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7 Jul.2013
Bolzano〜Cremona〜Mantova〜Parma 

今回のツアーで最もハードな一日と予告された4日目は、7時半にボルツァーノを出発して、
高速道路で、先ず南西230kmに位置するクレモナを目指しました。
出発して間もなく、ホテルの部屋からも遠望することが出来たフィルマーノ城が車窓に見えました。
ドロミテ山中には礼拝堂にロマネスク壁画を残すボルツァーノ近郊のアッピアーノ城など中世の城塞が点在しているようですが、
それらを見られなかった心残りも、東部とは少し違ったドロミテ西部の山景色を見ているうちに段々と薄らいでいくようでした。

このあたりの特産品のひとつである小型に品種改良されたりんご畑を覆っている黒い網様のものは自動散水装置だそうです。
(高速道路から撮って、画像も走っていますが、ご判読ください。)



教会の鐘楼をアクセントとしている集落、ぶどう、とうもろこし、じゃがいもの畑など、山裾に広がる車窓風景を見ながら、
南北格差に代表される現代イタリアが抱える政治、経済、社会問題など、マイクを通したI添乗員さんのお話に耳を傾けました。
他国事とは言っていられない自国事情もありますが、
それはさておいて、荒波にもまれた長い歴史の中で培った現実主義、合理主義という底力を発揮して、
1950〜60年代に遂げた「イタリアの奇跡の復興」の再来を期待しておくことにしましょう。

岩山の厳しい断崖に現役の修道院と見られる建物も見られました。
コンパクト・デジカメの限界がありありと見える画像ですが、ちょっと絵になる景観だと思われました。


10時頃にトイレ休憩を取った高速道路SAを過ぎた辺りから、ロンバルディア州の平原が広がり始め、
お馴染みのヨーロッパの優しい田園風景が見られるようになりました。




10時40分にクレモナに到着、かつては城門があったというリベルタ広場でバスを降りて、
フォドゥリ宮など15〜18Cの貴族の邸宅が並ぶマッテオッティ通り、マッツィーニ通りを歩いて、街の中心コムーネ広場へ向かいました。



BC3Cに古代ローマの植民都市が築かれたクレモナの語源はケルト語のクレム(=見晴らしの良い高台)に由来すると言われ、
ポー川の上に築かれ、中世以降、コムーネ(=基礎自治体)として発展した街は、現在7万人の人口を擁しています。
車の通行が制限され、行き交う自転車が多い旧市街は長い歴史をそのまま語り継いでいるようでした。
バイオリン工房だけが並ぶ道路標識はクレモナでしか見られないものだと思われます。


   
トラッツォ                                 ドゥオーモ

1267年頃に建造されたトラッツォ(時計塔)や1107年にロマネスク様式で着工し、1332年にゴシック様式で完成したドゥオーモが
堂々とした姿を見せるコムーネ広場は、父の跡を継いで1305年にクレモナ僭主となったグリエルモ・カヴァルカボの時代に
整備が進んだと言われています。111mの高さを持つトラッツォはレンガ造りの塔としてはヨーロッパ一の高さを誇り、
最上部の八角形の大理石製の塔は14Cに増設されたそうです。



手動で動くトラッツォの天文時計(直径8m)

  
洗礼堂                                      コムーネ宮           

広場の南側には正面だけ大理石が貼られ、側面はレンガのまま残されたロマネスク様式の八角形の洗礼堂、
ドゥオーモの向かい側には皇帝派(ギベリー二)と教皇派(グエルフィ)2派の抗争が激しかった13Cに
皇帝派貴族のために建設された市庁舎、コムーネ宮がありました。



コムーネ宮の見学から観光が始まりました。
バイオリン制作の像が置かれている1階ピロティから階段を上ると、奥の一画にバイオリン展示室がありましたが、
室内は撮影禁止でしたので、人数制限があった入口前で入場の順番を待つ様子を写した後、
写真はお休み、となりました。

厳重に警備されたバイオリン展示室にはアマティ、ストラディヴァリ、グァルネリなどクレモナで作られた名高いヴァイオリンが、
市が買い取ったり、寄贈されたなどという由来書と共に、ケース内に展示されていました。
クレモナ派の祖とされるアンドレア・アマティが1566年にルイ9世の注文によって作成し、現存する中では最古といわれるバイオリン、
二コロ・アマティ「ハンメルレ」(1658年)、ストラディヴァリ「クレモネーゼ」(1715年)、グァルネリ「キリスト」(1734年)など
名器のほまれ高い楽器が一堂に展示されている様子は圧巻でした。

宮殿内には16〜7Cの絵画や彫刻が飾られたサロンや議会場などの他、
1441年にフランチェスコ・スフォルツァとビアンカ・マリーア・ヴィスコンティが結婚式を挙げた広間があり、
二人の肖像画と共に、ヴェネツィア産シャンデリアやヴェローナ産大理石に精巧な彫刻が施された暖炉など、
華麗なルネサンス様式の室内装飾が見られました。



帰りに階段や中庭なら大丈夫でしょ、という写真を撮って来ましたが、
いかにも市庁舎という感じが面白くもあり、面白くもなし・・・といった所でしょうか。




それでも壁にはクレモナや支配者の紋章が描かれていて、ヨーロッパらしい所も見られました。


記念デモ?

