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22 Oct.2012
Santiago de Compostela〜Vigo〜Paris


ついに帰国の日となりましたが、夕方便でヴィーゴ空港を発つため、サンティアゴ出発は午後2時40分となり、
ゆっくりとした朝を過ごすことができました。
朝食後、荷造りをすませ、9時半頃外へ出ると、パラドール前でTさんに出会いましたので、
ブルゴスの夜の徘徊記念に?ツーショット写真を収めておきました。

北側の天国の門から大聖堂に入るとミサが行われていましたが、昨日ボタフメイロを見た翼廊は打って変って、
静かなお祈りの場所となっていました。


   

ミサの途中のせいか、いつもの行列が見られない主祭壇の左横の狭い階段を下りて
地下祭室に祀られた聖ヤコブの19Cの銀製の棺を見ました。
壁にはヨハネ・パウロ2世(在位:1978−2005年)が1982年に訪れた記念プレートが掛かっていました。


      

続いて、主祭壇の裏側の階段を上がって、聖ヤコブ像の後方の小部屋に入りました。
ここでは聖ヤコブのマントに抱きつく、手を触れる、口付けをするなど作法があるらしいのですが、
私は人がいないのを幸い、こっそりと写真を撮らせていただきました。
聖ヤコブの背中の先にミサの様子が見られたのも不思議な光景でしたが、
見事にすり減ったつるつるの石階段も感慨を覚えるものでした。


      

見残していた二つの見学を終えて、少しほっとした気分で、
見事なスペイン式バロック・パイプオルガンが飾られた身廊の椅子に座って、ミサに参列しました。

「ヤコブはスペインの光」「我ら一群となって喜びをもって讃えよう」「さあ、さらに進もう もっと高みへ」
「すべての者よ 様々な言語の者よ あらゆる部族よ」というヤコブ賛歌と共に(多分・・・)、
ミサの最後に手をつないだり、抱き合ったりする光景が昨日も見られたのですが、
この時も私の前や横にいた巡礼を終えたばかりという様子の若い男性から握手を求められました。
残念ながら掛けられた言葉は分かりませんでしたけれど、21Cの若者たちに心から平安を願いました。



10時過ぎに大聖堂を出る時、天国の門の脇の礼拝堂で結婚式が行われているのが見られました。
月曜日の朝という所に、日本人と違った習慣が感じられます。



天国の門の北側に899年に創設されたベネディクト会のサン・マルティン・ピナリオ修道院があり、
今は神学校として使われている建物前にヨハネ・パウロ2世の胸像が置かれていました。
パウロ2世は1989年にもこの地を再訪、2010年の聖年には現法王ベネディクト16世も公式訪問したそうです。


アサバチェのアクセサリー店

パラドール・ロビーの一画

大聖堂を出ると雨になっていましたので、パラドールへ傘を取に戻った後、街歩きへ出掛けました。
広場や門に名を残す黒曜石に似たアサバチェは6000万年以上前に絶滅した木の化石で、
古来、エジプトやフェニキアでも魔力を持った石として珍重されていたものだそうで、
東トルコのエルズレムにあった黒玉(ジェット)と同様の物と思われました。
ガリシア地方ではアサバチェを砕いて焼いたものを今も漁師の安全祈願に使っているそうです。


  

お土産を買い足した後、11時過ぎにパラドールへ戻り、11時半にスーツケースを出して、
希望者が4〜5日前に予約を取っていただいた大聖堂屋根裏&屋上ツアー(8ユーロ)へ向かいました。



大聖堂と一体となっていて外側からは分からない北側のヘルミレス宮殿とよばれる司教館がツアーの入口で、
苔むした石がバロックな大聖堂内部とは別世界のような寂びた趣きを見せていました。
現代的な展示コーナーがあるかっての高位聖職者のレセプション・ホールを通って、
建物内の狭い石階段を100段程上って、大聖堂の屋根の上に出ました。



「個人旅行 スペイン」 (昭文社)

