|
|
2025・11・4
上北山~吉野~京都~品川 |

|
7時前にフロント待機の I 添乗員さんにキャリーケースなどの宅配手続き(指定の翌日午前中に到着!)を依頼してから、
「フォレストきたやま」最後の食事をいただき、8時半にホテルを出発して、バスで吉野へ向いました。
|
 |
 |
| 宮滝 |
吉野町 |
9時半近くに通過した宮滝の写真を狙うと、「巨岩奇石でおおわれた」吉野川を少しだけ‘かすって’いました。
大台ケ原を水源とする吉野川は、吉野の町なかに入ると川幅を広げてゆったりと流れた後、
和歌山県に入ると紀の川と名前を変えますが、河川法では川の下流で呼ばれている名前を使うことから、
法律上では「紀の川」を正式名称とするようです。
|
 |
 |
| 吉野川 |
吉野杉 |
1時間20分ほどで吉野山観光駐車場に到着、金峯山寺まで20分ほど上り坂を歩きました。
3年前の同時期に、逆コースですが、同じ道を歩いていますので、懐かしさを感じつつ、確認の時間となりました。
よろしければ、奈良P5 をご参照ください。
|
 |
 |
| 下千本 |
吉野山ロープウエイ駅前の賑わい |
下千本の山景色を見ながら坂を上っていくと、吉野山ロープウエイの吉野山駅前に
3年前と同じ「あゆ・あまご塩焼」屋台が出ていました。
違っていたのは、3年前の「鮎の塩焼き¥500」が「¥600」になっていただけで、
「あまごの塩焼き700円」は変わらずでした。
因みに鮎・天魚(あまご)の区別を知らなかった(私も同じく・・・) I 添乗員さんがネット検索をした所、
鮎はアユ亜科、あまごはサケ科で、川の下流と渓流という生息域の違い、形状にもかなり違いがあるようです。
|
 |
 |
| 金峯山寺 国宝 二王門 保存修理工事 |
以前、前を見て下った時には目に入らず、素通りしてしまった金峯山寺二王門の保存修理工事が正面に現われ、
威風堂々とした姿で参拝者を迎える様子を容易に想像することができました。
|
 |
 |
| 金峯山寺 蔵王堂 |
後醍醐天皇導之稲荷社 |
北を正面とする二王門に対して、金剛峯寺本堂の蔵王堂は南を正面としています。
これは吉野(北)から熊野(南)へ向かう巡礼者と熊野(南)から吉野(北)へ向かう巡礼者の両者に配慮して、
互いに背を向けて建てられたものと言われています。
という次第で、南側から石段を上って蔵王堂へ向かいました。
階段途中、右手に後醍醐天皇を吉野へ導いたと伝わる導之稲荷社がありました。
1333年(元弘3)に鎌倉幕府を滅ぼして建武の新政を開始した後醍醐天皇は足利尊氏と対立し、
花山院に幽閉されましたが、1336年(建武3)にひそかに脱出して吉野へ行幸しました。
吉野への道に迷った後醍醐天皇が、「むば玉の暗き闇路に迷うなり 我にかさなむ三つのともし火」と詠うと、
ひとむらの紅い雲が現れて吉野への道を照らしてくれたいう言い伝えを持ち、
その稲荷を勧請したのがこの「導きの稲荷社」です。

後醍醐天皇第二皇子の大塔宮護良親王が北条軍に攻められ、吉野山に立てこもった時に
本陣としたのが蔵王堂で、落城に際し、最後の酒宴を開いたと伝えられている前庭を石柵で囲み、
4本の桜を植えて、大塔宮御陣地として記念しています。
3年前には落葉していた手前右手の桜が緑の葉を残しているのが印象的でした。

