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2023・10・16
高知~牧野植物園~竹林寺~東京 |
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高知旅最後の朝は、昨夜、兄宅で食べきれずに持ち帰った田舎寿司の朝食後、
お土産などを宅急便に出して、8時半にホテルを出発しました。
3連泊したRichmond Hotelは高知一の繁華街、帯屋町に位置し、利便性の良さは申し分ありませんでした。
ホテル近くに「高知城下町名今昔」という立札があり、
「江戸時代初期、豪商帯屋勘助が住んでいたことに由来する町名。西端に高知城の南門や藩主の下屋敷があり、
「御屋敷筋」または「会所筋」とも言われた。その後町家はなくなり、
家老深尾家(佐川)、五藤家(安芸)の廓中屋敷、南会所(藩庁)、参政吉田東洋の屋敷などがあった」とありました。
帯屋町を抜け、はりまや橋のとさでん交通サービスセンターのコインロッカーにキャリーなどを入れて、
高知駅9時、はりまや橋9時8分のMY遊バスで五台山へ向かいました。
バスを待つ間に撮ったアンパンマン写真ですが、再来年春のNHK朝ドラが「あんぱん」に決まって、
お披露目のチャンスを得ました。
「らんまん」に続く「あんぱん」とは微妙なネーミングですが、地域おこしに一役買ってほしい所です。
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1日9便(休日は3便増)のMY遊バスは、はりまや橋で積み残しが出るのではという程の混みようで、
都会のラッシュ時並みの立ちっぱなし車内でしたが、数分遅れで9時半に牧野植物園正門前に到着しました。
最近のニュースで10月の来園者が5万4838人(昨年同月の3倍)に上り、月別史上最多となったと報じられ、
「らんまん」が始まった4月以降の来園者も過去最多の30万人を突破して記録更新、
番組が終わって落ち着くと思っていたら、むしろ増えたことに園側も驚いているとのことでした。
観光バスでやって来る団体もかなりいましたが、8haという広い園内では混雑感もなく、
正門を入り、牧野富太郎記念館本館(チケット販売所)まで続く「土佐の植物生態園」だけでも、
様々な植物に出会え、更に回廊から展示館へ向かうと、
ジョウロウホトトギスやKochiana Makinoの学名を持つビロードムラサキなど見たかった植物にも出会えて、
一気にテンションが上がった上、充実した樹名板には下のような親切な情報もついていて、
ゆっくりとストレスフリーに植物観察を楽しむことができました。
タニジャコウソウ キバナアキギリ ヤマジオウ
ヨシノアザミ ヨツバハギ アキチョウジ
ソナレノギク ハマアザミ ヤマトグサ
ビロードムラサキ ホトトギス ビロードツキヌキホトトギス
ジョウロウホトトギス オオクサボタン シコクチャルメルソウ
ヒキオコシ トラノオスズカケ スエコザサ
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牧野富太郎の94年の生涯を紹介、採集道具や研究道具、ノート、日記、直筆の植物図、蔵書、写真などを
展示している記念館展示室は何度も見ていますが、「らんまん」後に見ると、
伊藤圭介揮毫の繇條書屋(ようじょうしょおく)扁額、池長孟氏との覚書など改めて目を引かれるものがありました。
46億年前の地球誕生から生物、植物の誕生を説明したパネル、2019年に開設された4K映像シアターなど、
学習も出来る展示室はまたゆっくりと展覧する機会を得たいと思いました。
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ヨコグラノキ ムジナモ ハナカズラ
ハマナデシコ トウテイラン ダンギク
コムラサキ シマシャジン ダルマギク
サキシマフヨウ ヒトツバタゴ トビカズラ
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牧野富太郎ゆかりの植物が植えられた展示館中庭を見た後、1963年築の「資源植物研究センター」跡地に、
今年5月にオープンした「植物研究交流センター」3階のレストラン「C.L.GARDEN」へ行きました。
「ふもとの市場で仕入れたお魚ランチ」を選択、鯛のアクアパッツァをいただきましたが、
食後、レストランの外に行列が出来ているのを見て、11時頃、早めに入店したことが正解だったことが分かりました。
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温室 |
牧野富太郎像 (1974年建立) |
植物研究交流センターから温室を遠望した後、牧野富太郎像へご挨拶に立ち寄りました。
牧野博士が手にするのは「にぎりたけ にぎりがいなき ほそさかな」という句を残すカラカサダケですが、
銅像のモチーフに選ばれた理由は不明だそうです。
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東洋の園芸植物を鑑賞するために2008年に誕生した「50周年記念庭園」や
蛇紋岩植生園、石灰岩植生園を一周した後、2010年にリニューアルされた温室に立ち寄りました。
