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聖母マリア川 |
スメラ僧院遠望 |
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8時半にホテルをバスで出発、黒海に流れる聖母マリア川を車窓に見ながら山を25分程走った所で、
2台のワゴン車に乗り換えて、さらに10分足らず山を上りました。
スメラ僧院遠望のビューポイントで車を止めて、写真タイムが取られた時、
ついでにラズ人の運転手君の横顔も写真に撮らせていただきました。
何しろラズ人というのはギネスブックにのった人がいるという程、鼻の高さが有名なのだそうです。
因みに昨日のエルズレムはダダシュ人の町で、東トルコには少数民族がモザイクのように住んでいるようです。
車から降りて、10分ほど山道を歩いて登り、標高1200mのスメラ僧院に到着しました。
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シガナ山(黒い山)の断崖に張り付いているようにしか見えなかったスメラ僧院ですが、
中に入ると聖堂、図書館や集会所、台所、寝室など、いろんな建物の集合体であることが分かります。
建物は6階建てで72室あるそうです。左側の写真には水道橋が写っています。
聖ルカが描いた聖母マリアのイコンの3枚のうちの1枚が奇跡によってアクロポリスから持ち込まれため、
ギリシア人修道士バルナバとソフロニウスが4世紀に聖堂を建てたのが僧院の始まりだと言われていますが、
現在見られる建物は13世紀のものだそうです。
オスマン支配の時代にもギリシア系のキリスト教徒が住んでいたそうですが、
ギリシア・トルコ戦争の折に僧院の多くが破壊され、木造部分が焼失、その後、修復が重ねられているようです。
トルコが共和国になった後、ギリシア人修道士は政府の許可を得て、祖国のスメラ教会へ戻って行ったそうです。
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聖堂 |
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聖母子 |
聖母マリアの死 |
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岩山を穿って作られた「黒い聖母マリア教会」と呼ばれる聖堂の外壁にはキリストの生涯、
内部には聖母マリアを中心とした9世紀以来のフレスコ画が残っていましたが、
下段左のマリアのご訪問、受胎告知の下の絵にみられるような落書きが随所にあり、
とても残念なことだと思われました。聖人の絵を飲み込むと病気が治るという言い伝えは
カッパドキア地方のことで、このあたりでは食べる人はいないそうですが・・・。
今回のツアーで見てきたアニのチグラネス・ホネンツ教会、アヤ・ソフィア聖堂などのように、
マリアを大きく描き、死の場面を入れるのが正教の特徴のようです。
鮮やかに修復されたフレスコ画にも共通したタッチが見られました。
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ここスメラ僧院は重要な巡礼教会として、ロシアをはじめ近隣国から多くの信者が訪れるそうですが、
この日はアメリカ人と私達が外国からの観光客のようでした。
トルコ人の若い女性に「何で来ているの?」と英語で聞かれ、バカンス、ホリディ、観光と答えたのですが、
意味が通じないようでした。仕事のことかと思い直し、主婦とも答えてみましたが、
休暇、観光、主婦という概念を持たないのか、英語力のせいか、うまくコミュニケーションが出来ませんでした。
4世代の大家族で来ていた女性でしたが、トルコの第2外国語は英語のことが多く、
若い世代は英語になじんでいるようです。
ガイドのツゥレイさん(53歳)は40歳から学んだ日本語以外にイタリア語、スペイン語を話せるようですが、
英語は分らないようでした。
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10時半に集合して、下山しました。途中でおじさんが演奏していたのはケメンチェという民族楽器です。
弦楽器の東西交流にも面白い歴史がありそうです。
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下山途中の脇道と昼食を取ったレストラン近くのビューポイントからズームで撮ったスメラ僧院です。
遠目に見るとまるで城塞のように見えます。
「BC400年、ソクラテスの弟子でもあったギリシアの歴史家クセノフォンがペルシア王との戦いに敗れ、
生き残った一万の傭兵団を率いて黒海沿岸に脱出した時に通ったのが、この峠である。
ところが、ようやくトラペズス(トラブゾン)にたどりつこうというとき、ギリシアの傭兵たちはこの地で食べた
蜂蜜の毒にあたって七転八倒の苦しみを味わったという。」(「イスタンブールから船に乗って」澁澤幸子著)
というのがこのあたりの峠のことだそうです。
トルコ語に「デリ・バル(きちがい蜂蜜)」という言葉があり、黒海沿岸東部のツツジやシャクナゲの蜂蜜には
毒性を持つものがあるらしく、激しい吐き気と腹痛に襲われたそうですが、
数日後、回復した兵たちは、眼下に光る黒海を見て「タラッサ(海だ)!タラッサ」と狂喜し、
トラブゾンの町で穀物や肉やワインを略奪し、1ヶ月滞在したのだそうです。
現在も1歳未満の乳児には蜂蜜を与えない方がいいと言いますので、
蜂は蜜にも‘刺す’成分を加えている場合があるようですね。
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炒りヘーゼルナッツと焼きとうもろこしを売っているお店でツゥレイさんが買ったヘーゼルナッツを食べながら、
ワゴン車でバス・パーキング場まで下山、11時過ぎからちょっと早目の昼食となりました。
「この旅行のランチは11時から3時までとすごいバラエティね。」とO添乗員さんをからかう1コマもありました。
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