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28 Aug 2007
Van Golu <Van Kalesi-Akdamar-Edremit>
MERIT HOTEL

旅が始まって1週間、旅の中盤に差し掛かり、疲れがでたらしく、朝、食欲がありませんでしたので、
せっかく持って来たことだし・・・と湯沸かしとカップ麵を試してみることにしました。
部屋でミネラルウォーターを沸かし、赤いきつねのミニ・カップを食べましたが、
やはり‘3分’の味ながら、かつおだしと醤油味はすとんと胃に納まってくれました。

ホテルを9時前にバスで出発、20分ほど東へ走ってヴァンの町に到着しました。
「山を越えて逃げてきた亡命者(イラン・イラク戦争当時は殆どが徴兵忌避者だった)はまずこの町で一息ついて
それから当局に出頭して正式手続きを取ることになる。密輸業者たちは阿片とヘロインを東方からここに運んでくる。
そしてここで次の運搬者にひきわたされる。どちらにしてもこの町がそのルートの中継点になって
いるわけだ。・・・・風景の美しいわりにけっこう剣呑な土地なのである。」(「雨天炎天」村上春樹著)
と20年前に描かれたヴァンは、1915年にアルメニア人が反乱を起こし、大量虐殺の悲劇が起きた町でもあり、
トルコとアルメニアの今なお解決をみない政治問題の中心地であるようです。
その時代に荒廃し、4km東に再建されたのが現在のヴァンだそうです。


ヴァン城跡 ヴァン湖

城壁
ミナレット

城塞からヴァンを望む
アタチェルクのモニュメント

東西1.8km、南北120m、高さ80mの天然の要害の岩山に最初に築城したのは、
ウラルトゥ(=高い所)王国のサルドゥル1世でBC9世紀のことだと言われています。
ウラルトゥ王国は首都トゥシパをこの地に置き、アララト王国の名前で旧約聖書にも登場しているそうです。
その後、BC1世紀にアルメニア高原全域で繁栄したアルメニア王国の支配下に入り、
ローマ帝国、ササン朝ペルシア属州、トルコやモンゴルに侵入されるという歴史を重ねた城跡には、
城壁や城門、ミナレット、レンガの建物跡などが残されていました。
夜になるとライトアップされるというアタチュルクのモニュメントはトルコ政府の主張でしょうか、
トルコ、アルメニア、クルド抗争を抱えつつも、下方には美しい湖水風景の広がりが見られるばかりでした。


旧ヴァンの跡地 新しいヴァン

下を見下ろすと、旧ヴァンのあたりにセルジュク時代のモスク跡やオスマン時代のモスクが2棟見られました。
(ツゥレイさんの説明を聞きそびれましたが、ここが第一次世界大戦の頃の‘荒廃’の跡地なのでしょうか。)
ポプラが美しく植栽された新しい町は冬の訪れが早く、9月の終わりにはもう寒くなってしまうそうです。

小さな川の流れで女性達が洗濯をしている様子をズームで撮ってみました。
寝具の羊毛をこのように外で足で踏んで洗うのだそうですが、働いているのは女性ばかりで、
車座でおしゃべりをしている男性の様子を観て、男尊女卑で許せないと憤慨する声が聞こえて来ましたが、
こういう生活文化、伝統には奥深いものがあり、即断はできないだろうと思われました。
コマで遊んでいる男の子達の中にネームカードを付けている子供がいて、
観光客が着くと先導しながら歩き、ガイドさんからチップを受け取っていました。
子供ながら公的な資格を持っているのかもしれません。



 

再びバスで湖岸を西へ戻り、ホテル前を通って、アクダマル島への船着場のレストランでランチを取りました。
いつもの小さく切ったトマトときゅうりのサラダと、ヴァン湖でとれる魚の塩焼きがメニューでした。
インジケファル(ボラまたはニシンの一種と言われています。)と呼ばれるこの魚は生臭みがなく淡白な味で、
O添乗員さん持参のお醤油によく合っていました。
真中はユスリカの一種が沢山飛んでいて、火を付けてくれた虫よけですが、効き目はさ程でもなかったようです。



 
アクダマル島へ向けて出航

1時半ごろ、小さな観光船でアクダマル島へ向いました。
それ程遠くなさそうに見えましたが、ゆっくり走るので、片道40分近くもかかりました。
のんびり潮風に吹かれながら、心なごむミニ船旅を楽しんでいると、目的のアルメニア教会が見えてきました。



 