-「日経おとなのOFF」より-
70年振りの大修理が行われている二王門のその勧進のために今回も、
蔵王堂の秘仏本尊の特別ご開帳が行われていました
先に来ていた幼稚園や小学校の子供達の見学が終わるのを待ってから堂内へ上がり、
僧侶のお話の後、過去、現在、未来の3世に渡って私達を救済するために
悪魔を降伏させる忿怒の姿で権現という仮の姿で出現、
鮮やかな青い色が慈悲と寛容を表すという金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)の
釈迦如来(6m)、千手観音菩薩(7m)、弥勒菩薩(6m)と対面させていただきました。
今回は内陣秘仏前の「発露(ほつろ)の間」が障子のような仕切りでいくつかに区切られていて、
その中へ入って、本尊と特別で深いご縁を結ぶ、という仕組みになっていましたが、
中でのお祈り時間は長短様々と見受けました。
|
 |
 |
| 蔵王堂遠望 |
吉水神社 |
11時頃から40分ほどのフリータイムがありましたので、行ける所までと門前町を歩くことにしましたが、
往復する時間を考えると、吉水神社で折り返しするのが妥当となりました。
|
 |
 |
| 一目千本 |
|
「一目千本」または「一目十年」(ここからの景色を見ると十年長く生きられるという言い伝え)と言われる
吉水神社内の展望所からの中千本は、前回とさほど変わりなく、落葉が進んでいるように見え、
吉野の山桜の紅葉の見頃は10月かもしれないと思われました。
1594年(文禄3)開催の「豊太閤吉野之大花見」では名だたる武将の他、茶人、連歌師など総勢5千人が伴われ、
吉水院(現・吉水神社)を本陣宿坊として、5日間にわたって大花見が続けられたそうです。
|
 |
 |
| 吉水神社書院 |
秀吉が基本設計した桃山様式庭園 |
日本最古の書院といわれる吉水神社書院には、義経・静御前潜居の間、後醍醐天皇玉座、太閤花見の品など、
「吉野山の哀史と絢爛の古跡」(案内板より)をとどめた文化財、宝物が展示されているようですが、
今回も時間が足りず、拝観を諦めました。
二王門や銅の鳥居を下った先の集合場所、「季節料理 初音」に11時40分頃、到着しました。

「義経千本桜 道行初音旅」に因んで名前がつけられたという季節料理店で、
旅の終わりの名残惜しさ共に、最後のお膳を楽しみました。
|
 |
 |
食事を終えた所で、I 添乗員さんに断って、一足早く「初音」を出て目指したのは、
前回心を残していた「めちゃうま やまぐり」焼き栗露店でした。
朝、前を通った時はまだお店が開いていませんでしたが、山里らしい趣きで人を誘う露店は、
期待通り開店していて、きつねのお面をかぶった店主から「1cup 1000yen」の焼き栗を購入しました。
前回のコロナ期の5百円から1000yenという表記の変化に時代の流れが窺えます。

栽培種ではない天然のやまぐりは、小粒ながら口の中にひろがる甘さに味わい深いものがありました。

「近鉄 吉野駅」
|
 |
 |
吉野駅前で4日間お世話になった「大和高原交通」の運転手&ガイドさんとお別れ、
13:35発の近鉄吉野線特急で14:13着の橿原神宮駅で乗り換え、
14:22発の近鉄橿原線に乗って、15:15に京都駅に到着しました。
|
 |
 |
| 近鉄線の車窓景色 |
なだらかな山に囲まれた大和平野の景色を追いながら、
建築が進んでいるらしい平城京の大極門の写真を物しようと空席の左側座席に移って程なく、
平城京の中を通過するのは近鉄橿原線ではなく、近鉄奈良線と気付きました。
京都駅乗り換えコンコースで I 添乗員さんお勧めの「豚饅551」の行列に並び、
15:45発のぞみ98号に乗車するまでの待ち時間のちょうどよい時間調整となりました。

買物は少な目の旅になりましたが、お菓子類をお土産に、
様々な見聞を詰め込んで、品川駅経由で、7時少し前に帰宅することができました。
無事に旅の終わりを迎えたことを奈良奥地の神仏さま達に感謝しつつ・・・!
*4日目歩数(スマホ計測):11635歩
(2025.11.21)
|