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25 Mar.2012
Tabriz〜Kandovan〜Tabriz


インターナショナル・ホテル

この朝は少しゆっくり目の8時半出発でしたので、朝食後、ホテル近くを散歩すると、
普通は広場に面していると思われるイーワーンが道路に向かって建っているモスクがありました。



少し歩いて行くと、タブリーズ大学のモスクであることが分かりましたので、
余り開放的な大学ゲートではありませんでしたが、少しだけ中へ入らせていただきました。



立派なモスク近くに立っていた3人像は、真新しいプレートから想像すると、
モスクの新設と共に立派な台座に載せられたマドラサ(学院)か大学の偉い学者達のようでした。
屈強そうなゲートマン達にお礼を言ってタブリーズ大学を後にして、ホテルへ戻りました。



タブリーズ郊外に広がるニュータウンを車窓に見ながら、南西へ52kmバスを走らせて、
標高3707mのサハンド山の麓のキャンドヴァン村へ行きました。
雪が残る丘陵地帯はりんご、あんず、アーモンドの産地で、村人達は農業、牧畜業で生計を立てているそうです。



キャンドヴァン村

トルコのカッパドキアと似た奇岩がそそり立つキャンドヴァン村に10時前に到着して、
先ずイラン有数の名水と言われる水飲み場で、「不老長寿」のミネラルウォーターを賞味してから、
村の中へ入って行きました。



宗教的な迫害を受けた人々が岩の内部を削って住み始めたのは13Cに遡るといわれますが、
夏涼しく、冬も比較的暖かい凝灰岩の家には今も160世帯ほどが暮らしているそうです。
お店が立ち並ぶ前を通って、キャラーンと呼ばれる円錐形の家が並ぶ所まで坂道を上がって行きました。
遠くから見ると不思議な景観ですが、間近かに見ると、家であることを表す木の扉があり、
鉄パイプで支えられた崩れかけたモスク、家畜の鳴き声やにおいに現実の生活が感じられました。



2〜4階建てになっている結構広い内部の生活の様子を再現している家もありました。
10時半頃から小1時間のフリータイムが取られましたので、
土産店として使っている1軒に入って手工芸品を眺めていると、英語が通じず、キリム・カーペットを買うのを諦めて
立ち去って行くツアー仲間の姿が見えました。




私が手にした小さなポシェットは机の上に25000リアル(≒175円)紙幣を並べて値段を教えてくれましたので、
残りの現地通貨でひとつだけ買うことが出来ました。



重いものや液体は面倒という私は、もっぱら散策したり、お店を覗いて歩くだけでしたが、
ドライ・フルーツ、ナッツ類、蜂蜜、干しぶどうエキスなどをたくさん買い込んだり、
チャイハネでゆっくり過ごしたり、ツアー仲間が思い思いに過ごす様子が見られたフリータイムでした。



11時半過ぎに村の外で待っているバスに戻ると、3名がはぐれてしまったことが判明、
しばらく待っている間、窓の外に「降りて来て!」とジェスチャーで示すイラン人女性達の姿が見え、
「時間がない」と時計を指さしてみたのですが、諦めてくれる様子がないので、
「何だか人気者になった錯覚を覚えそうねぇ」などと言いながら、バスを降りて行くと、
とても喜び、写真を撮り合った後、バナナ・ガムをプレゼントしてくれました。
イランへの観光客数はドイツ、フランス、日本人という順番だそうですが、
観光の国といえないイランで日本人と一緒に写真を撮るというのは、
とりわけ親日のイラン人にとって、私達の旅の記念スナップに匹敵するような特別なことかもしれないと、
今まで散々一緒に撮っていながら、改めて実感された出来事でした。

3人も無事に戻り、11時40分にキャドヴァン村を出発、タブリーズへ戻る途中のレストランでランチとなりました。
車窓に「ヘンダワネ」を満載したトラックを見かけましたが、
1年の半分以上、雪が残る地方ならではの保存法があるのだろうと思われました。


  
カーペットの上に座る遊牧民スタイルのレストラン

   

この日のランチは羊、じゃがいも、トマト、ひよこ豆などの煮込みをボールに取り分け、
ナンをスープに浸したり、木の棒で押しつぶしたものを包むというアヴグシュトという遊牧民の伝統料理で、
いつもの生タマネギ、野菜ピクルスなどと相性のよいお料理でした。