身廊の屋根に上ったら、交差部を右へ進み、主祭壇の後ろを回って身廊部へ戻った後、
栄光の門の上のトリビューンへ入る、というのが今回の屋根裏&屋上ツアーのコースでした。


専属ガイド


身廊の屋根に上ると大聖堂正面の高さ70mの二つの塔が半分ほどの高さに感じられました。
ロマネスク様式のオリジナルのままというガリシア産花崗岩の石瓦の屋根は、
材質が滑りにくい上に、下に頑丈な石の手すりがついていますので心配はいりませんが、
三角形に傾斜している所がスリリングで、慎重な歩き方になってしまいました。



オブラロイド広場を見下ろしている正面ファサードのヤコブ像は、
杖に水筒代わりのひょうたんをぶら下げて、18Cの巡礼者スタイルをしています。
二つの塔の左側はミサ用鐘楼で鐘がありますが、右側の「CARRACA」塔には十字架が置かれているだけで、
聖ヤコブが殉教した聖週間には鐘の代わりに木製のカーラカを打ち鳴らすのだそうです。
風車の羽のような形に組み立てて使うカーラカの展示コーナーもありました。



交差部ドーム

神の目が描かれ、ボタフメイロが吊り下げられる交差部のドームも外側はかなり無骨な様子をしていました。
屋根に上がるのは面白い体験でしたが、何のクッションもなく、
いきなり身廊の屋根の上に立つのは、少し罰当たりな感じがしなくもありませんでした。



回廊の左の宝物館塔は16Cに造られたもので、制作意図は不明ですが、
インカのピラミッドにも似ていて、当時の情報を基にして造られた可能性もあると考えられています。
右側の塔は17Cに同じデザインで造られたものです。


 
ガリシア自治州旗  サンティアゴ市旗

右側写真に写っている市庁舎(ラホイ宮)の4本の旗は、両端がスペイン国旗とEU旗で、
真中がセブレイロ峠のサンタ・マリア・ラ・レアル教会の奇跡に由来する聖杯がデザインされている
ガリシア自治州旗、その後ろにサンティアゴ市旗が少し顔を覗かせています。


 

中央に噴水があるプラテリアス広場の写真は、左手前に少し見えているのがサンティアゴ歴史大学で、
グレーの屋根の建物が博物館、その奥に巡礼オフィスが見えています。
右の写真はコンパクトながら美しい佇まいのピラール聖母礼拝堂の天井ドームです。


ペラーヨ女子修道院

昨日は朝陽の中、この時は逆光アングルになってしまったゴシック様式の上にバロック様式を重ねた時計塔は、
短針しかないものですが、毎時ベルを鳴らしているそうです。
最上部はガラス張りになっていて、内部で灯したランプが巡礼者達の灯台の役割を果たしていましたが、
現在は聖年の年にしか灯されないようです。


青空と思ったら、いつの間にか雨、またすぐ青空・・・と変化が激しい空模様の中、雨宿りをした塔の軒下で、
厚い石壁の小さな窓にカメラを差し込んで主祭壇の一部を写してみると、
大聖堂最古の12Cの外壁とおよそ不釣り合いなバロックな世界が広がっていました。
右側は天国の門のファサードの裏側とサン・マルティン・ピナリオ修道院です。



見張り塔跡

石柵とサン・マルティン・ピナリオ修道院

北側には兵士による見張りが不要になったため塔が撤去された元・見張り塔建物や
サン・マルティン・ピナリオ修道院があり、手前に写っているのが落下防止の頑丈な石柵です。


トリビューンの天井

大聖堂の中に戻り、トリビューン(側廊上部の廊下状空間)に入ると、物置状態の部分もありましたが、
心臓部である身廊全体を俯瞰した時には、大聖堂を味わい尽くした満足感を覚えました。
天井に神の子羊を配したトリビューンの天井はシンプルな美しさを持っていました。



