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26 Mar.2012
Tabriz〜Ardabil〜Bandar-e-Anzali


タブリーズからカスピ海沿岸の街バンダル・アンゼリまで445kmの移動日は、
ホテルを7時に出発して、先ずそのほぼ中間に位置するアルダビールを目指しました。

今回のツアーはバスの座席数の関係で最前列の席に2人掛けする日があったのですが、
それが1度か2度に分かれてしまうため、私達のバス座席グループは2度目はあみだくじで席を決めました。
結果、私は自身で作ったくじで2度目の最前列席を引き当ててしまいましたが、
2方向の視点が得られたところは利点と思われました。

4811mのサバラーン山が車窓に見えて、間もなく、標高1300mの高原都市アルダビールに到着し、
2010年に世界遺産に登録されたシェイフ・サフィーアッディーン廟を見学しました。



シェイフ・サフィーアッディーン廟複合施設

イスラム神秘主義スーフィー教団の一派であるサファヴィー教団を創立した
シェイフ・サフィーアッディーン(1252−1334年)の没後、息子によって建設された廟は、
教団の力を背景に興されたサファヴィー朝時代(1501−1736年)に
モスク、マドラサ、図書館、病院などが併設され、宗教的複合施設となっていったようで、
広大な敷地に様々な建物があり、修復や発掘を続けているのが見られました。



中庭

シェイフ・サフィーアッディーン住居跡

  



中庭を抜けて行くとブルーのタイルで装飾されたイーワーンや回廊に囲まれた広場があり、
真ん中には12枚の花弁がシーア派12イマーム派を表す噴水がありました。
その一角にあるユニークな円筒型の建物がシェイフ・サフィーアッディーン霊で、
外を覆う17Cのタイルにはアッラーと共にシャー・アッバース1世の文字が記されています。



シェイフ・サフィーアッディーン廟

シェイフ・サフィーアッディーン一族の棺

霊廟の内部はひび割れた部分も多く、鉄パイプの足場が組まれ、修復が行われていましたが、
金を多用した豪華な装飾は往年の輝きを失っていないようでした。
繊細な幾何学模様が刻まれているアーモンドの木の大きな棺と共に2人の息子の棺が置かれていましたが、
一族が埋葬されているのは地下の墓地だそうです。
隣の部屋にはサファヴィー朝を興したイスマイール1世(在位:1501−1524年)の廟もありました。



陶器の館

廟に隣接した「陶器の館」とよばれる博物館に入って行くと、51kgの金を粉砕して塗り込めたと言われる
楽器や陶器の透かし細工のムカルナスの壁が、落とした照明ともあいまって、幻想的な美しさを見せていました。
イスファハンのアリー・カプ宮殿の「音楽の間」やハシュト・ベヘシュト宮殿にも同様のムカルナスがありましたが、
黄金色である所がサファヴィー朝始祖への敬意かもしれないと思われました。


  

アッバース1世(在位:1588−1629年)の膨大な中国陶器コレクションは多くがロシアに持ち去られ、
カーペットもカジャール時代にイギリスへ売却、8年前に同じ柄で造り直されたものだそうですが、
大理石製の大きな印鑑などの展示品にサファヴィー朝の栄光の余韻を感じ取ることができました。



シェイフ・サフィーアッディーン廟

閉まっていた門扉を開けてもらって、霊廟のベスト・ポジションで写真を撮らせていただきました。
オスマン・トルコとの戦いで、アルダビール、タブリーズ、ガズヴィーンと遷都した後、
イスファハンで黄金期を迎えたサファヴィー朝の盛衰を語り継ぐ廟見学を1時間ほどで終え、
道路の向かい側の商店街のレストランでランチとなりました。


廟前のレストランでランチ

  

古都でのランチは最もスタンダードな3点セット・メニューで、デザートにオレンジが付いていましたが、
見るからにダイエット・メニューで、禁酒と合わせ、ヘルシーさがイラン旅の特徴のひとつとも言えそうです。


ひまわりの種を炒るレストラン近くのお店


1時過ぎにアルダビールを出発して、ギーラーン州のバンダル・アンゼリへ向かいました。
アルボルズ山脈のヘイラン峠(別称:スイス峠)のトンネルを抜けると、そこは別天地、の筈でしたが、
ノウルーズに降った異例の雪が残り、一面の緑とはいかない風景が広がっていました。
アルボルズ山脈とカスピ海にはさまれた自然豊かなギーラーン州は、
古来、歴史家や旅行家がイランを訪れるルート上に位置し、ヨーロッパの城門とも呼ばれていて、
今もヨーロッパ人に近い肌や目の色の住民が多く住む地域だそうです。



野生のアンズの花が咲き、春ののどかな山里風景も見られましたが、
蜂蜜などの露店があるビューポイントで下を見ると、驚くほどカラフルな屋根の別荘地帯が広がっていました。
この後も色彩の無法地帯のような集落が続き、車窓風景を撮る気も失せるほどでしたが、
テヘランなど都会人の別荘地として開発されたこの地域は、
車の渋滞で往復に時間がかかり過ぎるようになったため人気が落ちているとのことでした。



鉄条網が張られたアゼルバイジャン国境を通過してまもなく、水田地帯が見えてきました。
農業が盛んなギーラーン州では米作の他、お茶、タバコ、果物類が生産されているそうです。



3時半にトイレ休憩を取ったカスピ海沿岸の町アスタラのモスクの前で、
果物のコンポートのようなものと共に、山盛りにした(バケツ盛り?)アーモンドの青い実も売っていました。


 

ほとんど海は見えませんでしたが、カスピ海沿いにアスタラから東へ150kmほど、
3時間半あまりドライブの車窓には車や人が増え、車道沿いの露店に魚屋が登場して、
山岳地帯と違う地方へ来たことが実感されました。

 

路上魚屋も珍しいですが、牛が町の中を自由に散歩している様子にもびっくりしました。
イランでは食用にはラム、マトン、鶏、牛肉の順番に好まれるそうです。
お散歩牛達は、労働の後のフリータイムという所でしょうか・・・?



7時前にバンダル・アンゼリのノウルーズ飾りも海のホテルらしいカドウサン・ホテルに到着しました。
イランで人気のあるリゾート地らしく、オーシャン・ビューの部屋はイラン人ファミリーでいっぱいということで、
私達は道路側の部屋となりました。
ほとんど寝るだけですから問題はありませんが、4つ星・・・?という古さが目立つホテルでした。


 

イラン人ファミリーとは時間や習慣が違うのか、7時半から私達だけしかいないホテルのレストランで、
ビュッフェ式のスープ、サラダとメインの鶏肉フライの夕食となりました。


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