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27 Aug 2007
Diyarbakir〜Bitlis〜Van Golu <Tatvan-Ahlat-Edremit>

市役所
HOTEL DEDEMAN DIYARBAKIR

泊まったホテル・デデマンは客室のある高層建物の手前の2階建て部分にレストランやプールがあり、
朝食に行くと、2階はまだ昨夜のパーティの名残を留めていました。
玄関前に止まっているのは私達のMITSUBISHI社製のバスです。

ホテル近くの市役所あたりまで散歩に行くと「BC722-705 KAPI KORUYUCUSU」というプレートをつけた
ケンタウロス像が正面に置かれていました。ギリシア時代の象徴といった所でしょうか。



8時半にホテルを出発してまもなく、城壁に囲まれたディヤルバクルの街の全貌が車窓に見えました。
この日は東北へ300km余りバスを走らせて、一路ヴァン湖へ向かいます。
野焼きをしている小麦、大麦畑、牛や羊の大群のいる広い牧草地など、時たま通る小さな町や村の他は、
行けども行けども似たような風景が続きますが、不思議と見飽きない車窓風景です。
(時には眠くなってしまったことも事実ですが・・・。)


ティグリス川にかかるマラバディ橋

1時間半ほどで到着したマラバディ橋で休憩しました。
16Cに作られた当時は世界最長だったとトゥレイさんの説明があった全長37mの石橋です。

橋のすぐ上流にダムがありましたが、上部にかすかに読み取れるDSIという文字は、
国家治水事業という意味だそうで、アタチュルクダムにも大きく書かれていました。
今夏のトルコは干ばつで、水不足を心配するニュースを見ましたが、ティグリス川もやはり渇水気味のようでした。



 

マラバディ橋を過ぎてすぐ、すいかを売る人達を見かけましたが、
すいかを車で運んだらしい大人と、後ろの畑直売?の子供達の店構えの違いが目に付きました。
草屋根から判断しても鮮度は子供達の勝ちと思われますが・・・・?


ビトリスの町並み

墓所
モスク

お昼頃、ビトリスの町を通過しました。伝統的なイスラムの衣服を着た女性が歩いていますが、
どんなに暑くても、どこの町でも、このような女性の姿をよく見かけました。
至る所で寄り集まり、おしゃべりばかりしているかに見える軽装の男の人達と対照的ともいえる姿です。

バスの中から写真を撮りながらメモまでは取れませんでしたので、
ガイドブック資料のないこの町は、O添乗員さんの旅日記を借用してご紹介すると、
ビトリスは武将バドリスがアレクサンダーから城壁を造ることを命じられて出来た町で、
町の名前はバドリスに由来するそうです。
時代は定かではありませんが、古い城壁や墓所、モスクが沢山見られる町でした。



 
ヴァン湖 タトワンの町

まもなくヴァン湖が見えてきて、南西に位置するタトワンの町でランチ・タイムとなりました。
ヨーグルトのスープ、サラダ、シシケバブ、スイカとすっかりお馴染みのメニューです。

ランチを取ったKARDELEN HOTELの前も軍事施設で、銃を片手の兵士が入口に立っていましたが、
その後、検問所でも目が合うとにっこりしたり、手を振る兵士すらいて、
軍と言っても、緊張感が段々と薄れていくようでした。
世情が比較的安定しているということ、徴兵制の国の兵士には様々なタイプがいるということでしょうか。



 

海抜1719m、面積3713kuのヴァン湖は琵琶湖の5.5倍という広大な湖ですが、
道路は整備されていても、まだそれ程、観光地化はされていないようで、
取り囲む山々、ターコイズブルーの湖面の自然の織りなすハーモニーが実に素晴らしいものでした。
周囲の山々から注ぐ小さな川はあっても、流れ出る川はなく、高濃度のソーダが含まれる塩湖だそうです。


アラハット共同墓地

ヴァン湖西岸のアラハットにある共同墓地へ行きました。
これら火山性凝灰岩でできた墓石は12〜16Cのセルジュクからオスマントルコ時代のものだと言われています。
800基ほど残った墓石には名前やアラベスク模様が彫り込まれ、ほぼメッカの方向に向けて建てられていました。
11Cのものと見られる住居跡も発掘されていました。

暑さをかこちながら見学していると、突然「お元気ですかぁ?」という日本語が聞こえてきてびっくりしました。
手を振っている女の子に「日本語が話せるの?」と大声で聞くと「ノー」と手を振っていましたが・・・。



再びバスに乗って、近くのウル・キュンベットと呼ばれる13Cのお墓に寄りました。
この地域最大のお墓だそうですが、礼拝室まで設けられたこの立派なお墓の所有者は、
記録がなく、はっきりしたことは分かっていないのだそうです。

ここで、「お元気ですかぁ?」の女の子に再会しました。なかなかの美人です!
アンカラにあるガズィ大学でガイドの勉強をしていて、実は今朝、マラバディ橋でもすれ違った
実習旅行中の学生の一人で、日本にとても関心を持っている様子でした。
私達のガイドのツゥレイさんも家族4人全員がガイド業だそうで、
トルコではガイドは安定した良い仕事の一つなのかもしれません。



3時前にウル・キュンベットを出発、ヴァン湖を左手に見ながら、タトワンに戻り、
トイレ休憩や近くのマーケットを覗いた後、2235mの峠を超えて、
自然や農作業をする人々などいつまでも見続けていたいような車窓風景を楽しみながら、
ヴァン湖南岸のエドレミットのホテルに5時半ごろ到着しました。
下段右側の写真は翌日船で訪れるアクダマル島です。



 

夕暮れのヴァン湖を見ながら、7時からバイキング形式の夕食が始まりました。
右端の写真は多分、夫の盛り合わせ皿だったと思います。
食べるのに忙しく?画像は残っていませんが、私はナスのケバブやシュトゥラッチと呼ばれる
ライス・プディングを試してみました。
バイキング料理はほどほどの期待が良いようで・・・という所でしょうか。



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