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城塞 |
ウル・ジャミイ跡 |
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とんがり屋根の家の集落 |
バスに駆け寄ってくる子供達 |
ウルファの街を通過して、先にその南方40km程に位置するハラン遺跡へ行きました。
BC5000年頃から人が住み始めたハランは、1932年に発掘されたマリ・テキストによると、
BC2000年頃の都市国家マリの都の一つであったそうですが、
セム族長老のテラがユーフラテス川下流のウルから家族を連れて、
この地にやって来たのはBC1900年頃だと言われています。
テラの息子アブラハム(人々の父の意)は、この地で亡くなった父テラを埋葬した後、
約束の地カナアンへ向けて出発したと旧約聖書には書かれています。
メソポタミアで信仰された月神シン神殿があり、キャラバン・サライとしても使われたという城塞や、
世界最古といわれるハラン大学があった辺り、モスクの壁とミナレットが残る8世紀のウル・ジャミイなど、
13世紀のモンゴル来襲で廃墟と化したハランにわずかに残る遺跡を見学しました。
旧約聖書、ヒッタイト、アッシリア史にも登場する古代オリエント文明の中心地は、
だだっ広いだけの砂の大地に見えましたが、発掘調査は今も続けられているようでした。
バスが到着すると、村の子供達が群がって来て、アクセサリーを売りつけようとしたり、
「マダーム、ボンボン?チョコレート?」と手を出したりしましたが、
「子供たちは、わっとばかりに車に突進し、開いていた窓から手を突っ込んで、サンドイッチや、フルーツや、
コーラの凄絶な争奪戦が始まった。」(「イスタンブール、時はゆるやかに」澁澤幸子著)などといった
2〜30年前の恐ろしい光景はなく、観光地によくいる人懐っこさと逞しさを合わせ持った子供達のようでした。
豊かな農業と観光収入によって、生活が向上したことの現れでしょうか。
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観光用に開放している日干しレンガのとんがり屋根の家に立ち寄りました。
南イタリアにあるトゥルッロと呼ばれる建物とよく似たこの建築法は、
ササン朝ペルシア時代に始まり、アフガニスタン北部からイランにかけても見ることができ、
天井や壁に蓋付きの通気口、排気口が設けられた室内は、夏は涼しく、冬は暖かく暮らせるそうです。
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何世代が住んでいるのか、赤ちゃんから足の不自由な老女まで、すぐには関係が把握できない大家族が
家を解放し、お土産物を売り、テント喫茶店を開いて、観光業を営んでいるようでした。
記念撮影をさせていただいた右端が12人の子供がいるというお母さんだと思われます。
その子供の中の一人がとんがり屋根ではない別棟にある自室をうれしそうに案内してくれましたが、
彼はもうとんがり屋根の下には住めない、住む気がないのかもしれませんね。
バスの車窓からは、家畜の糞を円盤状に固めた燃料を干していたり、伝統的な生活も垣間見られました。
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