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2015・2・16 (月)
室戸~吉良川~安田~前浜~国分寺~高知

部屋からの眺め(6時半)

早朝プログラムに参加

2日目の天気予報は雨と曇りマークでしたが、5時半頃に起きると、東の空が少し白み始めているようでした。

「KUKAIテラピー 日の出15分前にフロント前集合」
「室戸が日の出を迎える頃、ジオパーク内の絶景ポイントへご案内し、朝日のパワーをもらいながら、軽い瞑想ストレッチを行います。
空海が悟りを開いたことでも知られる室戸岬で、幸運をもたらすという“だるま朝日”(=太陽の蜃気楼現象)にも出会えるかもしれません。
太陽と海と大地のエネルギーに包まれて、心身ともに浄化されるひとときをお過ごし下さい。」という
前日予約のプログラムに参加するために、夜が明けきらない6時半に部屋を出て、2日目が始まりました。




ワゴン車で月見ケ浜へ行き、配布された目覚めの?黒砂糖を口に、簡単なヨガを教わりながら6時46分の日の出を待ちました。
残念ながら朝日を見ることは出来ませんでしたが、雨も覚悟をしていましたので、降らなかっただけでも幸いと思えました。

7時前にプログラムが終わった後、私達は車ではなく、歩いてホテルへ戻ることにしました。
「悠久の歴史を感じさせる自然の宝庫。白亜紀(約一億年前)から現在にかけて、地球のダイナミックな営みによって生じた地質や地形、
珍しい亜熱帯植物や天然記念物の植物などを間近で観察することができます。」という乱礁遊歩道が
岬の先端から北東へ向けて海沿いに約2km整備されています。





岩礁に打ち寄せる波や奇岩、巨岩、そして国の天然記念物に指定されている亜熱帯植物アコウなどを見ながらの早朝散策は、
寒さすら爽快に感じられるようでした。
岩に根を絡ませ、樹高を低く保っているアコウには台風などから自らを守る環境への適応が見られます。
ウバメガシやトベラなどの林沿いに、それ程多くはありませんでしたが、海岸植物の花を見つけることもできました。


    
ハマダイコン                    シオギク                      ハマナデシコ


烏帽子岩

約1400万年前の海嶺地下深くで1000℃を超えるマグマがゆっくりと冷えて固まって生成された斑レイ岩が、
地殻変動によって移動、隆起して陸上に現れ、垂直に回転して生まれたという烏帽子岩やビシャゴ岩が
遊歩道で一際目立つ存在感を見せていました。
散策中に僅かに太陽が見える瞬間もありましたが、この日は概ね、曇り空の一日となりました。



タフォニ

ポットホール

岩の隙間にしみ込んだ海水が蒸発し、塩の結晶が成長して岩の亀裂が広がり、成長した部分の表面がはがれて出来る穴が
タフォニと呼ばれる塩による風化現象です。
ポットホールは岩石の小さな窪みや割れ目に入った小石が波による渦に巻かれて岩石を削ることによってできた丸い穴で、
水中で形成されたものが地上でみられることが隆起の証拠となっています。



おさごと呼ばれた美人が舟でやってくる男たちへの煩わしさに耐えかねて、巌頭より投身自殺したという伝説を持つビシャゴ岩や
弘法大師が行水をしたと伝えられる池など伝説を持った岩もありました。
行水の池は海抜6mに位置し、下部の波に削られた海食窪(ノッチ)が隆起の歴史を伝えています。

ユネスコの環境・地球科学部門の支援で2004年(平成16)に世界ジオパークネットワークが設立された後、
2008年(平成20)に日本ジオパーク委員会が設立され、全国36地域を日本ジオパークとして選定、
その中の7地域が世界ジオパークに認定されています。
ジオ(geo=地球・大地)パーク(park=公園)は地球の活動を見所とする「大地の公園」とも称される自然遺産ですが、
岬沖140km地点にフィリッピン海側プレートとユーラシア陸側プレートがぶつかる南海トラフがあり、
地震の度に数10cmから数mという世界でも類を見ない速度で進行する隆起によって形成された室戸岬の景観は、
国内で5番目に世界ジオパーク選定された地球遺産です。


  

