1999年に国連の経済制裁が解除された後、観光産業に力を注ぎ始めたと言われるリビアの観光地の中、
ハイライトとも言うべき場所がトリポリの東120kmに位置するレプティス・マグナです。
地中海貿易の拠点として紀元前9世紀にフェニキア人によって築かれたレプティスは、カルタゴの衛星都市として
人口10万人の都市として発展したそうですが、ポエニ戦争の戦勝国ローマから自治権を認められたものの、
カエサルとポンペイウスの戦いの時にポンペイウス側についたために、ローマの属州とされてしまいます。
しかし背後に肥沃な農業地帯を持つことや中継貿易によってもたらされた莫大な利益によって街は発展し、
トライヤヌス帝(在位AC98〜117年)の時代には植民市に昇格し、カルタゴの南にある同名の都市と区別する為に、
レプティス・マグナ、‘偉大な’という形容詞をつけて呼ばれるようになったそうです。
この地に生まれ、北アフリカ出身初のローマ皇帝となったのがセプティミウス・セヴェルス(在位193〜211年)です。
ローマ帝国を軍事力で統治し、生地に大規模な造営事業を展開したセヴェルス帝によって、
レプティス・マグナは黄金期を迎えますが、セヴェルス帝自身はブリタニア遠征中にヨークで没し、
繁栄した街を自らの目で見ることはなかったそうです。
ローマ衰退後、ヴァンダル人の侵入、ビザンチンの支配を経て、7世紀半ばに街はアラブによって破壊されて泥沼化、
やがてサハラ砂漠からやって来る砂に埋もれ、人から忘れ去られて1200年もの長い間眠りについていたそうです。
それが1921年にイタリア人考古学者ロマネッリによって発掘され、砂に守られたお陰で優れた保存状態のまま、
人々の前に姿を表し、40haにも及ぶという大都市の発掘はまだ40%程度しか進んでいないそうですが、
1982年に世界文化遺産に認定されています。
左の写真は博物館の前庭に立つセヴェルス帝の銅像、右はレプティス・マグナの大通りの交差点に聳え立つ
セヴェルス帝のパルティア戦勝記念に建てられた凱旋門です。4つのアーチを組み合わせた4面門は、
エジプト産花崗岩のコリント式円柱が配され、皇帝の業績を讃えた大理石のレリーフで飾られています。
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