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カラーン・コンプレックスの北の一画にブハラのイスラム教徒のリーダー、ミリ・アラブ(=アラブ人の王子)の名を冠したメドレセがありました。 ミリ・アラブ・メドレセは1536年にシャイバニー・ハンの従兄弟ウバイドゥッラー・ハンが戦争で手に入れた戦利品、 つまり捕虜を奴隷として売った資金で建設、「土台はレンガと粘土ではなく、奴隷たちの血と涙と悲しみ」と歴史家が伝えたと言われ、 ソ連時代に20年間閉鎖された後、1945年に開校、ウズベキスタン独立以前に唯一イスラム活動が許されていたメドレセです。 正面イーワーンの半八面体アーチや、青と白の彩釉タイルの植物や文字文様にティムール様式が見られるメドレセは 今も神学校として使われているため、入口のホールまでしか入ることが出来ませんでした。
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