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20 Mar.2012
 Ahvaz~Pol‐e‐Dokhtar~Kermanshah


朝食後、ホテル・ネイシュカール前の街路樹が植えられた遊歩道を散歩すると、
にぎやかな小鳥のさえずりの中にウグイスの声が聞き取れました。
パンジーやポピーなどの花壇にブラシノキも咲いていて、気温の高い地域であることが窺われます。



ロビーに置かれたかき氷スタイル?のノウルーズ飾り


この日は朝8時に出発して、ケルマンシャーまで487km、ひたすらバスで北上する一日でした。

ツアー序盤を過ぎた所で、恒例のN添乗員さんによる車内講座が始まり、
「イラン新聞」「古代史新聞」「世界のランキング」など、毎日、様々な資料が配布されました。
イランに文明が生まれたのはBC8000年頃で、(最古はBC9600年のパレスチナのエリコ)
メソポタミアよりも古い歴史を持つと言われます。
農業が広まり、定住が始まったザグロス山脈西部の平野は、今もイランの農業の中心地となっていて、
車窓には麦畑が広がっているのが見られました。

イラン人はとてもピクニック好きな国民と言われますが、
写真のような畑の近くばかりでなく、車が行き交う道路端でも車座になっているのをしばしば見かけましたので、
柵もない車道脇に牛たちを放牧するなど、何ら不思議でないことなのかもしれません。



トイレ休憩を取ったアンディメシュクのホテルのノウルーズ飾り


ケルマンシャー州はザグロス山脈の3000m級の山に取り囲まれ、平原でも標高1000mを超す山岳地帯です。
ワディ(涸川)に沿って緑化が見られる乾いた風景にも目をひかれました。


羊を放牧する女性と、皮袋で発酵させたヨーグルトを道路脇で売る仕事は家庭内分業でしょうか?
アラブ人が多かったフーゼスターン州を離れ、クルド人が多い地域に入ったことが分かる光景のひとつです。



たまに土壁の集落が見られるものの、町らしい町もなく、どこまでも続く山道の途中には、
時々、レスキュー・テントが現れ、常設か、ノウルーズ用なのかは分かりませんが、
日本の4.3倍というイランの国土の広さが実感されました。
N添乗員さん配布資料のランキング表(2009年)によると、日本の人口は世界10位で1億2751万人、
18位のイランは7420万人となっていますので、人口密度の差が歴然です。
因みに人口密度が世界一低い国はモンゴルで、1平方kmあたり1.71人だそうです。


  

12時15分頃、ポレ(=橋)・ドホタルに到着し、ランチ・タイムとなりました。
小さなプラスティック容器に入ったサラダにはびっくりしましたが、焼き立てのケバブは良い味でした。


ランチ・レストラン脇の緑地ではピクニックを楽しむ家族が大勢いて、
私達を見ると、カメラを向ける姿も見られました。



その中、「どこから来たの?」「日本」という会話(多分・・・)だけで、大盛り上がり、
あちこちで撮影風景が展開することになりました。
親日と言われるイラン人は、すぐに打ち解けた様子で、肩に手を回し、親密ムードたっぷりでした。


調子づいて?誰でもカメラに収める図 -町の果物店とケバブ店-


少し歩いて、ササン朝ペルシア時代の石橋を見学に行きました。
修復途中のようですが、圧倒される大きさに、ササン朝(AD226-651)の歴史を重ね合わせて、
感慨を覚えたひと時でした。



この橋の建設にもローマ軍捕虜が駆り出されたのでしょうか、
それとも学んだ技術と、帝国の威信をかけて建造された巨大石橋だったのでしょうか。



地震か戦争のどちらによって破壊したのか、聞きもらして?しまいましたが、ネット検索をしてみると、
ソ連軍によって破壊された負の歴史遺産のようです。



断崖に密集していた岩ツバメの巣


石橋見学後、バスへ戻る途中、ピクニック中の家族から「食べていかない?」と身振りで誘いを受けましたが、
急ぎ足のツアー中のこと、写真だけ撮らせていただきました。(左写真には紛れ込んでいます。)



茶色一色のようで、山岳地帯でも民家のまわりには緑地の広がりが見えますし、
カシの仲間と思われる木々が葉をつけたら、印象がかなり違って見えそうな山景色です。


5時頃、トイレ休憩を取った町では、町ぐるみでノウルーズのお祝いをしている様子でした。



右写真の男性達からもらったペルシア語の新聞は全く読めませんが、
掲載地図を見て、これから行く州都ケルマンシャーの標高が1430mらしいということだけ分かりました。
ノウルーズに欠かせない金魚の意味は、赤が生命のシンボルであるから、と説明されますが、
正確なところは分からない習慣のようで、この時期に膨大な数の金魚が「消費」されるため、
動物愛護団体からは廃止意見も出始めているようです。
「運動靴と赤い金魚」というイラン映画が評判を呼んだのも記憶に新しい所で、
金魚にイラン人の特別な思いが込められていることは確かなようでした。



ホテルの部屋からの眺め

午後6時にケルマンシャーの中心部から少し離れたアザデガン・ホテルに到着しました。
ロビーのホメイニ師とハメネイ師の写真やノウルーズの飾り、部屋の内装など少しクラシックなホテルでした。


  

7時からの夕食は麦スープの他、乾燥レモンやアーモンドが入った煮込みと地方銘菓のデザートで、
似通った中にも少し地方色が加えられたお料理を楽しみました。

太陽が春分点を通過する時がイランの新年の始まりとされますが、
今年はこの日、20日の午前8時44分27秒がそれに該当する時刻で、いわば今日が元旦という訳でした。
イランではその春分の日の翌日から夏時間が始まりますので、この夜は翌朝に備えて、
時計を1時間進めることになり、ただでさえ少ないと感じている睡眠時間をいっそうもぎとられる羽目となり、
トホホ・・・というのが正直な所でした。


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