[ホーム][目次][P11]   

31 Aug 2007
Erzurum〜Trabzon〜Uzungol〜Macka

エルズルムから5km南に位置する宿泊したホテルのあるパランドケン・スキー場は、
世界でも長い急斜面で有名なスキー場の一つに数えられているそうです。
この日もホテルを7時出発でしたので、5時半に起き、部屋からの景色をカメラに収めたり、
レストランがオープンするまでホテルの外へ出てみましたが、ブラウスだけでは我慢できない寒さでした。
上はいずれも朝6時前に写した写真です。

パランドケン・スキー場周辺 バス移動の1日のスタート
コップ峠(標高2370m)

この日は黒海沿岸のトラブゾンまでひたすらバス移動の1日でした。
8時45分バイブルト、10時過ぎギムシュハーネのガソリンスタンドでトイレ休憩を入れながら、
2000〜4500mの山が連なる黒海山脈を通り抜けて行きました。
記念碑が建っている峠の頂上は軍事施設となっているようでした。
途中で道路工事のため片側通行になっている所があり、10分ほど待機させられましたが、
渋滞など忘れていた東トルコの旅で、その時間が随分長く感じられました。
トルコで2番目に長いといわれる長さ1.7kmのシガナ・トンネルを抜けると、
山に緑が増え、木組みの古い民家が見られるようになりました。
山の上に見られるのは地中海側と同じくバーと呼ばれる避暑用の家だそうです。



 

お昼前に鱒の養殖場を持ったマチカのレストランに到着しました。
大皿に山盛りにした鱒のフライが、1匹ずつ、ぽんぽんとお皿に載せられて行きました。
スープ、サラダ、スイカとお馴染みメニューで、鱒のお代わりは?と尋ねられましたが、
新鮮でおいしくても、1匹で充分でした。



 

アヤ・ソフィア聖堂
鐘楼
ドーム天井 モザイクの床
キリスト 聖母子
カナの結婚 奇跡

1時にレストランを出発、30分ほどでトラブゾンの町外れにあるアヤ・ソフィア聖堂に到着しました。

BC8世紀にギリシア人が入植して作ったポントス王国の都市の一つが
古代にはトラペズス(台地)と呼ばれた黒海東部最大の町トラブゾンです。
ローマ帝国支配の時代は、ペルシアやメソポタミアへの通商路の基点として繁栄しましたが、
258年にゴート人に破壊されて衰退、東ローマ帝国の一地方都市となった後、
1204年に第4次十字軍がコンスタンティノープルを攻略した時に、
アナトリア地方に避難した貴族たちの中、コムネニ家のアレキウス・コムネヌス1世が
グルジアのタマル女王の支援を受けてトレビゾンド帝国を築き、
セルジュク、モンゴル、ジェノヴァなどとうまく手を結んで、東アナトリアやペルシアとの交易で栄え、
アレキウス2世(1297−1330年)の時代に経済的、文化的絶頂期を迎えたそうです。
海と山に囲まれた地の利も得て、派閥争いで衰退しつつも存続していたのですが、
1461年にメフメット2世に征服されオスマン帝国の支配下に、第1次世界大戦後にはギリシア人住民が
トレビゾン共和国設立を要求したもののアタチュルク軍に負けてしまったという歴史を持っています。

5Cに建立され、1238−1263年にかけて改修されたアヤ(聖)ソフィア(神の知恵)聖堂は、
ドームを中心に前後左右に建物が伸びた美しいビザンチン様式の教会でした。
フレスコ画、モザイクの床などビザンチン時代の装飾が残った内部を見学しました。
現在は博物館となり、モスクとして使用されたオスマン時代に漆喰で覆ってしまったフレスコ画などの
修復を進めているようでした。


アヤ・ソフィアの北と西側
アヤ・ソフィア前庭

聖堂から庭に出ると北側に黒海が広がっていました。
去年の秋、ドナウ河を下って黒海へ出る筈の旅が渇水のためブダペストから上流へ向かうことになってしまい、
見ることが出来なかった黒海に対岸から初対面して、ちょっとした感慨がありました。


 
黒海沿いの道路

2時過ぎにアヤ・ソフィアを出発して、再び南西の山間部へ100km近くバスを走らせ、
ウズンギョルの湖へ向いました。
山に茶畑が広がり、谷間を川が流れ、日本に似た風景が続いていました。


トルコ有数の避暑地として観光ポスターにも登場するというウズンギュルの景色です。


土砂崩れで川がせき止められて出来たという長さ1km、幅500m程の標高1900mにある湖の周りを、
1時間ほど散策して回りました。


植物や野鳥観察、トレッキングなど、さらに標高の高い山々の間の湖や高原の散策など、
観光面でのポテンシャルが非常に大きいと言われるウズンギュルですが、
2時間かけて訪ねて来て、1時間だけ過ごす、というのはもったいないというか、
途中でついでに寄るならいいでしょう、という程度の景色が広がっていて、
正直、日本人ツアーとしてはコース・ミスではないかと思われる場所でした。
トルコ人にとっては楽しいピクニックの場所のようでしたが、
「のどかな牧歌的な風景が広がる」とうたった旅行社パンフレットの地は期待外れに終わりました。


再びバスに乗って、トラブゾン経由、昼食を取ったマチカへ戻りました。
車窓には、魚を売る屋台や道路でヘーゼルナッツを乾燥させている情景が見られました。

夕刻のトラブゾンの町はミニ・バスで渋滞していました。
ドルムシュ(乗合タクシー)に代わって、最近はミニバスが多くなっているそうですが、
バス会社がマフィアの独占経営だとツゥレイさんが渋い顔をしていました。
そういう町を避けての避暑地観光だったのかもしれませんが、
町でゆっくり5時間を過ごした方が有効ではなかったかと思いつつ、トラブゾンを素通りして行きました。



 

7時にホテルに着いて、部屋に入らないまま、レストランでバイキングの夕食となりましたが、
長いドライブの疲れとウズンギュルの不完全燃焼な気分で、余り盛り上がらない夕食タイムとなりました。
ヴァン、カルスなどでも夕食前にツゥレイさんと町へ出て買い物をしましょうという話が
到着時間の都合で流れてしまいましたし、食事前に近くのスーパーへ出掛けて行った人もいたようです。

部屋に行くと差し込み口のない鍵にちょっと焦りましたが、かざせば良いというハイテク鍵で、
部屋の中の設備も新しく、清潔で、疲れが少し癒される感じがしました。

目次][P11