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5 Jul.2013
Venezia〜Tre Cime di Lavaredo〜Cortina d'Ampezzo 

5時半過ぎに陽が上るのがホテルの部屋から見られました。
田園には不似合いな「BASE HOTEL」の建物ですが、観光の足場として利便性がよいらしく、大型観光バスが数台駐車していました。




観光の初日はホテルを8時に出発し、長靴形のイタリアの北東部、ドロミテ(またはドロミーティ)へ向かいました。


とうもろこしやぶどうの畑が続く平野を30分ほど走ると、やがて山並みが見え始め、トンネルが増えて、
水力発電所や人造湖も見られる山の景色に変わって行きました。
9時10分に到着し、トイレ休憩をしたポンテ・ネッラ・アルピの高速道路SAの橋の上からは
前方に岩山が見え、ドロミテが始まったことを教えてくれるようでした。



ドロミテの山麓に佇むいくつかの集落を車窓に1時間ほど走り、10時半を過ぎた頃、
1956年に冬季オリンピックが行われたコルティナ・ダンペッツォのスキージャンプ台が左手に見られました。
冬季オリンピックでは日本初となるメダルを回転競技で猪谷千春が持ち帰ったこと、トニー・ザイラーの大活躍など、
今回の旅仲間のほとんどが、記憶の濃淡差はあれ、懐かしさを呼び起こされる地名でした。



トレ・チメ・ディ・ラヴァレード駐車場(H2298m)

アウロンツォ小屋(H2320m)

コルティナの街を通過した後、曲がりくねった山道を小1時間上って、11時半にトレ・チーメ・ディ・ラヴァレードの駐車場に到着しました。
駐車場から少し上り、自転車競技メンバーが記念撮影中のアウロンツォ小屋の前でガイドのマヌエラさんと合流し、
ラヴァレード小屋(H2344m)へ向けて11時40分に歩き始めました。
マヌエラさんはフィレンツェ大学日本語科出身、卒論には宮沢賢治を選んだ日本語の達者な5歳と8歳の女の子のママさんガイドでした。




アウロンツォ小屋の前には伊独墺などの国旗と共に日の丸がはためき、日本人観光客の多さが窺われました。



イタリア北東部のトレンティーノ・アルト・アディジェ州、ヴェネト州、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州にまたがるドロミテは、
マグネシウムや炭酸カルシウムを含むこの地方の苦灰石(ドロマイト)を発見した
フランスの地質学者デオダ・デ・ドロミウ(Deodat de Dolomieu 1750−1801)に因み、
灰色の岩肌が見せる荒々しくも比類のない美しい景観によって、2009年に世界自然遺産に選定されています。

今回訪れたトレ・チーメ・ディ・ラヴァレードは世界遺産に指定された国立公園のひとつで、
案内板には「Naturpark Drei Zinnen」「Parco naturale Tre Cime」とドイツ語、イタリア語2か国語の表記があり、
南チロルと呼ばれるこの地方が、かってはオーストリアのチロル州に属していたことが思い出されるようでした。


 

コルティナからミズリーナ湖を経て、山道をくねくねと上って到着するトレ・チーメは3峰と言う意味で、
3つの峰がそびえ立つ周辺をトレッキングすることが出来るトレ・チーメ・ディ・ラヴァレードはドロミテ有数の人気景勝地となっています。
1周4時間、ゆっくり回って6時間というコースですが、私達は右地図の下の出発点アウロンツォ小屋(H2320m)から、
右上のラヴァレード小屋(H2344m)まで約1・6km歩き、希望者はそこから左上にトレ・チーメを展望する鞍部(H2454m)まで上り、
再び元の道を出発地点まで戻るという2時間余りのハイキングを楽しみました。



天を突くようなぎざぎざの尾根と垂直の岩壁を持つミズリーナ山脈のレ・チャンペデーレ山(H2346m)など、
今まで出会ったことのない迫力ある自然美や、はるか眼下の集落にあるアウロンツォ人造湖などの景観を楽しみながら、
ほとんど平坦な道をゆっくりとラヴァレード小屋(H2344m)を目指して歩いて行きました。




