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11 Jul.2013
Cervinia〜Courmayeur〜Aosta〜Cervinia    
   

モンテ・チェルヴィーノのモルゲンロート(朝焼け)を見たいと夫は5時半過ぎに部屋を出て行ったのですが、
方角が合わなかったようで、諦めて30分ほどで戻って来ました。
部屋からその様子が見えましたので無念のスナップ1枚と、一応は物して来た朝焼け風景です。




チェルヴィニア(正式名BREUIL-CERVINIA)はモンテ・チェルヴィーノ(=マッターホルン)の麓の標高2050mの街で、
国際的なスキー・リゾートとして知られています。
北側のスイスのマッターホルンや麓の街ツェルマットの観光地化された雰囲気とは違って、素朴で骨太な魅力が感じられます。



この日は当初の予定ではモンテ・ビアンコ(=モンブラン)の南斜面に位置するクールマイヨールへ行き、
シャモニーへ通じる氷河越えのロープウェイに乗る予定だったのですが、6月のがけ崩れで不通箇所があるということで、
モンテ・チェルヴィーノ(4478m)のロープウェイに変更となりました。
8時にホテルを出発し、歩いてロープウェイ駅へ向かうと、駅前に同じスキー学校の生徒達でしょうか、
大勢のスキーヤーの姿が見え、今までは仰ぎ見ていたモンテ・チェルヴィーノが急に現実的な存在になったように思われました。




チケット手配を終えたI添乗員さんから、途中のゴンドラが動いていないので、予定しているプラトー・ローザまでは
行けないかもしれないという情報が入りましたが、何はともあれプラン・メゾンまで行くことになりました。
チェルヴィニアとツェルマット間には壮大なスキー・ツアー・コースがあるそうです。




プラン・メゾン(2547m)では雲一つかかっていない完ぺきなモンテ・チェルヴィーノをバックに順番に記念撮影をしました。
I添乗員さんの添乗暦の中でもベストという幸運な天候でした。



    
       ヴィオラ・カルカラコ            リュウキンカ               ゲンチアナ・コキアナ(チャボリンドウ) 
    
プルサティラ・アピフォリア          プティサティラ・ヴェルナリス                オキナグサ       

  
マーモット穴?                 ハンミョウ

素晴らしいパノラマの中で、南側斜面の草地に咲いている花々や小さな虫との出会いなどを楽しんでいる中にゴンドラが復旧し、
9時過ぎに駅へ戻りました。



プラン・メゾン(Plan Maison)

チーメ・ビアンケ(Cime Bianche)

プラン・メゾンからチーメ・ビアンケ(2831m)まで上る6〜12人乗りのゴンドラの中から、
大きなダム湖、ゴイレット湖(2516m)が見えました。


  
             −T.I−

チーメ・ビアンケで140人乗りのロープウェイに乗り換えました。
段々と広がっていく視界に入るアルプスの峰々、氷河の後退によって生まれた神秘的な色の氷河湖など、
息をのむような美しい景色にテンションが自然と高まっていきました。



プラトー・ローザ(3500m)までのロープウェイと、ゲレンデの上をツェルマット方面へと延びるロープウェイですが、
一面の雪景色は猛暑の東京へお土産に持って帰りたいようでした。


      

駅を出るとイタリアとスイスの国境になっていました。(両国をまたいでいるつもりが、足がイタリア側に・・・)
元は気象観測所だったという面影を残す建物の中へ入り、展望台へ上って行きました。


駅近くのスキー学校



展望台から見るモンテ・チェルヴィーノは、少し威容が減った観があり、手が届く存在になったような気がしました。

西方向:遠くにモンテ・ビアンコ(4810m)?

北方向:ドーム(4545m)とテッシュホルン(4490m)の先にユングフラウ(4158m)?

  

9時半から10時15分までプラトー・ローザで過ごした後、同じルートをチェルヴィニアまで下る途中、
プラン・メゾンのロープウェイ乗場の下にアルプス・アイベックスを見つけ、
乗務員おじさんの足元のスチール製床網の間にカメラを入れて、写真を撮りました。



                             −T.I−

アルプスの景色を堪能して、11時少し前にチェルヴィニアのロープウェイ駅へ戻り、ホテルへ寄ってから、
11時15分に再集合して、バスでクールマイヨールへ向かいました。



気まぐれな山のお天気のこと、この日の好天が保証されている訳ではありませんので、
本来なら翌日の行程に入っているブルー湖へ少しだけ立ち寄りました。
残念ながらモンテ・チェルヴィーノは雲をかぶり、少しの風がさざ波を起こしていて、
絵にかいたような“逆さモンテ・チェルヴィーノ”に出会うことは出来ませんでしたが、
エメラルド・グリーンが美しい愛らしい湖でのひと時を楽しみました。


