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宝厳寺は724年(神亀元年)に聖武天皇の夢枕に立った天照大神から、 「江州の湖中の弁才天の聖地の小島に寺院を建立すれば、国家安泰、五穀豊穣、万民豊楽」とお告げがあり、 勅使とされた行基が堂塔を開基したことに始まると寺伝が伝え、弁才天像を本尊としています。 かつては天皇の行幸があり、最澄、弘法大師なども修行をしたと伝えられますが、 本堂を神社へ譲った後、仮安置されていた弁才天は、1942年(昭和17)に再建された現在の本堂に置かれています。 大弁才天の分身(宝厳寺HPより) 七福神の一人として民衆の信仰を集めて来た弁才天は、インドの古代信仰の水を司る神「サラスヴァティー神」に由来、 汚れを洗い流す力を持つ水が人々の心(菩提心)を守るとされ、修行、芸道、商道の守り神になったと言われています。 江の島、宮島と並び、「日本三弁才天」とされる宝厳寺の本尊は行基による開眼と伝わる秘仏で、 最古の建立ということで大弁才天と称され、60年に1度(次回は2037年)開帳されています。 そのため本尊ではなく、分身とされる弁才天が前立てとして厨子の前に置かれていました。 因みに琵琶湖の名前は弁才天が手にする琵琶に由来、大きくて深い北湖が胴、狭くて浅い南湖が首の部分とされ、 立体的にも琵琶と形が似ている琵琶湖の名前は、鎌倉時代の史料に確認できるそうです。 五重石塔 三重塔 滋賀郡の山中から採れた小松石で作られた五層の石塔は高さ247cm、地・水・火・風・空をかたどったものと言われ、 初重塔身に四仏が彫られ、屋根が上層軸部と一石彫成された鎌倉時代中期の特徴を持つもので、 重要文化財の指定を受けています。 釈迦の遺灰を収めた仏舎利塔を形どった三重塔は、宝厳寺では江戸時代初期に落雷で焼失した後、 古来の工法に基づいて、2000年(平成12)に350年振りに復元されていますが、 四本柱に32体の天部の神々、四方の壁に真言宗の8人の高祖を配している内部は、一般開放されていません。 雨宝塔 モチノキ 雨宝童子は真言宗の立場からなされた神仏習合の両部神道の神で、天照大神が地上に降り立った姿とされ、 頭上に五輪塔を掲げ、右手に宝棒、左手に宝珠を持つ童子の姿で祀られていました。 豊臣秀頼の命を受けた普請奉行の片桐且元が、1602年(慶長7)に観音堂、唐門、渡廊下を移築した時に、 手植えしたと伝わるモチノキも保存木となっていました。