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2025・3・22
草津~神戸元町~京都~品川

近江4日目は10時過ぎの電車で神戸へ向かう前に、8時過ぎから9時前まで草津の町を散策しました。

江戸時代の五街道の東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の中、
東海道と中山道が合流・分岐する宿場町として発展したのが東海道52番の草津宿で、
最盛期の草津宿は本陣2軒、脇本陣2軒、多数の社寺、旅籠72軒、町家586軒を擁していたと言われます。
陸上交通だけでなく、湖上交通の要衝でもあり、草津から大津へは「瀬田の唐橋」を渡る陸路(12km)と
「矢橋の渡し」の水路(6km)のルートがあり、琵琶湖を船で渡る方が短距離、短時間でしたが、
季節によっては「比叡おろし」と呼ばれる吹きおろしの危険性があり、遠回りでも東海道の陸路を行く方が着実というのが、
「急がば回れ」のことわざの語源と言われています。
地図左下のJR草津駅から、右端の立木神社まで旧東海道を往復しました。

高札場(こうさつば) 石造道標

草津駅から南へ商店街を抜けると、旧草津川隧道脇の東海道と中山道の分岐点に高札場がありました。
幕府や領主が定めた法度や掟書などを書き記す板札が高札、掲げておく場所が高札場で、
その向かい側に、正面に「右 東海道」右側面に「天明7年五月吉日」と刻まれた道標が立っていました。

草津宿本陣 草津宿 街道交流館

まもなく、宿場町の面影を残す建物が見えてきましたが、
草津宿本陣は耐震工事のため休館(令和6年6月1日~令和7年3月31日)、
街道交流館は開館時間前で外観を見るだけとなりました。


  
常善寺

その先に駐車場の中で不釣り合いな趣きで孤立する小さな堂宇がありましたが、
「天平7年(735)良弁僧正の創建と伝えられる草津最古の名刹である。
かつては堂堤伽藍も整っていたが、兵火や水害によって荒廃したものである。
室町時代は「草津御所」と呼ばれ、幾度か将軍の宿舎ともなり、江戸時代にも草津宿の最も重要な寺院であった。
本尊阿弥陀如来坐像並びに観音菩薩勢至菩薩立像は共に木造寄造りで建長5年(1253)の墨書銘があり、
国の重要文化財に指定されている。関ケ原の役後には家康が宿陣を布いたと伝えられている。」という
由緒ある常善寺でした。


家康が常善寺へ入る場面が描かれた草津宿太田家に伝わる絵巻

  
「東海道五拾三次之内 草津」 (歌川広重)                   「うばがもち」

1569年(永禄12)に信長に滅ぼされた六角義賢のひ孫を養うために姥(乳母)が作り、
養育の資としたのが姥が餅で、草津に宿陣を布いた家康が称賛して親筆の「養老亭」三字額を授け、
蕪村、近松門左衛門、広重、北斎らが取り上げて、草津名物として定着した「うばがもち」は
今回も好評なお土産となりました。(草津駅コンコース内に売店あり)

    
道灌蔵 八百久店舗兼主屋

太田道灌を祖先に持ち、草津宿に酒蔵を構える太田酒造、江戸中期に創業、鋤、鍬、天秤、火鉢など日用品を商った
八百久の1928年(昭和3)に伝統的な意匠で作られた登録有形文化財の建物などに目が留まりました。

立木神社鳥居 神門
立木神社拝殿 立木神社本殿

立木神社は「今から約千二百数十年前の称徳天皇(第48代)神護景雲元年(767年)のこと、
御祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸国の鹿島神宮を白鹿に乗り旅に出られ
(古来初めて旅立つ事を鹿島立ちと云うのはこの縁による)、諸国を経てこの地に到着されました。
そして、手に持たれた柿の鞭を社殿近くに刺されこう言われたそうです。
「この木が生え付くならば吾永く大和国三笠の山(今の春日大社)に鎮まらん」
すると、その後不思議にも柿の木は生え付き枝葉が茂り出しました。
里人は御神徳を畏み、この木を崇め神殿を建て社名を立木神社と称したのが始まりと伝えられています。」と
創建由緒を伝えています。
そして、「延暦20年(801年)、征夷大将軍坂上田村麿将軍が東北鎮圧に際して、
当社にて道中安全と厄除開運を祈願され大般若経一部を寄進しました。
この霊験に由来し、現在では厄除開運・交通安全の守護神として崇敬を広く集めています。
また、当社は古来より朝野の崇敬厚く五穀豊穣、家内安全、安産、商売繁盛、火災鎮護並びに勧学の大神として
ご神徳高く広く信仰されております。」を社伝としています。


   
   御神鹿

  御祭神の武甕槌命が白鹿に乗って来たという伝えに因み、境内の至る所に神鹿像が置かれていました。

御神木・柿の木 石造道標

何代目の木かは不明ですが、柿の木が御神木として祀られていました。
1680年(延宝8)に建立、滋賀県内最古とされる道標は、
かつては東海道と中山道の分岐点にあったものを立木神社へ移したもので、
「みぎハたうかいとういせミチ ひだりは中せんたうた加みち」と書かれ、東海道は伊勢道、中山道は多賀道という
信仰の道の道標で、上部には不動尊を表す梵字が刻み込まれています。

八幡大神・天照皇大神宮・春日大神 えびす神社

様々な神様を招聘して栄えて来た歴史を伝える古社、立木神社を出て、ホテルへ戻り、早めにチェックアウトをして、
草津駅コンコース内「DELI CAFE」で3度目の朝食後、JR琵琶湖線ホームへ降りると、
遅延の電車が入ってきましたので、予定より早い新快速姫路行きに乗り、三ノ宮でJR神戸線に乗り換え、
姉夫婦と待ち合わせた元町駅へ行きましたが、
荷物を持って乗り込むのが躊躇されるような琵琶湖線の混み方に驚かされました。
京都で下車する人は少なく、週末に大阪・神戸方面へ遊びに行く人が多かったようです。

元町駅 南京町

11時半前に着いた元町西口のコインロッカーには空きがなく焦りましたが、
姉夫婦と待ち合わせた東口にキャリーを入れ、義兄と夫は「2人飲み会」、姉と私はいとこ会へ向かいました。
土地勘のない南京町では、Google地図と人にあふれた現地の距離感がマッチせず、
何度か人に尋ねながら、いとこ会開始の12時ぴったりに「中華菜館 龍郷」に到着しました。 

  いとこ会 於「中華菜館 龍郷」 

母方のいとこ家7家の中、関西にあまり縁のなかった2家からの参加がなく、
5家6名といういつもより少数でしたが、話題は途切れず、
30数年の年齢差を感じさせない和気あいあいとした多世代いとこ会となりました。
次回は未定ですが、再見~!としておきましょう。

瀬田の唐橋 比良山地
湖東平野 安土城跡方面

2時にいとこ会終了後、姉と近くの喫茶店でお茶&おしゃべり2人会をして、
16時16分の電車で京都へ向かい、17時14分に京都着、お弁当やお土産の買物をして、
京都18時1分発のぞみ42号に乗車、
日が暮れていく車窓の近江の景色を目に留めながら、
旅を満喫した充実感と共に、20時8分に品川まで戻りました。 

                       *4日目歩数(スマホ計測):14208歩

                                         (2025.5.3)


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