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2014・5・28
八ケ岳高原〜清里〜吐竜の滝〜平山郁夫美術館〜小淵沢〜新宿
                           

宿泊した中央館

遊歩道

3日目の朝は、にぎやかな鳥のさえずり声で目を覚ましました。
お天気も上々でしたので、ゆっくりと身支度や荷物整理をした後、7時頃、朝の散歩に出掛けました。


    
ミヤマウグイスカグラ                    コナシ    

カラマツの林を抜けるとミズナラやカンバ類の木立の中に遊歩道が続いていて、所々に可憐な花の姿が見られました。
標高1580mほどの高原の春はゆっくりと訪れるようです。



八ケ岳高原音楽堂

八ケ岳連峰方面

遊歩道を500mほど歩いて行くと、八ケ岳高原音楽堂がありました。
スヴァトスラフ・リヒテル氏と武満徹氏のアドバイスを受け、吉村順三氏(1908−1997)によって設計された八ケ岳高原音楽堂は、
小ホールとして理想的な残響1.6秒を実現した音楽堂として昭和63年(1988)に誕生、
二つのトップライトを抱いた大屋根や木の柱がスマートさと暖かさを併せ持ち、自然とゆるやかに共存していて、
コンサートが行われる週末に滞在して、是非、音楽も聴いてみたいものだと思われました。



音楽堂からさらに100mほど先に八ケ岳高原ヒュッテがありました。
元侯爵徳川義親氏(尾張徳川家19代当主)が渡辺仁氏(1887−1973)の設計で昭和9年(1934)に目白に建てた
イギリス・チューダー様式の建物を昭和43年(1968)に当地に移築し、ホテルとして使っていたのが八ケ岳高原ヒュッテで、
現在は5月の連休と夏季(7月中旬〜9月初旬)のみ、レストラン、カフェ、展示室の営業が行われています。
昭和51年(1976)にテレビドラマ「高原へいらっしゃい」の舞台としても利用されていて、
清里など高原の観光ブームの牽引のひとつとなった一時代を語り継いでいるようにも思えました。



メイン・ロビー

セカンド・ロビー

45分ほどの散歩を終えて、ロッジへ戻ると、ロビーの一画でYさんが新聞を読んだり、バードウォッチングを楽しんでいました。
双眼鏡などが置かれたコーナーで庭の餌台を眺めていると、ちょうどウソがやって来ましたので、
フィールドスコープのレンズにデジカメをくっつけて、望遠レンズの代わりにして、写真を撮ってみました。



餌をくわえたウソ

  

8時からの朝食は和・洋食のいずれかを選び、卵はオムレツ、ボイルなど料理法をオーダー出来るようになっていました。
ゆっくり朝食をいただいた後、9時にロッジの売店でお土産を買ったり、チェックアウトを終え、
荷物を車に載せてから、ロッジのレセプションでいただいた「海の口自然郷・おすすめ散策コース」の中、
約4kmの「せせらぎコース」に出発しました。



海ノ口自然郷は、約1万年前の山体崩壊によって出来た八ケ岳南麓の杣添尾根に残された荒れ果てた牧場跡地を、
昭和38年(1963)からセゾン系の会社が整地し、樹木を植えてリゾート開発して生まれた別荘地です。
美鈴池へ向かって、ゆるやかな遊歩道を上って行くと、驚くほど大きな別荘が点在し、日本の別荘地とは思えない、
ヨーロッパを思わせるような景観を見せるエリアがありました。


  
シロバナノヘビイチゴ                ハルリンドウ                 ベニバナイチヤクソウ



花数は多くはありませんでしたが、林床に咲く春の野草を楽しみながら、30分足らずで美鈴池に到着し、
赤岳、横岳、硫黄岳など八ケ岳連峰と美鈴池の美しいコラボレーションに出会うことが出来ました。
美鈴池はこのような眺望が得られる場所に造られた人工池のようですが、
造成されて半世紀を過ぎて自然と一体化した様子に、昨夏、北イタリアで出会った美しい湖畔の景色が思い出されました。


美鈴地区から杣添地区に入ると、樹齢数百年といわれるコメツガやシラビソなどの森の中で、
ミツバツツジが鮮やかな赤紫の花色を見せていましたが、それよりも目立っていたのが鹿の食害にあった無残な木々の姿でした。
全国各地でここ10年間で鹿の数が倍増、狩猟をする人が少なくなったことの他、
食べ物を消化するために塩を必要とする鹿にとって、冬場の塩摂取が死活問題であった所、
道路にまく除雪用の塩化ナトリウムが塩の供給源となっていたことが増殖の原因のひとつと判明したようです。
各自治体では国策を待たない対応が始まっているそうですが、本当に早急な対策が望まれる問題だと思われ、
御頭祭を行ない、鹿食免(かじきめん)のお札や箸を配布していた諏訪大社は、
環境と合理的に共存するシステムだったのかもしれないという思いも浮かんだ遊歩道散策の一コマでした。



