でもっとも豪華な広場」と褒め讃えた広場です。
10世紀の終わりには小さな村に過ぎなかったブリュッセルにこのグラン・プラスの原型が出来たのは、
11〜12世紀にこの場所に市が立ってからで、その後13〜14世紀にはパン屋、肉屋、仕立て屋などの
ギルドハウスが建てられ、15世紀にブルゴーニュ公国の都となってからは、
毛織物工業や交易で栄える自治都市となって発展、これら絢爛豪華な建物が次々と建てられていったそうです。

花市は毎日、日曜日には小鳥市が立つとガイドブックに出ていましたが、この日は日曜日に当ったのですが、
小鳥市は出ていなかったようです。(鳥インフルエンザのせい・・・・?)
代わりに?近くの広場に出ていた市で、手作り陶器の鳩笛やオカリナを売っているお店を見つけ、
お土産に買って帰りました。
   
 
ブリュッセルのレストランでのランチはベルギー名物ワーテルズーイと呼ばれる鶏肉のクリーム煮でした。
ワーテルズーイは大体どこの旅行社でも選ぶメニューで、日本人の口に合うお料理のようです。
ビールの国だからと選んだのはチェリービールですが、余り食事向きではなかったかもしれません。
フランスをしのぐ美食の国といわれるベルギーの食体験をいつか堪能してみたいと思いました。
 
 

昼食後は再びバスで、アントワープへ向いました。

左は1958年の万国博を記念して造られたアトミウムと呼ばれる鉄の化学分子の模型で、
中はオフィスやレストランになっているそうです。(下車撮影)
右は1890年のパリ万博に日本が出品した五重塔をベルギーが買取ったものだそうですが、
バスの中から慌てて写したため不鮮明ですが、どこか中国風な感じがします。
いずれもブリュッセル市内から北へ3km程、アルベール2世国王が住む王宮のあるラーケン公園の中にあります。

 

 
アントワープ中央駅

ステーン城
ノートルダム大聖堂遠望
 

アントワープへ戻り、1905年にレオポルド2世によって造られたアールヌーボー建築が美しい中央駅を見学したり、
スヘルデ川沿いのプロムナードから、9世紀に要塞として造られたアントワープに現存する最古の建築物で、
現在は国立海洋博物館として使われているステーン城やノートルダム大聖堂を遠望した後、
歩いてマルクト広場へ向いました。

   
マルクト広場
 
上の写真はイタリア・ルネッサンス様式の影響を受けたフレミッシュ・スタイルで16世紀に建てられた市庁舎で、
「フランダースの犬」の主人公ネロが、絵の落選に落胆して、転げ落ちたとされる階段がこの建物の中にあります。

下の右側、ブラボーの噴水は、ローマ軍の兵士として(カエサル軍の将校だったという説もあります。)
フランドルの地にやって来たブラボーが、スヘルデ川で通行料を巻き上げる巨人の手を切って、
川に投げ込んだという伝説を噴水で表したもので、1887年にこの街の彫刻家ジェフ・ランボーによって
制作されたそうです。アントワープのオランダ語「アント・ヴェルペン」は「手を投げる」という意味なのだそうです。
華麗で豪壮な市庁舎やギルドハウスが、ヨーロッパ経済を支配した16世紀のアントワープの栄光を感じさせますが、
世界第2位の貿易港として、今もなお、この街は活気を失っていない様子でした。
 

グルーン広場
 
ノートルダム大聖堂近くのルーベンス像のあるグルーン広場では、高校生と見られる男女学生が
鬼ごっこのような遊びに興じていました。そして広場の一角のカフェでは大人達がビールやお茶を飲み、
それぞれが楽しそうな日曜日の昼下がりの光景でした。
   

「キリストの降架」
ノートルダム大聖堂の礼拝堂
 

ノートルダム大聖堂はオランダ・ベルギー最大の美しいゴシック建築の傑作です。
マリアを讃える小さな礼拝堂からロマネスク様式の教会になり、1350年から170年の歳月をかけて、
大きなゴシック教会へと拡大されていったのだそうです。
この教会で最も有名なのが(日本人にとって?)、ルーベンスの祭壇画のひとつ「キリストの降架」で、
スペインの支配下にあったバロック時代の大きな遺産です。

寒さと飢えでもうろうとしながらネロが教会に入って行くと、いつもは幕がかかっていて、
お金を払わなければ見ることが出来ないこの絵が月の光に照らしだされていたのですよね。
「おお、神様、十分でございます。」と死んでいったネロには泣かされますが、
実は「フランダースの犬」はヨーロッパではあまり読まれていない児童文学なのだそうです。
原作者がイギリスの女流作家ウィーダで、フランダース人はそんなに意地悪ではないという反発がある、
15歳になっても自分の力で人生を切り開いていかないネロに不満がある、
パトラッシュが日本人好みの忠犬ではあっても、西洋流に鍛えられた犬ではない、などと
その理由にはいろんな説があるようですが、ともあれ、日本人観光客の熱心さが
アントワープ近郊の村に観光資源としてのネロとパトラッシュの像を建てさせたというのは事実のようです。

街の中心、マルクト広場周辺を観光後、5時頃アントワープ港に停泊中のセレナーデ号に戻りました。

 

 
   

夕食はマスとサバのスモーク盛り合わせとドナウ川のナマズの白ワインソースというメニューでした。
他に豚肉の生姜焼 キャベツとごはん添えというメイン・メニューもありましたが、
やはりここは初体験!と選んでみたナマズは、それ程、特徴のある味ではありませんでした。
写真でも分かりますが、船の食事の分量はかなり日本人に合わせたものとなっています。

夕食後のイベントは、ゴディバ・チョコレートの実演販売会でした。
「16世紀の大航海時代にスペイン人がカカオを発見して、アフリカへ持って行って栽培、・・・・」と
我らが3班のYさんが少し緊張気味に説明しているのを、「Yちゃん、頑張れ〜!」と声援を送って、
余計に緊張させた一幕がありました。(Yさん、ごめん!)
因みに現在は、カカオの40%以上がコートジボワールで生産されているのだそうです。

   

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