カメノテ

  
マテ貝                   エビ                   エビとアボガド
  
カタクチイワシ               タコのガリシア風               ムール貝    

1時間の屋根裏&屋上ツアーを終えた後、希望者は添乗員Iさんの案内で、
1時過ぎから1時間あまり、フランコ通りのレストランで魚貝づくしランチを堪能しました。
サン・セバスチャンの魚店で見て以来気になっていたカメノテはグロテスクな見かけで、
日本ではダシにしか使わないと言われますが、しっかりと身が入って良い歯ごたえでしたし、
数十年ぶりのマテ貝などひとつひとつが味わい深く、昨夜、貝のオーダーを忘れられてしまった無念も
しっかりと晴らすことが出来て、何の思い残しもなく、帰国の途に着くことが出来ました。



2時45分にサンティアゴ・デ・コンポステラを出発して、南へバスを走らせて1時間ほどでポンテベドラを通過、
ヴィーゴ湾にかかるランテ橋を渡る時は車窓の両側にカキの養殖風景が見られました。
雨が降ったり止んだりする中、湾沿いの道を走って、4時半ごろヴィーゴ空港に到着しました。



ヴィーゴ空港は小さなローカル空港で、ハモン・イベリコなどを買うことが出来なかったことを残念に思いながら、
搭乗ゲートへ向かうと、6時にパリへ折り返す筈のEMB170機が5時40分に着陸するのが見え、
遅れは必至だなぁと見ていると、まもなく乗客が降り始め、荷物の搬出入の車が行き交い始めました。
自身のスーツケースが運び込まれる珍しい光景を眺めていると、やがて搭乗が始まり、
リージョナルジェットはわずか10分の遅れでパリへ向けて飛び立つことが出来ました。



ヴィーゴ空港

ヴィーゴ湾

左側の窓席でしたので、大西洋に沈む夕日を期待したのですが、絵のような景色が広がることはなく、
ぼんやりとした夕日の中を飛んで、定刻の8時にシャルル・ド・ゴール空港に到着しました。

ヨーロッパ国家間のシェンゲン協定によって出入国検査はなく、荷物検査だけで搭乗エリアへ行けましたので、
11時頃成田行きの搭乗が始まるまで、のんびりとショップを覗き、お土産の買い足しなどをして過ごしました。
夜の成田便はボーイング777−300ERで、来る時のエアバスの快適さは得られませんでしたが、
夜間飛行をして、成田に着いたらまた夜という訳の分からない一日ですので、
12時間を空白時間と決めて、ぼんやりと半覚半眠といった状態で過ごしました。



23 Oct.2012
Paris〜Narita

     

毎度の食欲をそそらない機内食画像ですが、機内誌によると、
最近はエコノミー・クラスの食事をランクアップする事前オーダー・システムができているようです。
とは言え、特に帰国の時は食欲よりも睡眠欲ですので、試すことがあるかはさて・・・。

ほぼ定刻の11時35分にシャルル・ド・ゴール空港を飛び立ったエア・フランス機は、
15分ほど遅れて午後6時15分過ぎに成田空港に到着し、
7時半のリムジンバスで新宿に出てタクシーに乗り換え、9時に帰宅して、15日間の旅が無事に終わりました。

カタルーニャ、アラゴン、ナバラ、バスク、カンタブリア、カスティーリャ、ガリシア自治州を駆け足で見聞し、
撮り集めたメモ写真は3000枚を超え、夫の1000枚超えと合わせて、
気が遠くなるような整理作業となりましたが、
ともかく一応のまとめを終えて、旅の輪郭はほぼつかむことが出来たと感じています。
イスラム支配がもたらした重層した歴史や文化、美しく、厳しい自然など、
色あせない魅力を残す北スペインへの旅へいざなって下さったサンティアゴ様に感謝をこめて、
終わりのご挨拶を捧げておくことにしましょう。

世界中の国々が幾多の困難を抱える時代ですが、というより、いつの時代も試練が尽きることはありませんが、
マタモロスではなく、巡礼姿のサンティアゴ様のお守りを得て、平穏な2013年が訪れますように!

                                                      (2012.12.12)


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