谷間を群舞したり、一休みしているくちばしの黄色いアルプス・キバシガラスの姿も見られましたが、
時速100kmで急降下したり、急上昇したり、知恵者のカラス科の鳥たちにはトレッカーもご用心とのことでした。


アルピーニ礼拝堂横の景観

12時に小さな聖母マリア教会に到着しました。
第一次世界大戦(1914−18)の軍用道路であったトレ・チーメのトレッキング・ルートに軍用教会として戦時中に建築され、
1964年に現在の姿に再建された「アルピーニ(=アルプス歩兵)礼拝堂」と呼ばれている教会です。
外観と同様、内部には山の景色に相応しい簡素な祭壇が置かれていました。



アルピーニ礼拝堂の脇には1869年にトレ・チーメの1峰、チーマ・グランデ(H2999m)に初登頂したウィーン出身の登山家、
ポール・グロフマン(1838−1908)を記念する石碑がありました。
そして渓谷の100mほど下方にはイタリア人戦死者の2基の記念石碑を遠望することが出来ました。



礼拝堂から15分程歩いて、ラヴァレード小屋(H2344m)に到着しました。
ここでフリータイムとなり、トレ・チーメを展望する鞍部(H2454m)まで上る人と小屋周辺で休む人に分かれました。

1・6kmほどの道を40分以上もかけて歩いて来た道中には、可憐な花々との素敵な出会いもありました。
早や押しで撮って来た花写真の種名同定は困難ですし、和名、学名らしきものなどが混在する一貫性のなさですが、
とりあえず、当らずとも遠からず、といったあたりの種名を掲載しておきますので、
余り信用はせずに、こんな花が咲いていたという雰囲気をお楽しみいただければ幸いです。


    
   イワカガミダマシ                   ミヤマムラサキ              クリューリングス・エンツィアン
    
レーティクム・ケシ            ラヌンクルス・モンタナス              ツシラゴ・ファルファラ
    
 ロトゥンディフォリウム・グンバイナズナ       氷河トチナイソウ            スピーナ・カノコソウとアルプス・タンポポ 


今春のヨーロッパは6月まで寒さが続いたそうで、季節外れの残雪の中を鞍部へ向けて12時半に出発しました。
I添乗員さんとツーショット写真を撮っている側をその頃はお名前も知らなかったIさんが通り抜けています。

2億2300年前にテチス海と呼ばれた海の底に数百万年をかけて堆積した厚い層が、
アフリカとヨーロッパの2大陸が地殻変動でぶつかった時に隆起してヨーロッパ・アルプスが誕生したと言われていますが、
雪の上に浮き出している赤色のバクテリアは海底のサンゴ礁や微生物などの堆積物の記憶をとどめているのでしょうか・・・?


下方にラヴァレード小屋

チーマ・ピッコロ(小峰)の斜面

トレ・チーメのひとつ、チーマ・ピッコロ(H2792m)の斜面に沿った道を鞍部へと上って行く途中に、
第一次世界大戦の時に石を積み重ねて作った壁や岩に彫られた塹壕が残っていました。
国境を巡ってイタリアとオーストリアが戦った現場は自然環境が厳しく、人との戦争ではなく、自然との闘いという側面もあり、
敵対する国民同士が食料品を分け合ったという話も伝えられています。



100m余りの高度を上り、鞍部が見え始めるころには汗ばむほどで、上着などは着ていられませんでした。


トレ・チーメの雄姿全景

20分余りでトレ・チーメ・ディ・ラヴァレードの鞍部に到着、
今年は6月までは雪に覆われて歩くことが出来ず、又、このようなトレッキング日和が毎日続く訳でもなく、
私達はラッキーだとマヌエラさんが何度も口にする素晴らしい空の下で、
チーマ・ピッコロ(小峰)、チーマ・グランデ(大峰)、チーマ・オヴェスト(西峰 H2973m)3峰を目の前に見上げることが出来ました。



再び来た道を下って、アウロンツォ小屋へ2時に戻りましたが、その途中、
行きにマヌエラさんが予告していた秘密の場所に案内され、大きな落石に刻まれた恐竜の足跡を見せていただきました。



壮大な景観に相応しい太古のロマン画?