散策が少し長くなり、7時45分頃にホテルへ戻りましたので、予約の7時半を過ぎた朝食となりました。
卵の料理法やベーコン、ソーセージ類はリクエスト、その他はビュッフェ形式で、ゆっくりと朝食をいただいた後、
ホテル予約時から申し込んでいた「室戸ジオパーク ガイドツアー」に9時に出発しました。



ガイドツアーに参加したのは私達3人だけで、ジオガイドの「おおにしさん」と車でホテルを出発し、最初に案内されたのが、
「ホテルが造ったもので、全く意味はありません」という昭和59年に建立された高さ21mの「青年大師像」でした。
内部には木片に残る弘法大師の手形や胎蔵界曼荼羅のステンドグラスなどが展示され、ランドマークにはなっているようでした。
車窓から撮った遭難した方角を向いている海難者供養の水掛地蔵は地域の歴史や風習を伝えて興味深いものでした。



御厨人窟(みくろど)

神明窟(しんめいくつ)

弘法大師(774-835)が19歳の時に修行して悟りを開いたと伝えられ、室戸のパワースポットとされる2つの洞窟へ行きました。
洞窟前は波食台、内部は海蝕洞、上部は海食崖という地形になっていますが、
神明窟は2012年秋に落石があったそうで、立ち入り禁止となっていました。
御厨人窟で寝食、神明窟で難行を積んだと言われる弘法大師に見えたのは空と海だけだったことから、
空海という法名を得たと伝えられる洞窟です。
御厨人窟は大国主命、神明窟は天照大御神を祭神とし、鳥居の形にも明神鳥居と神明鳥居の違いが見られました。


五所神社 日本の音風景百選

法性の室戸といえど我が住めば 有為の浪風よせぬ日ぞなき  空海

弘法大師が阿波の大滝峡から来て、難行苦行を重ねて虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を修め、
三教指帰(さんごうしいき)のさとりを開いたと言われる洞窟内部からの風景は環境庁の「日本の音風景百選」に選ばれています。
現在は海抜10mに位置していて、辛うじて、海面を見ることが出来ました。

ニューヨーク・タイムズが1月に発表した「2015年 世界で訪れるべき52か所」によると、
「昨年開創1200年を迎えた四国八十八か所霊場が日本から唯一選定された」と日経新聞(2月16日付)に報じられていました。
遍路に魅せられ、自らを「お四国病」と称する人達も少なくないようですが、巡礼は今、世界的ブームのひとつと言えるのかもしれません。



室戸ジオパーク インフォメーションセンターに駐車し、山道を少し上って、展望台からの太平洋の景観も楽しみました。



海と陸のプレートが出会うことに掛けた「恋人の聖地」という2006年に設置された‘地域活性’モニュメントが展望台にありましたが、
観光客増加に寄与しているのでしょうか、私には全く理解できない感覚です・・・。


  

弘法大師が土地の者が洗っている芋を見て乞うた所、「食えない芋だ」と答えたことによって本当に食べられなくなったと伝えられ、
現在は胃腸の妙薬とされているクワズイモや集団越冬中のオオキンカメムシなど、山の途中の生物観察も楽しみました。

 

再び国道55号線まで下り、幕末に坂本龍馬とともに活躍した明治維新の勤王の志士、中岡慎太郎を讃えて、
昭和10年に安芸郡青年団が中心となって建立した銅像を見学しました。
この像は桂浜の龍馬像と向き合っているという説もありますが、
龍馬はアメリカ、慎太郎はオーストラリアを向いている、というのが現在の通説とされています。
慎太郎像の台座に使われている斑レイ岩には室戸でも最大級の輝石、斜長石の結晶が見られました。
マグマがゆっくり冷えると結晶が大きくなり、早く冷えると小さくなると言われています。



銅像前から1600万年前の深海のタービダイト地層がある潅頂ケ浜へ降りて行きました。
地震などをきっかけに砂や泥が混じりながら海底の斜面を流れ下り、より深い海へ運ばれ、重い砂の上に軽い泥がつもり、
砂と泥をくりかえして出来たのがタービダイトという地層で、
ここで出会ったのは室戸半島の盛り上がりによって地層が80~90度回転したという驚異の姿でした。
これは言葉にならないダイナミックさで、ただ「すごいねぇ」と見上げるばかりでした。



