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Apr 19 2005

Leptis Magna

 
 

1999年に国連の経済制裁が解除された後、観光産業に力を注ぎ始めたと言われるリビアの観光地の中、
ハイライトとも言うべき場所がトリポリの東120kmに位置するレプティス・マグナです。

地中海貿易の拠点として紀元前9世紀にフェニキア人によって築かれたレプティスは、カルタゴの衛星都市として
人口10万人の都市として発展したそうですが、ポエニ戦争の戦勝国ローマから自治権を認められたものの、
カエサルとポンペイウスの戦いの時にポンペイウス側についたために、ローマの属州とされてしまいます。
しかし背後に肥沃な農業地帯を持つことや中継貿易によってもたらされた莫大な利益によって街は発展し、
トライヤヌス帝(在位AC98〜117年)の時代には植民市に昇格し、カルタゴの南にある同名の都市と区別する為に、
レプティス・マグナ、‘偉大な’という形容詞をつけて呼ばれるようになったそうです。

この地に生まれ、北アフリカ出身初のローマ皇帝となったのがセプティミウス・セヴェルス(在位193〜211年)です。
ローマ帝国を軍事力で統治し、生地に大規模な造営事業を展開したセヴェルス帝によって、
レプティス・マグナは黄金期を迎えますが、セヴェルス帝自身はブリタニア遠征中にヨークで没し、
繁栄した街を自らの目で見ることはなかったそうです。

ローマ衰退後、ヴァンダル人の侵入、ビザンチンの支配を経て、7世紀半ばに街はアラブによって破壊されて泥沼化、
やがてサハラ砂漠からやって来る砂に埋もれ、人から忘れ去られて1200年もの長い間眠りについていたそうです。
それが1921年にイタリア人考古学者ロマネッリによって発掘され、砂に守られたお陰で優れた保存状態のまま、
人々の前に姿を表し、40haにも及ぶという大都市の発掘はまだ40%程度しか進んでいないそうですが、
1982年に世界文化遺産に認定されています。

左の写真は博物館の前庭に立つセヴェルス帝の銅像、右はレプティス・マグナの大通りの交差点に聳え立つ
セヴェルス帝のパルティア戦勝記念に建てられた凱旋門です。4つのアーチを組み合わせた4面門は、
エジプト産花崗岩のコリント式円柱が配され、皇帝の業績を讃えた大理石のレリーフで飾られています。

   

 
フェニキア時代の壷と石棺ローマ時代の骨壷
融和を意味するライオンと牛の彫刻「木を切らないで!」と頼んでいる犬


人・ひと・人・・
アウレリウス帝時代の女性歌手
 
1994年創設の博物館で、フェニキアからビザンチンまで時代毎に分けられた展示物やカダフィ大佐の間を
見学しました。レプティス・マグナの出土品ではないらしいですが、平和と勝利が同義語のような時代の
ライオンと牛の表現、大木を切った為に農業の生産力が落ち、ひいては街の衰退をよんだ古代の街を
明確に洞察しているかのようなローマの彫刻に興味を惹かれました。
大理石のギリシャ風彫刻のテクニックにはいつも感心させられますが、人体は首から上を替えて使い回しを
したのだそうです。文字通り‘首のすげ替え’がされていた訳ですね。
 

   
   

博物館見学の後、バスに乗って中心街から少し離れた円形闘技場やサーカスの跡を見に行きました。
大きな岩盤をくり抜いて作ったといわれる闘技場は15000人を収容したといわれています。
戦車競技が行なわれたサーカスの形状を実感したり、ネロ帝時代に築かれた防波堤やセヴェルス帝が作った
灯台跡を遠望しました。‘パンとサーカス’と表現されるローマ人の生活が、ここ北アフリカ属州でも
同じように繰り広げられていたというのが不思議な感じがしました。
想像を超えたスケールの古代ローマ帝国の繁栄と衰退を知っているのは地中海だけかもしれません。

   
 

昼食後、レプティス・マグナの中心街を見学しました。
轍の跡や下水道跡が残る大通りを通って、スポーツ競技場、ハドリアヌス帝の浴場へ行きました。
ローマ人も無類のお風呂好きだったようです。冷浴室、温浴室、熱浴室、サウナ、トイレなど完備したバスは、
市民の会合や商談の場としても使われたそうです。
因みにローマに残るカラカラ浴場の建造者はセヴェルス帝ですが、カラカラ帝時代に完成したため、
息子の名前で呼ばれることになりました。

   
 
遠足にきた小学生の一団です。「ハチが来た!」とガイドさんが言っていましたが、うるささを表現する言葉は
どの国にも共通性があるようですね。引率の女性教師からリビアの印象などをインタビューされました。
右はセウェルス帝が新設したバシリカ(商取引や裁判所としても使われた集会所)の壁面に施された
繊細な浮彫りです。砂岩としっくいで作られていた建物が、街の発展と共に、花崗岩や大理石に替わり、
芸術性も高まり、贅を尽くしたものになっていったようです。
 
 
左はセヴェルス帝フォーラムを守護する海の精‘メドゥーサ’のレリーフ、右は宝石、農・海産物、奴隷、猛獣などが
運び込まれた市場跡です。長さを測る升目が彫られた計測版や穀物の体積を測る穴の開いた岩石、
商品を載せる台などが残されていました。
 
 

砂岩や玄武岩を積み上げただけのティベリウス帝(在位AC14〜37年)の凱旋門と、
1世紀に富裕な商人が寄贈した野外半円形劇場です。舞台背後の列柱はアウグストゥス神殿と呼ばれています。
劇場の最上部からの絶景を堪能しました。ツアー全員での記念撮影にも絶好のロケーションでした。

 

   
ムハンマドの生誕を祝う町の賑わい 神秘主義者のパレード
 
朝9時に出発し、レプティス・マグナをゆっくり観光して、夕方6時半過ぎにホテルに戻って来ました。
7時過ぎに再びロビーに集合して、バスでシーフードレストランへ行きました。(料理篇ページの魚が並んだお店。)
「お腹の調子が余りよくない。」とパスする積りだったYSさんも、高級レストランと聞いては行かない訳には
いかなくなったご様子です。レストランのテラスから水平線に沈んでいく太陽が見られました。
 

 

 

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