[ホーム] [国内TOP] [様似P2]

様似日記           25 Jul−3 Aug 2010

3年余り前のモロッコ・アンダルシア・ツアー以来の旅友達HZ夫妻とその妹さんのHN夫妻のお誘いで、
北海道の様似で夏休みを過ごしてきました。

私達夫婦は7月25日の夜8時半のANA便で羽田を経ち、新千歳空港へ向いましたが、
羽田では「濃霧のため羽田空港へ引き返すことがありますのでご了承ください」と言われ、
不安を道連れにした10日間の旅の始まりでしたので、
千歳上空に差し掛かり、街の灯が見えた時は、北海道に降り立つ喜びがいっそう増すようでした。

10時過ぎに新千歳空港内のホテル・コムズにチェックインして、部屋のすぐ外に駐機中の飛行機が見える
涼しい部屋に入ると、あっという間に東京の猛暑を忘れ、北海道モードに入りました。




様似              26 Jul 2010

KSさんの別荘 様似の町とアポイ岳

羽田発JAL便で午前8時25分に新千歳空港に到着された2組夫妻を到着ゲートでお迎えしてから、
ホンダ・レンタカーの送迎バスで営業所へ行き、ネット予約をしておいたストリームに9時過ぎに乗り換えて、
千歳から160kmほど南東に位置する様似へ向いました。

日高自動車道を下りて富川で登山用品などの買物をした後、昆布漁で賑わう海沿いの国道236号線を走り、
浦河でラーメンのランチを取って、1時15分頃様似に到着しました。

様似では2組夫妻のお知り合いが故郷に建てられた別荘に7泊8日滞在させていただいたのですが、
たまたま高校のクラス会で札幌へいらしていた別荘主のKSさんも
私達と前後して学友のKJさんの車で札幌から様似へ到着され、町役場前で合流することができました。

KSさんの別荘(築8年)は ロケーション良く、様似の町やアポイ岳を見渡せる高台に建っていました。


親子岩ふれ愛ビーチ 親子岩とソビラ岩

1階の2ベッドルームとロフト階を部屋割りして、それぞれ荷物を片付けた後、
女性3人で車でコープへ食料や日用品の買物に行ったのですが、
程度の差はあるものの3人揃って方向音痴を誇る?ことが分ったのは、
2度ほどUターンしながらも無事に別荘へ戻って来てからのことで、
その後、何度も利用することになった最寄のコープとは別店舗で買物をして来たことは分っても、
その時に辿ったルートは不明のままに終りました。(多分、最初の角を反対方向に向ったものと・・・。)

一休みした後、KJさんが様似名所を案内して下さり、最初に「親子岩ふれ愛ビーチ」へ行きました。
夫婦岩は結構多いものですが、3つ並んだ親子岩(ウンペレプンケ)というのは珍しく、
戦いに敗れた酋長が逃した妻子が海に入って岩になった後、酋長も大きな岩となって並んだ所、
敵酋長が放ったヨモギの矢によって3つに割られてしまったというアイヌ伝説が残り、
ソビラ岩(烏帽子岩)と共に町のシンボル岩となっています。


観音山公園 様似漁港とエンルム岬

次に江戸時代に蝦夷三官寺の筆頭寺院であった等じゅ院の中興の祖である塚田純田が
明治28年(1895)に33観音像を安置して観音山と呼ばれるようになった標高83mの公園の展望台から、
様似漁港や親子岩の夕暮れの眺望を楽しみました。
春先にはアズマイチゲ、エゾエンゴサク、カタクリ、オオバナノエンレイソウの群落が見られるという
カシワ、ミズナラ、ヤマグワなどの自然林が残された公園でした。

その後、エンルム岬に立ち寄り、左右に広がる様似の海岸線を見渡すと、
同じ太平洋ながら私の出身地の高知と色や空気が全く違っていて、遠くの地に立った感慨を覚えました。




夕方6時前に送迎マイクロバスでアポイ山荘へ向い、KSさん、KJさんが一席を設けてくださった
レストラン「えぞ鹿」で夕食をご馳走になりました。
2006年9月に天皇皇后両陛下が札幌で開催された国際顕微鏡学会の帰りに日高地方に立ち寄られた折に
この山荘に泊まられたこと、サメガレイ、鮭の白子、マツモなど珍しいお料理のこと、
小学校から高校まで一緒に過ごしたお2人の昔話などを伺いながら、
ゆっくりと食事をして、8時半過ぎに別荘へ戻り、
思いも掛けなかったご好意を受け、戸惑い気味に様似の最初の夜が更けていきました。




