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13 Jul.2013
Stresa〜The Borromeo Islands〜Stresa 

朝食後、散歩に出かけたホテルの裏手は、土曜日の朝8時過ぎには人影もなく、まだ眠っているような住宅地となっていました。
ホテルへ戻ると出発前の集合写真を撮る外国人グループの姿が見られました。



(地図「旅名人ブックス」日経BP企画) 

宿泊したストレーザ(地図の真中)はピエモンテ州とロンバルディア州の州境となっているマジョーレ湖の中心地で、
この日は、1370年代から記録が残るロンバルディア貴族のボッロメオ家一族が
16Cにマードレ島、ベッラ島などを領有したことによりボッロメオ諸島と名付けられた島の観光に出掛けました。
長さ68km、幅3〜5km、北側の約19%はスイス領となっているマジョーレ湖はイタリア湖水地方で2番目に大きな湖です。



9時20分にホテル前の船着場から船に乗って、先ずマードレ島(Isola Madre=母なる島)を目指しました。



ベッラ島(Isola Bella=美しい島)の横を通り過ぎて行きましたが、
この日は快晴とはいかず、少しもやっていたために、写真の色調が暗くなってしまったのが残念です。



マードレ島はボッロメオ諸島で一番大きい長さ330m、幅220mの島で、
母なる島の由来はボッロメオ家が最初に(1501年)に領有したことによるのかもしれません。



ガイドのクラウディアさん

10分余りでマードレ島に到着、オレンジ、オリーブの他、椿、桐、あじさい、つつじ、竹など東洋系の植栽のある海沿いの庭園を歩いて、
宮殿へ向かいました。



石段を上がって行くと、愉快なメタル製の犬たちが出迎えてくれました。


左側の木のオブジェは「FORESTA ROSSA 2011/2012」(=RED FOREST)と名付けられた
右側のThe Cashmir Cypress(ヒマラヤ糸杉?)を囲んだオブジェと関連した作品なのかもしれません。
1862年にヒマラヤ地方から種で運ばれ、70トンまでの大木に育ったヒマラヤの杉は2006年6月の台風で倒されましたが、
ヨーロッパ唯一であるだけでなく、原産地でも絶滅が危惧されている品種であるため、
様々な分野の専門家が集まり、ヘリコプターで運ばれたクレーンによって救済作戦が行われて、
3年後に危機を脱したことが確認されたそうです。
「世界一美しい木」と称されたマードレ島のシンボルは、今は貴重な過去の証言者として未来へと伸びる役目を担っていました。


                       −T.I−

ヨーロッパの宮殿ではインド産の孔雀をよく見かけますが、
今回ほど豪勢に羽を広げてくれる孔雀に出会ったのは初めてで、メスに対するアピールというより観光客サービスのように、
後姿までじっくりと見せてくれました。


  
ボッロメオ家宮殿
入口から盗撮?

サロン

レセプション・ルーム

16C建造の宮殿内部は写真撮影禁止でしたので、ガイドブックの写真を少し転載しましたが、
建物の外から撮った内部が左下のサロンで、木製天井のレセプション・ルーム、コモ産シルクのベッドカバーがかかった寝室、
ウィーンやヴェネツィアの食器が飾られた食堂、アンティーク・ドール・コレクション、パペット人形劇場などを見学して回りました。



18Cに建てられた家族用チャペル

ウォール・ガーデン?

    

ボッロメオ家の歴史を語り継ぐ宮殿、家族用チャペルなどを見学しながら、
左のユディト?、真中のスイレンとアサザ、右の狛犬・・・など随所に見られた西洋と東洋の混淆が興味深く思われました。



1時間余りの見学後、10時40分に船に乗ってマードレ島を出発して、ベッラ島へ行きました。


左はマードレ島の対岸に見えたパッランツァの街で、右はターナーが晩年にパッランツァから描いたと言われる水彩画です。
この日の午後のフリータイムにパッランツァへ行くことも考えていたのですが、
船で20分という情報が正確かどうか分からず、陸沿いをバスで行った方が安全と聞いて、時間不足が懸念されたり、
添乗員さんのプランも捨てがたかったために、今回は断念したパッランツァ行きでした。
ヘミングウェイの「武器よさらば」ではパッランツァから岸沿いにスイス領へ逃亡するシーンがクライマックスとなっているそうです。



長さ320m、幅180mのベッラ島には、カルロ3世(1586−1652)の時代に本格的な建築を始め、
各時代の建築を加えていったボッロメオ宮殿があり、現在でも9月になるとボッロメオ一族が3階に滞在するそうです。



レセプション・ルーム

ミュージック・ルーム

宮殿の入口を入ると、真中に宮殿模型が置かれ、3階分が吹き抜けになったドーム屋根と白とブルーのスタッコ細工が美しい
レセプション・ルームがあり、その隣にムッソリーニ伊首相、ラバル仏首相、マクドナルド英首相が
1935年4月11日にドイツ問題を協議したストレーザ会議が行われたミュージック・ルームがありました。
 (室内写真は全てガイドブックから採りました。)



ミュージック・ルームの隣には1797年にナポレオンがジョセフィーヌと共に宿泊したスタッコ装飾の天井、大理石の床の
ベッドルームが当時のままに残り、ルーブル美術館へ持ち去られた滞在の様子を描いた絵の代わりに写真が飾られていました。
部屋からは小さな無人島マルゲラ島やペスカトーリ島が見えていました。



1984年にイギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃がカクテル・パーティを開いたというサロン、
1825年にレオ12世から贈られた大理石の細密なモザイクの花が嵌め込まれたテーブルのある談話室、図書室、
16Cのフランドル地方のつづれ織りを中心としたタペストリーの間など、
予想もしていなかった歴史的エピソードの数々に出会った宮殿見学でした。


