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12 Jul.2013
Cervinia〜Orta San Jiulio〜Stresa  
   

出発が10時というゆっくりとした朝、8時半から1時間ほどチェルヴィニアの散策を楽しみました。
モンテ・チェルヴィーノと教会はとても絵になる組み合わせですが、教会のファサードが修復工事中でちょっと残念でした。



ホテル裏手の山を少し上ると、5つ星ホテル、さらに上にはカジュアルなホテルやリゾート・マンション風の建物が見られました。
昨日、遠目に見かけた放牧中の牛の姿が見られなかったのを少し残念に思いながら山を下り、街の中へ向かいました。




今回の旅レポートで写真を数枚お借りしたT.Iさんが牛写真を送って下さいましたので、追加掲載することにします。
健康的で力みなぎる牛達に見えますね!



街のメインストリートにはホテルやレストランが並び、クラシックカー(左に日の丸が見えますので観光用?)が趣きを添えていました。
(車好きの知人から、おそらく終戦後モデルのシトロエン・トラクション・アヴァンで、ジャン・ギャバンの映画によく登場し、
1955年頃には横浜でタクシーにも使われていたとご教授がありました。)

モンテ・チェルヴィーノをたっぷりと堪能して、10時に「SERTORELLI SPORT HOTEL」を出発しました。
昨日立ち寄ったためドライバーのサンティーノさんが勘違いしたのか、素通りしてしまい、Uターンするというハプニングもありましたが、
10時20分にブルー湖に到着し、30分間のフリータイムが取られました。



「Lago Blu m.1981 Lac Bleu」と2カ国語の標識



この日は幸いにも、頂上に雲がかからない“逆さモンテ・チェルヴィーノ”に出会うことができました。
“逆さマッターホルン”が見られるスイスのリッフェル湖は岩礫地の中の湖ですが、
標高やアルプスの北と南の違いでしょうか、ブルー湖は森林に囲まれて、神秘的な例えようのない美しさを見せていました。



    
  アルペンローゼ                  キンバイソウ                   ドロニクム・クルシイ
    
オキナグサの実            ヴァレリアナ・モンタナ                 フウロソウ     

足元の花々も楽しみながら、小さな湖をゆっくり1周して、ミニ・ハイキングを楽しみました。


    
 
湖の中を泳ぐマスの姿も見られましたが、魚ではなく、湖面の“逆さモンテ・チェルヴィーノ”を狙う旅仲間達の姿も見られました。
残念ながら10時45分過ぎのこの時間には、山頂は雲の中に隠れてしまっていましたけれど・・・。
この日も天候の神様の味方を受けましたが、残念だったのは、昨日つぼみだったヤマシャクヤクに手折られた形跡があったこと、
他社の日本人ツアー客が湖へパンを投げ込んでいたことでした。


  

10時50分にブルー湖を出発して、オルタ湖を目指しました。

かつては国境線としていた氷河が10mほど動き、最大100m後退の可能性が考えられるために、
イタリアとスイスの間で新国境を岩尾根に変更するという法案が検討されていること、
ヴァッレ・ダオスタ州が裕福なのは観光業の他、酪農、林業、農業が盛んな土地柄であること、
「政治をビジネス化」したベルルスコーニ元・首相に関する話、イタリアがコネクション社会であることなど、
車窓風景を楽しみながらI添乗員さんのお話に耳を傾けましたが、中でも笑いを誘ったのは、
おしゃべりな国民性を持つという話題の後に、「皆様も負けていないと思いますけれど」とコメントが付け加えられた時でした。
(I添乗員さん評する“「イタリアン」なお客様たち”は、帰国後は日本人に戻ったのでしょうか??)
この時に教わった「信用することは大切、信用しないことは賢明」というイタリア人の知恵も、
digi−tabiご訪問の方へそっと?伝授しておくことにしましょう。



ヴァッレ・ダオスタ州からピエモンテ州へ入ると平野が広がり、稲田も見られるようになりました。


 (地図「旅名人ブックス」日経BP企画) 

これから向かうオルタ湖は、湖が点在する北イタリア湖水地方の西端の小さな湖ですが、
20C後半には工場排水による水質汚染で生物が生息しない湖となり、マッジョーレ湖にまで汚染を広げる危機に陥った後、
水質改善に成功し、今では環境保全の見本となって、地元の誇りとされているそうです。