  「聖なる十字架教会」
レリーフで飾られた壁面


出エジプト
三位一体

左アブラハムとイサク 右ゴリアテ
ヨナ


教会内部のフレスコ画

アルメニア王国ガギグ1世の時代に建てられた10世紀のアルメニア教会を見学しました。
正式名称・聖なる十字架教会の8角形屋根やクローバー型内部のドームを持つ建築、
旧約、新約聖書を題材としたレリーフやフレスコ画がカトリック教会とはかなり違った趣きを見せていました。
レリーフには同時代のヨーロッパのロマネスク様式に似た素朴さが見られましたが、
フレスコ画は修復されすぎているのではと思われるような線、色の強さがありました。
右下のラザロの復活など、目にしたことのないリアルさです。

この教会の修復が終わり、足場が外されたのは今年の5月のことだったようで、
お天気、タイミングと共に本当に運の良い私達のツアーでした。
かってはお城もあったといわれるアクダマル島に現在残っている建物はこの教会だけですが、
訪れる価値は充分にある小さな島だと思いました。


シュプハン山とアルメニア教会
島でのスナップ

フリータイムに島で最も高い丘に汗をかきながら登り、ふと振り返ると、素晴らしい景色が広がっていて、
思わず、うわー!と歓声を上げてしまいました。
トルコで2番目に高い4058mのシュプハン山とアルメニア教会を一望です。
デジカメ・スナップ写真ですが、ゆっくりと見ていると、何かを語り始めるような景色ではありませんか!?

丘で出会ったイスラエル人男性は「日本へ3回行ったことがある。新宿、秋葉原、日立・・・」という所を見ると、
電気関係の仕事をしているのかもしれません。
長距離バス利用のバカンス旅行で、これからネムルート山へ向うと言っていました。
彼の奥さんや私達の旅仲間の半分は丘を登らず、この絶景を見逃してしまった訳で、
余計なお世話ながら、本当にもったいないことだと思ってしまいました。

アーモンドの木に実を見つけ、初見!とわくわくしましたが、手の届くものはほとんど取り尽くされていました。
丘に登らなかった方が地元の人に落としてもらった実を帰りの船の中で分けて下さいましたが、
帰国後数日でかびが生えてしまいました。日本の湿度が高すぎるのか、早く食べるべきだったのかは・・・・?
船着場の水辺にはきれいなターコイズブルーのトンボが群れていました。
船の緩衝用に置かれた古タイヤがお気に入りらしい小さな糸トンボ?はしきりに動くので、
マクロ撮影は無理でしたが、トンボまで青いヴァン湖でした。



充ち足りた気分で乗った帰りの船を4時半頃下りて、またバスに乗って5時前にホテルに戻り、
本当に楽しかったヴァン湖遠足が終わりました。

ホテルの部屋に荷物を置いてすぐ、希望者だけでツゥレイさんの案内でキリム屋さんへ行くことになりました。
夫をはじめ、行きたくない人の方が多いのではという予想が外れ、
11名がバスに乗って、ヴァンの町はずれにある絨毯屋さんへ向かいました。



 
まねき猫 立派な入口

キリム織り
シルク絨毯織り

左右の眼の色が違っていて泳ぎが大好きだというヴァン猫は、前出の村上春樹氏によると
「絨毯屋にはヴァン猫が結構多いのである。・・・・客寄せの為である。」となっていましたが、
やはりここでも最初に小屋から連れ出して、写真を撮らせてくれました。

学校を併設していて、15~30歳の女性50人が働くというこのお店は、
入口の壁にユーロ・マークを付けた優良店であるということでした。
作業を見ながら、説明を受けた後は、お定まりのセールス・タイムに入ります。
チャイかアップル・ティのサービスを受けながら、次々と絨毯が拡げられて行きましたが、
何と、今回は珍しく私が最初の拍手を受けることになってしまいました。
漠然とながら玄関マット・サイズのキリムならと思っていたら、手ぶらで帰れる筈はありませんよね。



華やかなシルク絨毯の山の中にあって、「随分地味なのを選んだねぇ。」と言われましたが、
実用本位の我が家には合っている品物だと思いました。

別室で支払いをしていると、「大学の観光学の授業でお世話になっている先生へのお土産にする。」と
Wさんがキリムの民族品(赤ちゃん抱っこ袋?)を手に続いて入って来ました。
ちょっと年を食った大学生(ごめんなさい!)のWさんからは、私の持っていないガイドブック、
「ロンリープラネット」の記事などをメールで送っていただいたり、この旅レポートの応援を受けています。
最後に買物をされたのは、トリに相応しく、シルク絨毯のT夫妻でした。
価格が一桁違っていたのは(それ以上?)言うまでもありません。



 

今日の夕食は、何とも不思議な雰囲気ですが・・・・。
これぞE旅行社名物・お素麺ディナーです。O添乗員さんがキリム屋さんへも出掛けず、
厨房を借りて、用意して下さったようです
永坂更科のつけ汁はさすがに3分麺とは違う美味しさでした。
この時ばかりは私もかなり沢山いただきましたが、朝から麵で胃を休め、早くも元気復活の兆しの夜でした。



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