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フジバカマ シラヤマギク ショウキズイセン
カワミドリ マメヅタラン ヒメヒゴタイ
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温室 みどりの塔 |
パナマソウ ベニノキ オニバス
大木の洞窟をイメージした高さ9mのみどりの塔からジャングルゾーンに入ると熱帯の世界が広がっていました。
いつも時間切れで割愛して来た温室を中心とした南園も随分と整備されて、
充実したエリアになっていましたが、今回もやはり駆け足観察になってしまいました。
遍路道
牧野植物園で他に類を見ない特徴の一つが園内の所々に残る「遍路道」だと思います。
今回は南門が工事閉鎖中だったため、利用すべき中門手前の竹林寺最寄りの遍路道を抜けて、
にわか遍路になって竹林寺へ向かいました。
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竹林寺仁王門
竹林寺は聖武天皇の勅願により行基によって唐の五台山になぞらえて724年開創された寺院で、
続く大同年間(806~809年)に四国回国の空海が修行して中興したことによって、
四国霊場第31番札所に定められました。
藩政期には土佐藩主祈願寺として興隆しましたが、明治初頭の廃仏毀釈の衰退期を経た後、
復興整備が進められて、現在は往古の姿を取り戻しています。
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書院
藩主参詣の際の接待殿として12代藩主山内豊資(とよすけ)によって1816年に造営された書院は、
唐破風付きの切妻造玄関、入母屋造の主屋が四国地方では稀な近世の書院建築として
2016年に国の重要文化財の指定を受けています。
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池泉庭園
書院を囲んで広がる庭園は1318年に土佐へ来錫し、五台山西麓に吸江庵を結んだ禅僧の夢窓疎石によって、
作庭されたと伝えられ、2004年に国の名勝とされています。
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虚空蔵堂 |
宝物館 |
宇宙のような無限の知恵と慈悲が収まる蔵を意味する虚空蔵堂に対面して、
十一面観音立像、阿弥陀如来立像、大威徳明王像、愛染明王坐像、増長天立像、多聞天立像など
平安時代から鎌倉時代の土佐を代表する国重要文化財の木造仏像17体を奉安する宝物館がありました。
(館内は撮影禁止、音声ガイドあり。)
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本堂 |
五重塔 |
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古来の三重塔が1899年の台風で倒壊後、総檜造りの鎌倉時代初期の様式で1980年に再建された五重塔は
高さ31mの堂々とした姿が目立ち、五台山のランドマークともなっています。
2代藩主山内忠義が1644年に造営した本堂は竹林寺に残る最古の建造物で国重文の指定を受けています。
京都切戸と奈良安倍の文殊と共に日本三文殊(異説あり)の行基作と伝わる文殊菩薩を本尊として祀ることから
文殊堂とも呼ばれますが、本尊は50年に一度だけ開帳される秘仏とされています。
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大師堂 |
五台山ミニ八十八カ所 |
本堂と向き合う形で本堂と同年に造建された弘法大師(774-835)を祀る大師堂があり、
多くのお遍路さんがお参りする姿が見えました。
四国八十八カ所の本尊の模刻を1819年に五台山の諸処に奉安して開創したのが五台山ミニ八十八カ所で、
こちらを巡拝する人々の姿も絶えないそうです。
竹林寺を出て牧野植物園正門へ戻り、13時59分のMY遊バスではりまや橋に到着後、
バスと共通チケットの路面電車で大橋通まで行き、鰹のたたきやトマト、ミレービスケットなどの買物をして、
15時50分のリムジンバスで16時半に高知龍馬空港に到着しました。
出発までは買物をしたり(牧野富太郎が好んだという百合羊羹は植物園、空港でも売り切れで山桃羊羹を購入)、
「司」でサバ棒寿司やナスのたたきなどで早めの夕食を取りました。
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194席ほぼ満席のA321機は定刻の18時を少し過ぎて、夕暮れの高知空港を飛び立ち、
19時25分に羽田に着きました。
時間の合うバスがなかったため、京急経由山手線恵比寿駅からタクシーに乗って20時過ぎに帰宅し、
5日間の高知旅が予定通り、もしくは、予期以上の成果と共に終わりを迎えました。
帰省の度に発見がある故郷再訪の機会を楽しみにしつつ!
*5日目歩数(スマホ計測):14736歩
(2023.11.16)
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