全長9919mを有する杣添川は千曲川の支流のひとつで、「せせらぎ」というには荒々しい上流の景観でしたが、
イワナが棲み、渓流釣りを楽しむことも出来、自然観察の場所としても親しまれている河川だそうです。
川沿いにはリゾート・マンションがたくさん建っているのも見られた杣添地区でした。



ウグイスやカラ類の鳴き声をお供にした散策は、遊歩道マップのプラン通り、ちょうど2時間で終わって、
11時20分にスタート地点のロッジに戻って来ました。




ロッジでトイレ休憩の後、4人で乗っても全く狭さを感じなかったホンダ「FIT」で、小淵沢へ向けて3日目の走行が始まりました。



11時半過ぎにロッジを出発して、昼食の場所と決めた清泉寮へ向かったのですが、
レストランがお休みだったため、そこで教わった「萌木の村」へ行きました。
昭和50年代からの清里ブームがバブル崩壊後に沈静化した後、
清里駅からほど近くの県道141号線沿いに、町おこしのひとつとして造られたのが「萌木の村」で、
ホテル、レストラン、カントリー風ショップ、オルゴール博物館などが点在するコミュニティ・パークとなっていました。



    

ここでの目的はランチでしたので「ハット・ウォールデン」へ直行し、地元産の素材を使ったパスタや窯焼きピッツァをいただきました。
とても美味しく、雰囲気の良いお店でしたので、お勧め店としても良さそうです。


  
  ミヤマザクラ                         サラサドウダン

パーク内には満開のコナシ、ミヤマザクラ、サラサドウダンなどの花木が見られました。
昼食後は、「岩のあちこちから水が噴き出してる滝があった筈だけど・・・?」とレストランでYさんが尋ね、
「吐竜の滝ですね」と教わった滝へ寄ることになりました。




15分程で着いた吐竜の滝の駐車場には、戦後の農村復興の拠点として清里の地を選んだポール・ラッシュ博士の
「DO YOUR BEST AND IT MUST BE FIRST CLASS」という案内板が掲げられていました。



川俣川渓谷(龍泉峡)沿いの遊歩道を10分程歩き、小海線の鉄橋の下を通り抜けた先に吐竜の滝がありました。


満開のヤマツツジ


岩間から絹糸のように何筋も流れ落ちる吐竜の滝は、川俣川渓谷にいくつかある滝の中で最も美しいと言われ、
幅15m、落差10mの小さな滝ですが、新緑の中で、得も言われぬ趣きを見せていました。



ミニ・ハイキングを楽しんだ後、2時頃、吐竜の滝の駐車場を出て、ちょっと不安なカーナビでしたが、
「平山郁夫通り」という標識にも助けられて、20分程で最後の目的地「平山郁夫シルクロード美術館」に到着しました。
時間があったら寄ってみたいと思っていた美術館には、
平山郁夫氏(1930−2009)の日本画と40年にわたって収集したシルクロードの美術品が収蔵されていて、
「日本の風景を描く」「シルクロードの仏たち」「シルクロードのコイン−王侯たちの肖像−」とテーマ別の展示を楽しむことができました。
下図やスケッチも並べられた日本の風景画、楼蘭やパルミラのキャラバンを描いた大作、
ガンダーラや中国の仏像や日本の11面観音、アレクサンダーやクレオパトラ、ユリアヌス2世など名だたる王侯のコインなど
見応えのある展示品をみて、旅の終わりに、また一味違った豊かな時間を過ごすことができました。

美術館から10分余りで小淵沢駅に到着し、3時20分頃、走行距離249.3kmのレンタカーの旅が終わりました。
駅の売店カウンターでビールなどで一休みした後、4時5分発のあずさ24号に乗って、帰路につきました。



車窓からの見納めの山景色

  

少し遅れて、6時15分頃に新宿に到着し、駅ビルの「つばめグリル」で、打ち上げ夕食会となりました。
ニシンの酢漬け、アイスバインの他にロールキャベツなども取った筈ですが、すっかりくつろいでしまったようで?
残っている写真は2枚だけでした・・・。

ともあれ、渋谷からタクシーに乗って、8時過ぎに帰宅、大きな満足と心地よい疲れと共に小さな旅が終わりを迎えました。
多くの見聞に出会う旅が出来たことをミシャグジ神と諏訪大神に感謝しつつ!

                                                      (2014.6.12)


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