タブリーズへ戻り、ホテルの前で、市街地走行に規制がある観光バスを降り、ローカルバスに乗り換えて、
市内観光に向かいました。
最初に行ったのはパーレヴィー朝時代に開館したアゼルバイジャン博物館です。


  
アゼルバイジャン博物館入口と展示室

  
BC1000年紀の壺と地母神像

  
アケメネス朝時代の金製皿、リュトン、装身具

  
パルティア時代のリュトン、壺、レリーフ

  
ササン朝時代の銀製皿、円形切子椀

  
イスラム時代の陶器

コンパクトな博物館でしたが各時代を網羅した展示品を見ているうちに50分程の見学時間が過ぎて、
地下の現代美術は見ることが出来ませんでした。


  

少しユニークだったのは次に見学に行くブルー・モスクの地下8mで1999年に発掘された
3000年前の夫婦の人骨、装飾品、武器、皿を展示したコーナーで、
その8mの地層で発掘された陶器類を立体的に展示して、時代の変遷を一目瞭然にしてある所でした。
一目で歴史を感じることが出来る面白い展示は、子供達にとっても良い教材となりそうです。




博物館前に砂糖大根の屋台が出ていて、ムハンマドさんがほんのりとした甘さを味見させて下さいました。


博物館の裏手に展示された13〜17Cの墓石の中に、博物館入口のものとよく似た砂岩製の羊があり、
博物館入口を飾っているのも墓石?とも思われましたが、
黒羊、白羊と王朝名にもなっている羊が持つシンボル性に意味がありそうでした。



タブリーズゆかりの12Cの詩人ハーガーニー像の前を通り、博物館に隣接した公園を横切って、
マスジェデ・カブード、別名ブルー・モスクへ行きました。



マスジェデ・カブード



イラク北部からイラン西部を支配したトルコ系の王朝、黒羊朝(1375−1469年)のジャハーン・シャー時代、
1465年に建設されたマスジェデ・カブードは度重なる地震の被害を受け、大きく損傷していますが、
ブルー・モスクの別称通り、ラピスラズリ、ターコイズ、コバルトなどの青の彩色タイルの饗宴が素晴らしく、
ペルシア建築の伝統を受け継いだトルコ王朝の傑作との評価を受けています。
ジャハーン・シャーが眠る地下墓も残っていました。



モスク売店で買った小皿(1個7ドル≒580円)


マスジェデ・ジャーメ

マドラサ

次に2010年に世界遺産に登録されたバザールへ向かい、
バザールに併設されたマスジェデ・ジャーメ(=金曜日のモスク)から中へ入りましたが、
2本の高いミナレットはササン朝時代のシルク・ロードの灯台ミールに由来すると言われています。
マドラサに囲まれたモスクの中庭を抜けると、迷宮のようなバザールの入口がありました。


  

マルコ・ポーロが13Cに立ち寄り、盛況に驚嘆したと言われる中東最古、最大の規模を持つバザールは、
ノウルーズで閉じているお店も多そうでしたが、30分程、見学や買物を楽しみました。
私は残りの現地通貨15000リアル(≒105円)分だけ赤いセレジュクの実を計ってもらいました。



壁にはめ込まれた世界遺産登録記念プレート


マスジェデ・ジャーメ

アルゲ・タブリーズ

バザールの見学が終わった後、革命後に建設が始まったという新しいマスジェデ・ジャーメ近くの
13Cのイル・ハン朝時代の城塞アルゲ・タブリーズに立ち寄りました。
地震やダイナマイトの破壊に耐えたという城塞が修復保存されているのは歴史見直しの時代の流れでしょうか、
現代のモスクとの対比が興味深い所です。



地下にある客用サロン

タブリーズ観光の最後のプログラムは「民家訪問」で、
3階建てのお家に3世代が住むムハンマドさんの友人ナシーリー家にお邪魔をさせていただきました。



イランではホスト役は男の子の役目だそうで、蝶ネクタイ姿の5年生の男の子が、
18歳のお姉さんのサポートを受けながら、チャイ、お菓子、ナッツ、果物を配る微笑ましい姿が見られました。
ノウルーズの挨拶に来た親戚の人達も混じって、賑やかなサロンでの心温まる夕刻のひと時でした。



総出で見送って下さった絨毯商ご一家

   

6時半にホテルへ戻り、由緒ある歴史の街を一見出来たことを幸いに思いながら、
7時半からピアノ演奏付きのタブリーズ最後の夕食をいただきました。


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