[ホーム] [目次]

 
Apr 24 2005
Tunis〜Carthage〜Sidi Bousaid
 
 
チュニスからバスで30分ばかりの所に歴史にしばしば登場するカルタゴの街がありました。
左がカルタゴが地中海で覇権を握っていた頃の街の再現図です。
中央上に見えるのがビュルサの丘、手前の左手が商業港で、奥の丸い形をしている方が軍港です。
220隻もの軍艦を停泊させることができたという直径300mの軍港の中央の島は縁が斜めになっていて、
木造船を引き上げることが出来たという画期的な構造を持っていたそうです。

「これ程も豊穣な果実を産出する力を持つ敵が海路三日の距離にいる。」とカルタゴ産の見事なイチジクを見せて、
元老院でカルタゴ壊滅を主張したカト−らローマ軍によって、第三次ポエニ戦争によって滅ぼされたカルタゴは
「ローマ人が神々に呪われた地にするやり方で、一面に塩が撒かれた。・・・草も生えず、人間が住めない不毛の地
と断罪された。」(塩野七生「ローマ人の物語」)後、100年後に新たにローマの街として生まれ変わったそうです。
写真はビュルサの丘で写した真正のカルタゴ産イチジクです。(ちょっとわざとらしい・・・??)
   

 

わずかに残るカルタゴ遺跡のひとつ、ポエニ人(フェニキアのラテン語読み)の聖なる広場‘トフェ’で、
フェニキア人が信仰するバール・ハンモン神とカルタゴの守護神タニト神(右画像)が祀られています。
ここから人身御供にされた幼児の骨がたくさん見つかり、カルタゴの幼児の生け贄習慣が有名になりましたが、
それはカルタゴのイメージを落とす為のローマ人説であるとか、自然死や動物の骨説など異論はあるようです。
(カルタゴが平和な時代の神へのいけにえは動物や自然死の子供であったことは確かなようです。)
墓石がたくさん並んでいるだけの場所に、ミモザやケシが彩りを添えていました。

 
左は軍港、右はビュルサの丘からみた現在のカルタゴの街です。
古代ローマの後、またアラブに壊されてしまった廃墟のような街を想像していましたので、
バスが素晴らしい高級住宅地の中を走った時には、思わず目を疑ってしまいました。
大統領官邸もありましたが、写真厳禁という所に、わずかに政体の違う国の匂いを感じるようでした。
右の写真の遠景はチュニス湾をはさんで見えるボン岬で、最も高い峰はシディ・アブドゥール・ラハマーン山、
高さが637mあり、昔の航海の目印とされていたようです。
 
ローマ五賢帝の一人、アントニウス・ピウス帝建造の浴場です。
紀元145年に着工、162年に完成したこの浴場はカラカラ帝、ディオクレティアヌス帝の浴場に次ぐ
ローマ帝国3番目の規模で、3.5平方kmの敷地面積を持っています。
水は124kmもの長さのローマ水道橋を使ってザグーアンから供給していたのだそうです。
サウナ、プール、更衣室、サロンなど部屋数は100以上・・・・想像を絶するスケールです。
 
 
20世紀初頭に発見されたビュルサの丘に残る紀元前2〜3世紀の古代カルタゴの住居跡です。
整然と区画整理されたこの区域に、2〜6階建ての木造住宅が建っていたそうです。
各戸毎に貯水槽を備えている様子がうかがえました。
左の石の列柱は台地を拡張整備したローマ時代の土留めだそうです。
こんな遺跡を遊び場所にしている子供達がいるのはお国柄なのでしょうか。
 

   
   

ビュルサの丘の上にある国立博物館に寄り、カルタゴの古い出土品や街の模型、すっかりお馴染みになった
ローマ時代の彫刻、モザイク画などを見て回りました。 目をとめた大理石の若い女性像は、
ピウス帝時代のプリンセスで、オリジナルはルーブル美術館にあるとのことでした。
チュニジア統治中にフランスへ運ばれたお宝は数知れずあることでしょう・・・・。

 

   
   
 
チュニジアで最も美しいといわれる街、シディ・ブ・サイドでランチを食べた後、街の中を散策しました。
1231年にメッカからの帰りに立ち寄り、ここへ住むことに決めたモロッコのカリフ、アブ・サイド・エル・バジが
この街の名前の由来になっているそうです。彼はこの街の守護聖人となり、お墓も残されているとか。
白と青(チュニジアン・ブルーと称されている)だけの家々が立ち並ぶ街並みはリトル・ギリシアとも呼ばれ、
チュニジア有数の観光地となっているようです。
下の左は古い家を改築したダル・エル・アンナビ博物館、右は世界最古の喫茶店と言われる
‘カフェ・デ・ナット’です。ヨーロッパとアラブがうまく調和したような美しい街でした。
 

 

 

   
  カルフール ホテルからの眺め
 
カルタゴ観光の帰り道にスーパー‘カルフール’に寄りました。
スーパーといっても、ヨーロッパ・ブランドのお店も並ぶ巨大商業施設という感じでした。
チュニジア・ディナールを使い果たす最後の買い物は計算が大変でしたが、
高級ワインが1000円ほどで手に入るうれしい国でもありました。

ホテルに戻って、TSさんのお部屋でお茶をいただいたり、荷造りをして3時間ほどのフリータイムを過ごした後、
7時にロビーに集合して、バスで最後のディナーレストラン‘グラン・ブルー’へ行きました。
おいしいシーフード料理を堪能しながら、北アフリカ4000kmの旅の余韻に浸った楽しい最後の晩餐でした。
 

 

 

[目次]