ミリタリー・ロッジア

警官の記念デモ?が行われていたコムーネ広場で、11時40分から30分程、フリータイムがとられ、
地下に残るローマ時代の街道跡や立派な鉄門を持つ商工会議所の前を通って、
クレモナで最も古いというガイドさんお勧めの菓子店でチョコレート・キャンディを買いました。
突然押し寄せてきた観光客に困惑気味ながらも、たくさんのお買い上げを得て、ニコニコ顔の年配女性の店主?でした。




そしてコムーネ広場へ戻って、クレモナの紋章を持って、力を誇示する寓意像が置かれたミリタリー・ロッジアや
ドゥオーモのファサードなどを見て過ごしましたが、
その時にトラッツォに登ることを思いつかなかったことが、今更ながら、残念に思われます。
487段の階段であれば登る時間があったかもしれないと、ポー川を臨む美しいパノラマを未練がましく想像しています。



ロンバルディア・ロマネスク建築を代表するドゥオーモのファサードのアンテーラミ派の農作業暦の彫刻は味わい深いものでした。
その上のマルコ・ローマノ作の3体の彫像はいかにもとってつけた感じですし、壁に嵌め込まれた家系図の石版など、
重層した様式に落ち着きの悪さも感じられるファサードでした。


 

排水を考慮した広場のタイル・デザイン、ポー川の小石を敷き詰めた道路など人の手が行き届いた細部は、
古都の雰囲気を保持する上に一役買っているように見えました。

12時過ぎからドゥオーモ内部に入り、主祭壇のマリア被昇天画、12m×9mもの大きさのポルデノーネのキリスト磔刑画、
ボッカチョ・ボッカチーノなどクレモナ派が描いた「キリストと聖母の生涯」など壁を埋めるフレスコ画、
15〜16Cのパイプオルガンや説教壇、ナポレオン軍に略奪されなかった唯一の大理石像と言われるサンテミリオン像、
8月15日のマリアの祝日に使う金銀エナメルで装飾された3m、300kgの十字架など、ガイドさんと共に20分余り見学して回りました。



12時半過ぎにコムーネ広場から程近くのバイオリン工房へ行きました。
クレモナには工房が80か所余りあり、石井高さんなど日本人マエストロの活躍もマスコミで報道されていますが、
今回はフランス人職人さんの工房で、クレモナからパルマまでのガイド、伊丹さんの通訳でバイオリン制作のお話を伺いました。

バイオリンの表板はイタリア(柔らかなドロミテ産が最適とか)やドイツのモミ、横板と裏板はバルカン地方のカエデ、
指板はインドやマダガスカルの黒檀、あごを載せる部分はツゲを用い、10年間ほど自然乾燥させたものを使うそうです。
使っている道具は16Cと同じで、変わったのは照明器具だけと言いながら、ジョークを交えつつ、制作プロセスを見せてくださいました。
ムッソリーニが残したプラス遺産である国立弦楽器製作学校が出来て以来、技術レベルが向上し、
一人前と目される職人さんの数は140人に上り、マーケットとしてのメッカである日本では価格が4倍になるとこっそり?教わりました。



50回も塗り重ねられる「segreto di Stradivari」(=ストラディヴァリの秘密)と名付けられたニスですが、
パリの音楽博物館が2009年にストラディヴァリウスのニスを赤外線分析した所、
油絵に使うと同じ全く平凡な油と松脂の混合物に赤い顔料が混ぜられていることが判明し、
画家の手法を真似たとも言われている、というのがI添乗員さんによるバスの中での事前レクチャーでした。
ストラディヴァリが生涯で制作した1100挺ほどの中、現存する700〜750挺が安定した投資ファンドの対象ともなっているそうです。
古楽器の秘密はニスにではなく、音色に味わいを加えていく数百年という歳月にあるのかもしれません。




原材を見せたり、説明の助手を務めていた若い男性チェリストによる「バッハ無伴奏チェロ組曲」など小曲演奏の後、
30分余りの工房見学が終わりました。


  

市庁舎側のレストランのランチ・メニューはタリアッテレ(ラグーソース)、豚グリル、ヌガー・ムースでした。
日本人向きに押さえ気味にした分量に見えますが、周りを見ると、盛り付け量にはイタリア人的なアバウトさがよく見られました。



ジロ・デ・イタリア

バスが待つリベルタ広場へ3時に戻ると、イタリアの自転車競技「ジロ・デ・イタリア」の女性版が行われていて、
タイム・トライアル・レースの選手が駆け抜けていくのが見られました。

ミラノ、ヴェネツィア、スペイン、ハプスブルクと支配者を変えながらも、
勝てば年貢を納めなくて良いというルールの競技会で優勝し、無税によって裕福さを保ったヴェネツィア時代など、
運に恵まれた街という印象を受けたクレモナを出発して、東へ65kmのマントヴァへ向かいました。
イタリア西部は米、中部はヒマワリ、南部は麦やトマトの栽培が盛んで、
ポー川流域ではコシヒカリから作ったイタヒカリという品種がとれます、とマイクで話し始めた伊丹さんは、
ほとんどの人がシエスタに入って静まり返った車内を見て、ガイドすることを諦めた1時間のドライブでした。