Diana’s Atrium

地下にはグロッタ(洞窟)と呼ばれる凝灰石、大理石、貝殻などを敷き詰めて涼しさを表現したといわれる部屋があり、
Diana’s Atrium(=ディアナの中庭)から外階段を上ると、イタリアン・バロックの傑作といわれる庭園が広がっていました。



先ず目に飛び込んで来た「Maximum Theater」と呼ばれる建造物は1672年に完成したものですが、
ボッロメオ家の象徴、白い一角獣を頂上に抱いて、権力を誇示する様子に威圧され、
良く見ると愛らしさも持つ女神、少年、キューピット像でしたが、余りにも過剰なバロックに圧倒されてしまいました。



庭園の観光は旅行社プランに入っていませんでしたので、階段を下りて、ミュージアム・ショップになっている「風の塔」へ行き、
ガイドブックなどを買って過ごしました。



庭園の俯瞰写真(ガイドブック)


今回の旅で折につけご一緒することの多かった4組の夫婦が、30分程のフリータイムに申し合わせたように鉢合せ?しましたので、
記念撮影をしましたが、男女別という所が面白く思われる写真となりました。



ベッラ島


12時前にベッラ島を出て、5分足らずでペスカトーリ島(Isola dei Pescatori=漁師の島)に到着し、
船着場前のレストラン「IMBARCADERO」でランチとなりました。


    

この日のランチ・メニューはタイム入りリゾット、マス・グリル、アイスクリームでした。

  

この時、本来のデザートのティラミスにろうそくを立てて、O夫人の一日早いお誕生日をお祝いする場面もありました。
(つまり、アイスクリームはお祝いのお相伴だった訳です。)
薬害のために20代で視覚障害になられ、10数年前から盲導犬と暮らしていらっしゃるというO夫人ですが、
視力を失っても旅を楽しまれるという前向きさ、素敵な笑顔が、今回の旅にさわやかな感動を添えて下さいました。
digi−tabiも訪問して下さり、「書面と違って何度でも音声で聞け、事細かに思い出すことができます。
時が経っても、いつでも開けば思い出すことができ、私にとって、旅の思い出がいつまでもあせることがないでしょう。」とメールも届き、
ご本人の進取性とIT技術の進歩にも感服させられました。



長さ350m、幅100mの小さなペスカトーリ島で、美しい景色をバックに結婚式の記念撮影をするカップルや、
リゾートを楽しむ人々を見ながら、ランチの後の20分程のフリータイムを過ごしました。



ペスカトーリ島

2時10分にペスカトーリ島を出発、6〜7分でストレーザへ戻って来ました。
今日の観光はこれでお仕舞い、フリータイムの筈でしたが、おそらく、ツアー仲間の全員がI添乗員さんのプランに乗って、
ロープウェイでモッタローネ山へ上ることになりました。



ストレーザ駅(H205m)から今日訪れた3つの島を眼下に見ながら、(上の奥がマードレ島、下左がペスカトーリ島、右がベッラ島)
モッタローネ山中腹のアルピーノ駅(H803m)に10分余りで到着しました。


     

さらに上のモッタローネ駅(H1491m)までリフトで上りましたが、あいにく遠望は叶いませんでした。
種類は多くありませんでしたが、足元には野草の姿が見られました。


    
フィテウマ・オバトゥム                バイケイソウ                     イブキトラノオ    

今回の旅ではロープウェイ、リフト、電車、船、ミニ・トレインなど様々な乗物に乗りましたが、
極め付けは?「Coaster Bob」というレール付きゴーカートのような乗物でした。
この手の乗物は好きではなく、50年ほども敬遠していたのですが、
少し年長のIさんから「Hさんも乗るんでしょ?」と言われると、「乗りません」とも言えず・・・・?



自身でスピードをコントロールするレバーが付いている乗物ですが、ジェットコースター並みのスリル・・・と思ったのもつかの間、
間もなく渋滞気味になって、のろのろドライブとなり、無事&拍子抜けのエンディングとなりました。


   

再び、ロープウェイでストレーザまで下り、4時20分にホテルへ戻りました。
朝からの天候を見て、アルプスまで見るという眺望は無理を承知の上でのモッタローネ山でしたが、
思いがけない遊園地体験まであって、愉快なひと時を過ごすことができました。



ホテルで一休みしてから、ストレーザの街の中心まで散歩に出掛けました。
湖畔に沿ったイタリア通りにはアルプス歩兵像などもありましたが、全体的にはリゾート感あふれる湖畔の街という印象でした。



船乗り場&観光案内所

市役所




街の中心街もカドルナ広場も、それと気付かずに通り過ぎてしまいそうな程のミニ・サイズでしたが、
高級リゾート地といわれるだけあって、おしゃれな雰囲気が漂っていました。

    

6時45分にホテルのロビーに希望者が集合して、I添乗員さんと共に街の中心へ行き、
レストラン「マンマ・ミーア」でテーブルごとに思い思いのお料理を注文しました。


  

私達にとっては今回のツアー初のピッツァでしたが、チェルビニアのピッツェリアの方が美味しかったという意見を聞きながら、
何はともあれ、大勢で賑やかな食事テーブルを囲んで、いつもの安堵と一抹の寂しさを感じる最後の夕食となりました。



1863年創業、開業150周年を迎えた5つ星ホテル、「GRAND HOTEL et des ILES BORROMEES」の外観を見たりしながら、
ゆっくりと歩いて、9時15分頃ホテルへ戻りました。
ホテルでは結婚披露宴が行われていて、その流れか、夜中の花火の音に驚かされましたが、
音楽の大音響に悩まされた部屋の方もいらしたようです。


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