砂岩の中に泥が固まって出来た岩石や生物の化石(人がはがした無残な痕跡・・・)なども見ることが出来て、
悠久の大地の歴史が目前に広がる室戸岬は、地質学者ならずとも間違いなく好奇心をかきたてられるミラクル・スポットです。


牛角岩

沖合の小さな岩に人影

牛角岩や釣り人の人影が見える沖合の小さな岩(近くに小舟が待機しているようでした)などを見ながら、
推定樹齢300年といわれる巨大なアコウまで案内していただきました。
年輪を形成しない亜熱帯植物のアコウは推定しかできないそうですが、このスケールには圧倒されてしまいました。


再び、早朝体操をした月見ケ浜へ戻り、風見鶏ならぬ風見鯨を置いた駐車場からホテルへ帰りましたが、
1時間半予定のガイド・ツアーが2時間近くになり、11時ぎりぎりのチェックアウトとなってしまいました。


フロントでお土産を買物した後、ウトコ オーベルジュを後にしましたが、地域柄とホテルの規模のせいでしょうか、
一人で何役も勤めるスタッフ達が車が見えなくなるまで手を振り続けてくれた姿が印象的でした。



室戸岬を出発する前に、最御崎寺のほど近くにあると知りながら、昨夕見逃してしまった灯台に立ち寄りました。
明治32年4月1日に初点灯された白亜の灯台は日本最大級の直径2.6mのレンズを持つ室戸岬のシンボル的な存在で、
「日本の灯台50選」のひとつに選ばれています。
1934年(昭和9)の室戸台風、1946年(昭和21)の南海地震の時にレンズが破損し、修理が行われましたが、
鉄造りの灯塔にはほとんど被害がなく、建設当時の姿を留めているそうです。
当初、石油を使っていた光源は、1917年(大正6)12月に電化されています。


    
セントウソウ                    スイゼンジナ                      ヤマアイ

最御崎寺や灯台がある山の中腹で見かけた花に海岸地方の春の訪れの早さが感じられました。
スイゼンジナは熊本県水前寺で古くから栽培、加賀野菜など諸説あり、キンジソウとも呼ばれると知人から教わりました。
熱帯アジア原産で鑑賞用、食用に栽培されていますが、野生化、逸出が増えているようです。




    

昼食は昨夕、「春つげ御膳」を予約しておいた「駒季」というお店で取りました。
地元の人達が利用する小さなお店で、一度は見落として、前を通り過ぎてしまいましたが、
12時の予約にはほぼ間に合うことが出来ました。
左のお膳はナスのたたき、マンボウ煮物、ブリ、ヒラメ、カツオのお刺身、菜の花のお浸しなどで、
「春つげ御膳」の由来は右写真のハマアザミやフキノトウの天麩羅という訳でした。
今が旬のハマアザミが狙いでしたが、鮮度の良い地元の食材の数々に満足感のある昼食となりました。



1時過ぎに室戸市吉良川町に到着しました。
鎌倉時代の「京都石清水八幡宮文書目録」に木材の産地として記載されている吉良川は
古くから木材や薪などを京阪神に移出して繁栄していましたが、
明治10年頃から近隣で産出するカシ、ウバメガシを使って木炭生産を始め、
大正期に入ると製炭技術がさらに向上し、日本を代表する良質備長炭として京阪神へ送り出されるようになったそうです。
また帰りの船で日用品などを積み帰る回船交易によって、経済の繁栄と共に、京阪神の文化も取り入れられたと言われています。



そうした繁栄の時代を伝える回船問屋や米穀商、炭屋などの商家や蔵などの町並みを往時のままに残す一帯は、
1997年(平成9)10月に高知県で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定を受けています。
雨が壁面に直接かかるのを防ぐために土佐漆喰の白壁に取り付けられた「水切り瓦」とよぶ水仕舞いの小庇、
浜石や河原石を空積みや練積みにした「いしぐろ」と呼ぶ石垣塀が厳しい気候風土に対応しながら、
独特の美しい町景観を造り出していました。



丘のふもとに鎮座する誉田天皇(=応神天皇)、神功皇后、比羊神(神道の女神)を祭神とする御田八幡宮にも立ち寄りました。
西暦奇数年の5月3日に行なわれる御田八幡宮の御田祭では鎌倉時代から伝わる田遊、田楽、猿楽などの古典芸能が奉納され、
土佐の奇祭として国の重要無形民俗文化財となっています。