駐車場からバスに乗ってミズリーナ湖畔(H1750m)まで下り、レストラン「MIRALAGO」で2時半過ぎから遅目のランチとなりました。


    

ペンネ・アラビアータ、白身魚と生野菜サラダ(大盛皿の写真は撮り忘れ)、カスタード・プリンのランチはシンプルですが、
久し振りにありつけたちゃんとした食事・・・と思われました。



湖周辺で優占しているモミやカラマツは土砂崩れが多いドロマイト山地の裸地に最初に入ってくるパイオニア植物だそうです。
裸地の原因は海運大国ヴェネツィアへ造船のための木材を提供したことにもありそうですが、
いずれにしても針葉樹のすっきりした林はドロミテの景観に似合い、美しさに寄与していることは間違いないと思われました。


    
ベロニカ・カマエドゥリス             ゲラニウム・シルヴァティクム             アルプス・オダマキ


昼食後、山の上とは違った植生や水鳥を楽しんでいたミズリーナ湖畔散策は、
突然降り始めた雨のために15分ほどで中断、迎えのバスで宿泊地のコルティナ・ダンペッツォへ向かうことになりました。
バスに乗って間もなく、雨は止んで、気まぐれな山のお天気を実体験という所でした。


 



ミズリーナ湖から30分ほど、午後4時25分に宿泊ホテルに到着しました。
郵便馬車が停まり、郵便局の役割を持っていたことに由来する「DE LA POSTE」は1835年創業の老舗で、
19C半ばに鉄道が開通し、イギリス、ドイツ、ロシアから裕福な観光客が訪れるようになった頃の面影を留めたホテルでした。



このような老舗に宿泊する時の常として、格差が生じる部屋割りは、鍵を自分で選ぶというくじ引き方式がとられましたが、
私達は残念ながらホテル正面の教会ビューになり、山は窓から顔を出して見ることとなりました。


    

それでも山岳リゾートを堪能するに充分な設備があり、珍しい2重扉やきしむ音がしそうな古い木の床の感触などを楽しみました。
バスルームの奥に見えるドアは鍵を回してみましたが、改築後に無用となった扉のようで続き部屋とはなっていませんでした。


チロル風バロック建築の聖フィリッポと聖ヤコブ教区教会 (1769−1775年建造)
管内11地区の紋章が描かれた旧市役所 MUNICIPIO(町役場?)
コルソ・イタリア通り


ゲディーナ兄弟のフレスコ画が貴重なCiasa de i Pupe

ホテルの部屋で少し休んだ後、街へ出掛けて、散策を楽しみました。
美しい自然と街並みで「ドロミテの女王」と称されるコルティナ・ダンペッツォ(=山に囲まれた広い谷)は人口6千人の小さな街ですが、
夏・冬の観光ハイシーズンには4万人の観光客を受け入れることが可能で、イタリア最古のスキー学校もあり、
ヨーロッパ・アルプスの12都市が所属する権威ある山岳都市連盟「Best of the Alps」の一員ともなっています。

1時間余り歩いた後、「6時から7時まで私もいます」とマヌエラさんが言っていたホテル前の観光案内所に寄って、
「トレ・チーメ・ラヴァレードの一周」(DINO DIBONA著 Manuela Conte訳)というガイドブックを購入し、
この旅レポート作成の参考にさせていただきました。


    

7時半からホテルのレストランで、トマト・スープ、七面鳥ソテー、チョコ・シュークリームの夕食をいただきながら、
夫婦7組、女性友人2組、1人参加男性2名、女性4名の自己紹介の時間が持たれました。
24名もの旅仲間となると覚えるまでに日数を要しますが、名前など知らなくても盛り上がるのがこうしたツアー参加者の特技で?
この時も隣席になったY夫妻とワインボトルをシェアして、楽しい夕食タイムとなりました。




コルティナ・ダンペッツォのガイドや救助も行うという山岳会「スコヤットリ」(Scoiattoli=リス)に因むと思われるピンバッチが
ナプキンに上に置かれていましたので、お土産に持ち帰りました。アウトドア帽子に似合いそうですね。


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