オルタ湖の中心地、東の岬に位置するオルタ・サン・ジュリオに1時45分に到着しました。
オルタ・サン・ジュリオの小高い山の上には「ピエモンテとロンバルディアのサクリ・モンティ」と呼ばれる
2003年に世界遺産に登録されたキリスト教巡礼地がありますが、オルタ・サン・ジュリオの街は世界遺産には含まれず、
「イタリアの最も美しい村」のひとつとされています。
人口1100人の小さな街には大型車が入ることが出来ず、駐車場からミニ・トレインで中心地へ向かいました。


道路工事にぶつかって、途中からは歩いてマリオ・モッタ広場を目指しましたが、
ミニ・トレインよりは徒歩が似合う街並みだとも思われました。



    

マリオ・モッタ広場に面したレストラン「VENUS」では、テラス席にランチが用意されていました。
テラス席の解放感と遅めの時間で、フレッシュ・トマトのニョッキ、チキン&ポテト、チョコレート・ムースのランチ・メニューが
いっそう美味しく感じられるようでした。

ランチ後の小1時間のフリータイムは、サクリ・モンティは無理だし、I添乗員さんお勧めのショッピング・タイム・・・?と思っていると、
すぐ目の前に浮かぶ小さな島、サン・ジュリオ島へ「行ってみたいですね」とSさんから声を掛けられ、
15分毎に船が出ていると確認して下さいましたので、I添乗員さん「行って来ます」とお知らせをしてから、
近くにいた9人で船に乗り込みました。



サン・ジュリオ島

湖畔に並ぶ美しい家並み
近付くサン・ジュリオ島


船着き場


島の小さな船着き場に6〜7分で到着、20分後に待ち合わせをすることを決めて、
10分もあれば歩いて回れるという東西140m、南北275m、周囲650mの島見物に向かいました。
先ずはマリオ・モッタ広場から鐘楼がよく見えていたサン・ジュリオ教会の中へ入りました。



キリスト教の弾圧を逃れてやって来たサン・ジュリオが4C後半に建てた教会を起源とすると伝えられるサン・ジュリオ教会は、
12Cのロマネスク様式にゴシック、ルネサンス、バロック様式と改修を重ねた様子が随所に見られる華麗な教会でした。



サン・ジュリオの遺骨を収めた石棺成田


華やかな内部装飾の中で、オルタ産の黒大理石に4人の福音記者、グリフォンなどを浮き彫りにした12Cの説教壇が、
堂々たる存在感を見せていました。



     

教会の外は細い道が迷路状になっていて、全貌をつかむことができませんでしたが、
島の真中に1844年設立の女子修道院があり、石鹸やレースの刺繍を作って販売していることを後で知りました。



待ち合わせ時間の5分前には9人が揃いましたが、4時に来るはずの船がなかなか姿を見せず、20分ほど待たされて、
イタリアンな日本人が本物のイタリアンにやられてしまうという格好になってしまいました。
ということで、集合時間に少し遅れてしまい、ご迷惑をおかけしてしまいました・・・。


   

街で買物をされた方の収穫品のお話などを伺いながら、街を少し歩いて、ミニ・トレインが待つ場所へ向かう途中、
ミニ・トレインは信号までミニということを発見しました。




4時半過ぎにオルタ・サン・ジュリオを出発、5時20分にストレーザの「GRAND HOTEL BRISTOL」に到着しました。


8日間のスルードライバーのサンティーノさんとお別れ


この日のホテルも部屋の向きに多少の格差があるということで、くじ引き方式の部屋割りとなりました。
Sさんと鍵の番号を見比べて、思わず、「負けた!」と言ってしまった直感通り、私達の部屋は正面ではなく側面でしたが、
バルコニーからマジョーレ湖が見えましたし、1階(日本式なら2階)からの眺望はそれ程の大差はなさそうにも思われました。


    

ホテル・レストランで8時から野菜スープ、豚肉ソテー、フルーツサラダの夕食をいただきました。
1時間半から2時間のゆっくりとした賑やかな(擬イタリアンな?)ツアー・メニューの夕食もいよいよ最後となりました。




私達の最後を飾ってくれた訳ではありませんが、何やら楽しいファミリー・パーティ?の姿も見られました。

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