推定樹齢500年以上、胸高直径160cm樹高27mの「御田さんのクスノキ」が悠然と枝を広げ、
八坂神社や稲荷神社もある広い境内で大きな存在感を見せて、土地の長い歴史を語りついでいるようでした。

[第27番] 竹林山 神峯寺(こうのみねじ) 地蔵院

1時半に吉良川を出発して国道55号線を西へ向かう途中、「4.5km」の標識を見て、神峯寺へも寄って行くことにしましたが、
関所寺といわれるだけあって、車でさえ、まだ?と言いたくなるような標高630mの頂上の山深くにあり、
仁王門から本堂までも長い石段が続いていて、お遍路さん泣かせを思わせる27番札所でした。
関所寺というのはお大師様の審判を受ける札所で、四国各県に1か所ずつある県一番の難所と言われています。

神功皇后が三韓征伐の折、戦勝を祈願して天照大神など諸神を祀った後、行基が十一面観音像を刻んで本尊とし、
聖武天皇の勅令を受けた弘法大師が大同4年(809)に伽藍を建立したというのが本寺の縁起で、
明治の神仏分離令で廃寺になった後、明治時代半ばに再興されています。
また三菱の創業者・岩崎弥太郎の母が息子の開運を祈って、安芸市井の口から片道20kmの道を21日間欠かさず参詣し、
願いを叶えたという話も伝えられています。

安田の神峯寺を出発して安芸市に入ると、周辺が海だった頃に波の浸食で出来たという伊尾木洞があり、
大正15年に国の天然記念物指定を受けた熱帯性のシダ群落が見られるという情報を得ていましたが、
足場が悪く、駐車場もない上、従弟から「つまらない」とも聞いていましたので、少し心を残しながら、割愛することにしました。


  

3時過ぎに前日昼食を取った「安芸水産」に再び立ち寄り、ちりめんじゃこを宅急便で送ってもらうことにしました。
ちりめんじゃこをキロ単位で買うなどというのは、産地でしかあり得ない買い方と言えそうです。
「じゃこサミット人気投票3位」の「じゃこソフトクリーム」なるものも試してみましたが、
ソフトクリームにちりめんじゃこをトッピングという奇妙なコラボは、甘さと塩味ミックスが売りのようでした。



安芸市から1時間近く、高知龍馬空港へ近付いた所で、戦時中に造られた飛行機用の防空壕「掩体」を探して、少し遠回りをしました。
戦後、住居として使われたり、資材置き場ともされている「前浜掩体群」は、
近年になって基礎の形状や内部の確認、発掘調査などが行なわれているようで、
整備されたもの、崩壊気味のもの、大きさも様々なものが、畑の中に点在しているのを見ることが出来ました。


[第29番] 摩尼山 国分寺 宝蔵院

2日目の最後に龍馬空港と同じ南国市にある国分寺へ寄りました。
天平13年(741)に聖武天皇の勅願によって建立された官寺のひとつで、行基による千手観音菩薩像、不動明王、毘沙門天を蔵し、
聖武天皇の写経、金光明最勝王経も収められていると伝えられています。
弘法大師によって第29番札所として中興された後、長宗我部氏、山内氏の庇護の元に発展、
天平時代の建物を模した寄棟造りの杮葺きの金堂、薬師如来像2体、梵鐘が国の重要文化財とされています。
また創建当時のものと考えられている古瓦や土塁、紀貫之が土佐守として赴任した国衙跡が残り、国史跡の指定も受けています。
初めて訪れた国分寺でしたが、手入れが行き届き、落ち着きのある境内に、由緒ある歴史や風格が感じられました。


  
  
5時前に国分寺を出て、高知市の中心に位置する「ブライトパークホテル」に5時40分にチェックインしました。
利便性重視で選んだビジネスホテルは簡素ですが、ロケーションは申し分ありませんでした。




    

    

6時半に姉とロビーで待ち合わせ、ホテルから徒歩1分ほどの「魚頭大熊」で夕食を取りました。
水産会社直営の居酒屋とあって、カツオやサバの鮮度、美味しさは抜群で、
ウツボの唐揚げやマダケの新タケノコ焼きという初物もいただき、「胃袋が3つほしい」と次女が残念がる高知の味堪能の夜でした。



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