ドロミテ南麓のガルダ湖から流れ出すミンチョ川がポー川と合流する少し手前に、
アルベルト・ピエンティーノの治水工事によって12Cに造られたスペリオーレ湖、メッツォ湖、インフェリオーレ湖の3つの人造湖があり、
それらで北側を包むようにして築かれたのがマントヴァの街で、
長い歴史を持つ美しい景観によって、2008年に世界遺産に登録されています。

エトルリア人やケルト人の入植の後、BC214年にローマ人が植民都市とし、ローマ崩壊後には東ゴート、ビザンティン、ロンゴバルド、
フランク伯領が支配、12Cからはコムーネとして発展、1328年にルイージ・ゴンザーガが政権をとって以来、
オーストリアに併合される1707年までゴンザーガ家18代が統治、
その400年の支配の歴史の中で、行政長官(1328−1433)、侯爵(1433−1530)、公爵(1530−1707)と
徐々に格を上げていったゴンザーガ家の街マントヴァで、
2代目のグイード・ゴンザーガが都市整備を始めた14Cの終わりに建設されたドゥカーレ宮を見学しました。

 


湖にかかる橋を渡った所にある駐車場でバスを降りて、ソルデッロ広場にあるドゥカーレ宮のチケット売り場の前へ着いた時、
「もしかしたら、恐怖のロベルトさん?」と伊丹さんがつぶやいた通り、宮殿のガイドはロベルトさんという男性で、
熱心な(過ぎる?)ガイドと忙しい日本人ツアーの時間配分に折り合いをつけるのが難しいことが
恐怖の意味らしいということに気付いたのは見学が始まって間もなくのことでした。

ともあれ、「アーサー王伝説」をモチーフとして戦勝場面を描いた「ピサネッロの間」、
「三位一体」の上半分はナポレオン軍に持ち去られ、後に描き足されたというルーベンスの「ゴンザーガ家の肖像画」、
ヴィヴァルディの演奏で舞踏会が開かれたという鏡の間、空中庭園、ラファエロの下絵によるゴブラン織りのタペストリー、
書斎、ダイニング・ルーム、寝室、浴室など34000u、500室あるというゴンザーガ家の居城のほんの一画を見学しました。

その途中で、「去年の地震被害で入れなくなった部屋の代わりに、普段は入れない部屋をご案内します」という話があり、
いやな予感がしたのですが、それが的中したことが分かったのは出口へ到着してからのことでした。



1460年から1506年に逝去するまで、マントヴァ宮廷のお抱え画家として過ごしたマンテーニャが手掛けた中でも
とりわけ有名な「夫婦の間」と呼ばれる謁見の間の天井画が、今回の旅で最も見たかったもののひとつですが、
地震には勝つことが出来ず、出会うことは叶いませんでした。

マントヴァで忘れてはならないもう一人の有名人は、ルネサンス時代の伝説的な女性、
1490年にフェラーラのエステ家からマントヴァ当主フランチェスコ・ゴンザーガに嫁いだイザベッラ・デステで、
塩野七生氏が処女作「ルネサンスの女たち」の最初の章で取り上げていますが、
「Nec spe nec metu」(=夢もなく、怖れもなく)、政治と文芸に生きたイザベッラの面影を追うことができたのは
旅ならではの大きな収穫と思えました。



ドゥオーモ
ドゥカーレ宮チケット売り場

ソルデッロ広場の一画のネオクラシック様式ファサード、ゴシック様式身廊、ロマネスク様式の鐘楼を持つドゥオーモは外観を見ただけで、
元の道を駐車場へと戻りました。



途中、ちょっと立ち寄ったのがマントヴァがヴェルディのオペラの舞台となったことに因む「リゴレットの家」ですが、
同じ県内のヴェローナには「ジュリエットの家」もあり、史跡というより、イタリア的な観光名所のようでした。

5時35分にマントヴァを出発、パルマへ向けて、南西に60km余りバスを走らせ、7時過ぎにパルマに到着し、
この日はホテルへ入る前にレストランでの夕食となりました。


   

ジュゼッペ(=ヨセフ)の略称「ベッペ」さんが一人で切り盛りするレストランで、「美食の街パルマ」で最初の食事となりました。

  

 
   
さわやかな味わいの発泡赤ワイン「ランブルスコ」をI夫妻とシェアして、ラグーソース・ペンネ、野菜サラダ、仔牛のソテー、
カスタード・ケーキの夕食をゆっくりと楽しんでいる中に、長いドライブと34℃の暑さの疲れが癒されていくようでした。




2連泊がうれしい「STARHOTEL DU PARC」に9時にチェックインし、
少しの心残りと(クレモナのトラッツォとマントヴァの天井画・・・)、おおよその充足感で、4日目が暮れていきました。


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