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29 Aug 2007
Van〜Dogubayazit〜Kars

左の写真はホテルの庭へ出て、朝日を背に受けながら、ヴァン湖の景色を撮った所で、
右は車窓から撮ったヴァン湖最後の写真です。

この日は直線距離で北へ250kmのカルスへ向かいますが、途中アララト山の麓の町ドゥバヤズィットへ寄り、
かなり迂回することになりますので、朝7時半という早目の出発となりました。



1時間ほど走った所にあるムラディエの滝で一休みしました。
数日前の大雨で流れが濁っていますが、この水はヴァン湖へ流れ込んでいるそうです。
人が歩くと揺れる吊橋はちょっとスリリングでした。



左の写真はイラン国境に近付いて増えて来た軍施設です。石垣の上には有刺鉄線が張り巡らされていました。
滝から1時間余り走ると、いよいよアララト山が見えてきましたが、
トルコ最高峰5137mの山頂は雲に覆われていました。稜線のなだらかさが富士山によく似ています。




10時半にドゥバヤズィットのSIM-ER HOTELに到着、ワゴン車2台に乗り換えて、
ノアの箱舟伝説が残る場所へ向いました。
上の絵はホテルのロビーに貼ってあったもので、3階建ての箱舟にいろんな動物達が乗り込んでいる場面ですが、
富士山そっくりな山が描かれ、何だか銭湯の絵みたいでした、というのは失礼ですね。


中央の舟型岩が箱舟・・・? 霞んだ山方面がイラン国境
ノアの箱舟展望台からみたアララト山 車窓のアララト山

BC5000年頃に興ったシュメール文明は文字や農耕技術を持ち、ビールやワインも作っていたと言われますが、
BC2000年初頭に作成された世界最古の書板「ギルガメシュ叙事詩」が見つかったことによって、
大氷河期の最終期、BC4000年頃にあちこちに起こった大洪水のひとつが‘ノアの洪水’であったということが、
考古学的に立証されたようです。
つまり旧約聖書が書かれた1000年以上前に元となる話があったということで、
聖書の地一帯の神話、説話、そして歴史を集大成したのが旧約聖書と考えても間違いはなさそうです。

1969年に神の啓示を受けたハサン・ダイ氏が箱舟を探し続け、
アメリカの研究者と共に1985年に発見したのがドゥバヤズィット近郊の山にあるこの舟型の岩で、
サイズはノアの箱舟にぴったりと一致、周りと明らかに違った地質を持っているそうです。
展望台に併設された1992年開館の博物館には木片(ゴフェルの木:イトスギかホワイトオーク?)、
天然アスファルト、銅の酸化物などこの辺りには本来ない筈の発掘品が展示されているようでしたが、
見学コースには入っておらず、暇そうな博物館のおじさんが残念そうな顔で見送ってくれました。

展望台から双眼鏡で見るとイラン国境のトルコ側の検問所が見えました。
イランまで東へ35km、アルメニアまで北へ50kmというあたりに立っていたようです。
アララト山の頂きの雲は取れず、全貌はついに見ることが出来ませんでした。
‘ノアの箱舟’信心が薄かったせいかもしれません・・・・ね。
因みにラマダンの後で作られる‘アシュレ’というお菓子は、
ノアが食べたと言われる小麦粉を使った乾燥菓子に由来するのだそうです。



 

シムール・ホテルに戻っての昼食は、きのこのスープ、サラダ、キョフテ(肉だんご)、トゥルンバと呼ばれる
デザートでしたが、このレストランのお料理はとても良い味付けで大好評でした。
デザート菓子も見た目から甘過ぎるようで、パスしようと思った人もいたようですが、
「案外いけるよ。」という声に、では、と食べ始める姿が目立ちました。揚げドーナツに近い感じでした。



 

ウラルトゥ王国城塞跡と16Cのモスク
イサク・パシャ宮殿

遠くにガズィ大学生

昼食後、5kmワゴン車を走らせてイサク・パシャ宮殿へ行きました。
宮殿向い側の崖にはウラルトゥ王国時代のものと言われる城塞跡や16世紀建造のモスクが見られました。

宮殿の敷地に入ると、先日のガズィ大学生が見学をしていて、遠くから手を振り合ったのですが、
その後、出会うことがなく、Eメールアドレスを持っているか聞いてみることは出来ませんでした。

1685年にチョラク・アフディ・パシャが建造を始め、1784年にクルド人領主イサク・パシャが完成させたこの宮殿は
トルコ、ペルシア、アルメニア、グルジアなど様々な建築様式を取り入れて造られたもので、
モスク、500人が住んでいたといわれるハーレム、図書館、牢獄など366部屋もあったという建物には、
栄華をしのばせる美しいレリーフが残っていました。
上下水設備、蒸気利用のセントラルヒーティングを備えた暮らしは快適に行われたようです。
周りを取り囲む山々だけがBC9〜6Cのウラルトゥ王国以来の長い歴史の目撃者です。



 





ワゴン車で小高い丘に登って、イサク・パシャ宮殿全景の眺望を楽しみました。
本当に絵になる景色満載の東トルコです。
右の写真は帰りの車窓から写した下から見た宮殿です。






3時にホテルに戻り、いつものバスに乗り換えて、宿泊地カルスへ向かいました。
30分ばかり走って休憩したウードゥルは道路をはさんで住みながら、決して交わることのない、
クルド人とアジェムと呼ばれるペルシア人が住んでいるとツゥレイさんから説明されましたが、
大学生Wさんが調べた所によると、アジェムというのはアゼルバイジャン系の人々ではないかということでした。
そう考えるとアルメニア国内のアゼルバイジャンの飛び地につながりが見えてくるのだそうです。
「国境があるのがおかしいんだよ。国境なんて何であるのかなぁ。」と話していたWさんを思い出します。



どこまでも広い大地をバスで走りながら、‘悠久の大地’というのはこういう景色のことだろうと思われました。
今まで見たことのある広大、雄大な景色をはるかに超える壮大さに包まれて、
こういう旅を経験できたことを心から幸せに感じながらバスに揺られていました。
飽きないというより、目が離せないこの日の景色でした。


アルメニア国境沿い

車窓右側(写真上部)にアルパチャイ川をはさんだ隣国アルメニアを見ながら走っている時、
少し前の通り雨の気象が影響したのか、
何とも不思議な色合いのアルメニアのアラギョルス山を見ることが出来ました。

後ろの席に座っていた最年長のFさん共々、この幻想的な風景をカメラにおさめ続けました。
一眼レフのフィルム・カメラのFさんはもっと良い写真を撮っていらっしゃることでしょうね・・・。
帰国後、現像されたフィルムは52本だったそうです。



夕暮れのカルスに6時半ごろ到着しました。
19Cに40年間、ロシアの支配下にあったというカルスの町は、町の入口あたりは荒れたままで、
泊まるのが不安になるような雰囲気でしたが、中心まで進むと普通の町並が広がっていました。
宿泊したのはランチをとったドゥバヤジットと同じシムエール・ホテルでしたが、
部屋設備は普通程度ですが、シャワーのみで、食事はバイキング形式でした。
夜の気温は12℃まで下がったそうです。


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