    襟裳岬             27 Jul 2010


朝8時半に出発して襟裳岬へ向うと、20分ほどで前方に海霧に包まれた岬が見え始め、
少し肌寒い岬に40分程で到着しましたが、霧が晴れて、日差しが出ると共に汗ばむ気温になりました。



日高山脈が太平洋に沈み込んだ岬の先に2km続く岩礁地帯は海面下に没してからも延々6kmも続き、
東南185km先の海面下には襟裳海山と呼ばれる高さ4200mの海中山が潜んでいるのだそうです。
岬や最果ての地というのはとりわけ旅情を誘われるものですが、
襟裳岬の荒々しいユニークな姿は、テンションの高さを引いても、強く印象に刻まれるようでした。
双眼鏡を覗いてもゼニガタアザラシに出会えなかったことは残念でした。


   
  エゾフウロ ナガボノシロワレモコウ ツリガネニンジン エゾノコギリソウ

カシワやダケカンバで覆われていた襟裳周辺は、開拓期の伐採などで昭和初期には砂漠化し、
表土が海へ流れ出して、漁業にも深刻な影響を与えていたそうですが、
昭和28年からの緑化事業による緑の復活と共に漁業も活気を取り戻したものの、
北海道に自生しないクロマツを使ったことなどが今後の課題とされているようです。
年間260日以上も吹くという強風にもめげずに咲く様々な野草が目を楽しませてくれました。



来る途中に看板を見つけた短角牛の牧場へ行く為に、もと来た道を戻ったのですが、
看板が逆方向になっていたため通り過ごしたり、人に尋ねたりしながら、
ようやく探し当てた「短角王国 守人(まぶりっと)」は火曜日が定休で、人影もなく、アンラッキーでした。
生協で取り扱い始めた牛のルーツを知ることは出来ましたが、牛達の獰猛な目付きにはちょっと腰引け・・・でした。

次に周辺海域で南部藩の大型船が遭難した時に死者が100人にもなったことに由来するという百人浜へ
下りて行きましたが、昆布を干す作業に忙しい浜に迷い込んでしまい、早々に退散しました。
昆布漁は干した日に乾かないと等級が落ちるためお天気頼みの厳しい作業だそうです。




海岸沿いの国道336号線、「まるで金を敷き詰めたように資金が費やされた」黄金道路を通って広尾へ行き、
道路沿いの魚卸店?で教えてもらったお店「八幸」でのチラシ丼ランチはとても新鮮で美味でした。

広尾を出て、1997年に開通したという天馬街道を走って、帰路につきましたが、
日高山脈を貫通する道内最長の4232mの野怎gンネルなど平成の「黄金」がつぎこまれた道路は
自然の豊かさや牧場風景の美しさとともに、通行する車数の少なさが印象的でした。


 

3時に帰り着くと、まもなくKJさんが毛ガニやウニを届けて下さいましたので、
この夜は、明日帰京されるKSさんも一緒に夕食をとることに話がまとまりました。
(別荘を占領されてしまったKSさんはKJさん宅に2泊されました。)

やはり高校の同級生で、隣に住むTJさん達もいらして、総勢11名の賑やかな夕食には、
フグの卵の粕漬け、マスコ、タコ、ホッキ貝、TJ夫人が届けて下さったスジコなど様々な北海の幸が並びました。

団塊世代のKSさん達が高校生の頃には、日高本線の終着駅である様似駅前には
襟裳岬観光のバスが列をなして並んでいたそうですが、
今では2時間に1本、1両車両が発着するだけの寂しい駅となっています。
どなたかが森進一が「えりもの春は何もない春です」と歌ったのがいけないんだと言っていましたっけ・・・。

江戸後期の東蝦夷地の要路で、アイヌ語「サンマウニ」(朽ち木のある所)に由来するという様似は、
1952年に町制が敷かれ、現在は水産、農畜産で成り立つ人口5250人程の町です。
思い掛けないご縁から、遠い地方の方々の篤い人情にも触れ、特別な様似ステイとなりました。