    
  カラマツソウ                    ヤマシャクヤク               リフォリウム・アルピヌム


古来、ハンニバル軍、ローマ軍、ナポレオン軍などが往来したという山深いアオスタ渓谷を車窓に、
2時間でクールマイヨールに到着しました。



          (地図「旅名人ブックス」日経BP企画) 

クールマイヨール(1288m)はモンテ・ビアンコ(=モンブラン)の南斜面に位置するイタリアン・アルプス屈指のリゾート地で、
19C来、サヴィオア家を始めとするピエモンテの貴族達の別荘地としても名を馳せているそうです。


      

レストラン「LA TERRAZZA」でヴァッレ・ダオスタ州のフォンティーナ・チーズとハムを巻いたクレープ状のバドスターナ、
ポレンタ(とうもろこし粉料理)とビーフシチュー、フルーツサラダの郷土料理ランチをいただきました。


     

ランチの後、モンテ・ビアンコが近すぎて山容が見えないということで、ミニトレインで隣村へ行き、
クールマイヨールを遠望したり、トナカイ牧場?で、毛でおおわれてビロードのような感触のトナカイの角を触ったりという
思いがけない体験もしました。


    

ヨーロッパの花の村コンテストで優勝したことがあるという美しく整えられた村の狭い道をミニトレインで走るというのは、
ディズニーランド観光のようでもありました。



モンテ・ビアンコは雲がかかっていて、「どれ?あれ?」と言っている中にビュー・ポイントを通り過ぎてしまいました。
4時にクールマイヨールを出発し、アオスタ経由でチェルヴィニアへの帰途に着きました。


アウグストゥスの凱旋門

ヴァッレ・ダオスタ州の州都アオスタ(583m)はBC25年にローマ帝国初代皇帝アウグストゥスによって築かれ、
アウグストゥス・プラエトリアと呼ばれた街ですが、中世になって縮めてアオスタと呼ばれるようになったと言われています。
大サン・ベルナール峠を越えてスイスへ、小サン・ベルナール峠を越えてスランスへと交通の要所をして栄えた街で、
「アルプスのローマ」とも呼ばれています。



サン・アンセルモ通りを通って、東の城門、修復中のプレトリア門を抜けて、街の中心へ入って行きました。
中央に大きな戦車用のアーチ門、左右に小さなアーチ門を持つプレトリア門は、
内側がさらに二重構造になっていて、分厚い壁と共に万全の防御が計られていたことが分かります。


最初に古代ローマ時代に寒さや雪対策として造られたという地下回廊を見学しました。
まだ発掘途中の様子でしたが、地下街ともいえる空間を造り出した古代ローマ人の土木技術に驚かされました。


地下回廊に隣接するサンタ・マリア大聖堂へ行くと、 床に柵で囲ったガラス部分があり、地下回廊の一部が見られるようになっていました。



     

正面ファサードは19C半ばのネオクラシック様式ですが、床のモザイク画、鐘楼などに残るロマネスク様式に
心惹かれるものを感じました。



ローマ円形劇場

1C半ばのクラウディウス帝時代の円形劇場、高さ22mの原型を留めるファサードが残るアウグストゥス帝時代のローマ劇場など、
アルプスの山々に囲まれた2000年の歴史を語り継ぐ景観は見事の一語に尽きるものでした。




Cymbalaria muralis(=城壁に生える)という学名、Coliseum ivyという英名を持つツタバウンランがお約束のように?生えていました。

   

アオスタ市庁舎

イタリアで一番小さく、最も裕福といわれるヴァッレ・ダオスタ州の州都らしい落ち着きと豊かさを見せる市庁舎や街並みを見ながら、
アウグストゥスの凱旋門のある広場へもどりました。




土産店の店頭で見かけた変わった形の木の容器は、寒い冬にコーヒーにグラッパ、レモン皮、砂糖を加えた飲み物を回し飲むための
グロッラと呼ばれるものです。




広場でジェラートを片手に、サンティーノさんの遅れ気味のバスを待ち、5時40分にアオスタを後にしました。


再びチェルヴィニアまで、アオスタ渓谷の同じ道を戻りました。
帰路、私が座っていた右手に見えたのはフェニス城でしょうか、ちょっと気になる古城でした。




7時にホテルへ帰着、この夜はフリー夕食ということで、少し草臥れ気味の私達夫婦は部屋で、
非常用に持参したフリーズドライ・スープやアルファ米のおかゆなどを、荷物減らしも兼ねて、片付けることにしました。
後で「ご希望の方@ホテルにてバイキングと白トリフのパスタ ASOTTOZEROにて郷土風ピザやポルチーニ」というI添乗員さんの
日誌を読んだ時は、気合を入れれば良かった・・・と思いましたが、後の祭りという訳で。

夜8時40分過ぎの夕焼け?のモンテ・チェルヴィーノで仕上げをして、気持ち良く、(この時は後の祭りとも知らず・・・)
1日の終わりを迎えました。


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