アポイ岳           28 Jul 2010


天気予報通り夜半から雨になり、予定変更かと思われたのですが、早朝には日差しも見られましたので、
アポイ岳への登山を敢行しました。

アポイ岳は2000万年前に日高山脈が形成された時、地下60〜75kmの上部マントルが上昇露出した
幌満かんらん岩体で構成され、その超塩基性土壌と海霧や強風の気象条件によって、
810.6mという低標高でありながら、固有な高山植物が生育する稀有な山で、
国の特別天然記念物の指定を受け、地学上でも国際的に知られた山だそうです。

 
     熊除け道具   馬の背標高595mの標識

8時半過ぎに登山口をスタートして、5号目までの森林地帯を登っている時に降って来た小雨は
馬の背(稜線部)に出た時には止みましたが、霧の中の登山となりました。
流れる霧の間にたまに現れる様似の町景色を見たり、花をカメラに収めたり、
岩礫地に苦労しながらもペリドットの原石であるかんらん岩の小石を物色したりしながら、
3時間半で頂上に到着することが出来ました。




おむすび弁当を食べ終えた頃、小学生の一団が登ってきましたので、先生に写真を撮っていただきました。


自身の足で到達した山頂からの眺めはまた格別のものでした。
本州であれば2500m以上でなければ見られないハイマツが300m位から現れ、
ハイマツ帯が切れた9号目から頂上にかけてダケカンバ林が見られるのもアポイ岳の特殊さで、
ダケカンバの林床にはスズラン、エゾオオサクラソウなど山麓部の植物まで伴なっている所が謎とされています。

 

お天気が回復して暑くなった中を、時々振りかえっては、「あんな所まで登ったのね!」と自賛し合いながら、
登山初心者にとっては大変な難路を、何度も休憩を入れながら、ゆっくり下っていきました。
登る時に山頂が霧の中に隠れていたのは幸いで、晴れた空の下に屹立する山頂が見えていたら
気持が萎えてしまい、もしかしたら、私達の中には落伍者が出ていたかもしれません。
「もう絶対に登らない」「歩くのに飽きたよ〜」などと言いながら、3時間ほどかけて無事下山しました。


エゾシャクナゲ クルマユリ アポイマンテマ イブキジャコウソウ
ミヤマワレモコウ ヒメエゾネギ サマニオトギリ キンロバイ
ホツツジ オヤマソバ アポイハハコ ホソバトウチ

別荘へ着替えを取りに戻ってから、再びアポイまで車を走らせ、アポイ山荘の太平洋に面した大浴場で汗を流し、
心身ともにさっぱりして、快い疲れの中で、9時半に早寝をした夜となりました。




短角牛と魚           29 Jul 2010

身体のそこかしこの筋肉痛と共に始まったこの日は、女性陣は一昨日のリベンジで襟裳へ短角牛の買い出しに、
男性陣は海へ出稼ぎに?出掛けることになりました。

少し遅目の10時45分頃出発して、釣防波堤の近くで男性陣は下車、私達は襟裳へ向い、
今回は一発で(何しろ迷いようのない一本道!)「短角王国 守人」に到着しましたが、
霧に包まれた牧場の中に大きなエゾシカが沢山いて、少しスリリングなドライブとなりました。
お店に着いて聞いた所によると、人間や車を襲うことはないけれど牧草を食べられて困るとのことでした。

短角牛というのは東北地方で改良された自然の中で育つ牛で、
襟裳では明治28年頃から漁家の凶漁対策として飼い始められ、当時の厳しい生活を救ったそうですが、
霜降り肉におされ気味の時代が続いて、赤身肉の短角牛は数が減り、貴重なものとなっています。

短角牛のひき肉で作ったハンバーガーをランチにいただき、
ステーキ、カルビ、レバー、ソーセージなどをたくさん買い込んで帰途につきました。
因みに、「守人まぶりっと」というのは放牧中の牛を管理する人という東北弁で、
短角牛の角が短いのは角を切る除角のせいで、
名前の由来は和牛改良のためにアメリカから輸入されたショートホーン種に因むようです。


   

2時前に釣隊を迎えに行くと、間もなく本日2匹目の魚、アブラコ(アイナメ)が釣り上がりました。
途端に数羽のカモメが狙いに来たのには驚かされました。


釣頭のHZさんがソイとアブラコを美しいお造りにして下さって、
札幌から2泊3日の予定で遊びにいらしたHN夫妻の学友のHKさん歓迎の夕食に華を添えてくれました。
ロフトに場所を変えて続いた3人さんの酒宴が何時に終わったのかは定かではありません。


[国内TOP] [様似P2]