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| 1 Oct.2014 |
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4日目の朝食のテーブルです。
左手前は缶詰イワシにイタリアン・パセリ、ミニトマト、オリーブオイルを混ぜ合わせてパンに合う味付けにしたそぼろで、
ルッコラ、パプリカ、紫タマネギのサラダは白バルサミコを使ったマイルドなドレッシングでいただきました。
この日は従妹と2人だけで、ウィーンの中心街へ出掛けることにしました。
3回目のウィーンといっても、パッケージ・ツアーで2回合わせて5日間ほど滞在しただけ、
95年秋に1日だけフリーに過ごした経験のみで、「すべてお任せ」という従妹を案内しつつ、自身の興味を充たしていく・・・、
そんなハードな状況をそれ程の見通しもなく、度胸だけで?乗り切ろうという一日でした。
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レストラン「Plachutta Hietzing」 |

カフェ「Dommayer」 |
小雨の中、10時にゲストルームを出発して、ヒーツィング駅へ向かいました。
右写真のドムマイヤーは1844年に18歳のヨハン・シュトラウスUがデビュー・コンサートを開いたことで有名なカフェです。
フランツ・ヨーゼフの元ゲストハウスを利用したトレンドパークホテル シェーンブルンなど歴史的建物が並ぶ駅までの道を
ウィンドウショッピングをしながら歩きました。
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ヒーツィング駅に残るオットー・ワーグナー設計のホーフパヴィリオン(=皇帝専用駅舎)の外観見学に立ち寄りました。
フランツ・ヨーゼフは馬車での移動を好み、エリザベート妃が1度使っただけと伝えられる内部は決まった日時に公開されています。
19世紀末に開通した市営鉄道は現在は地下鉄U4とU6として使われ、ワーグナー設計の駅舎がいくつか残っているようです。

11時10分頃、カールスプラッツ駅へ着き、どこへ出るかは分からないけど・・・と最寄の出口から地上へ出ることにしました。
ウィーン市内は路面電車、地下鉄などの公共交通機関が整備されていて、乗車券も共通でとても利用しやすいのですが、
駅には刻印機が置いてあるだけで、改札口はないと同然、道路の延長で電車のホームに立っているという感覚が不思議でした。
そんな訳もあって、この朝初めて検札に出会った時はちょっとうれしい思いを抱きながら、1週間チケットを見せました。
不正乗車の罰金は高いと聞きますが、ウィーン交通局のこのような大らかさと、
自動券売機の不具合、突然起きる不通などのトラブルは、背中合わせと言えるのかもしれません。
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地上へ出ると、カール教会が見え、ほぼ間違いない方向に出られたようだとほっとしました。
カール教会は1713年にウィーンを襲ったペストの終焉に感謝して、カール6世がペストの守護神カール・ボロメウスに捧げた教会で、
シェーンブルン宮殿と同じフィッシャー・フォン・エルラッハが設計、カール6世亡き後は息子のヨーゼフが引き継いで、
1737年に完成したバロック教会です。
2本の円柱はローマのトラヤヌス円柱を模したもので、戦争の勝利の代わりに、ペスト沈静の物語をレリーフとしているそうです。

右は同じ建物が2棟向き合って建つワーグナー設計のカールスプラッツ駅舎で、現在は展示室やカフェとして使われています。
緑色に金色を施した鉄骨フレーム、金色で向日葵を描いた白い大理石パネルなど
ヒーツィングのホーフパヴィリオンに比べて高い装飾性が目立つのは、街の中心と離宮のあった郊外の違いでしょうか。
1841年にウィーンに生れたオットー・ワーグナーはベルリンの王立アカデミーやウィーン美術アカデミーで学んだ後、
数々の設計建築を手掛けて、ヨーロッパ中の若い世代の芸術家に影響を与え、近代建築、装飾芸術の父と称されています。
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楽友協会 |

ブラームス像 |
観光用のプログラムでもと検討したものの、今回は行くことを諦めたウィーン・フィル管弦楽団の本拠地の楽友協会の建物や、
ブラームス像などをカメラに収めて、カールスプラッツを後にしました。
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次に向かったのはカールスプラッツの程近くにある分離派会館ゼセッションです。
近代化に向けて体制や価値観が大きく変化した19世紀末のウィーンに、規制や伝統に縛られない芸術団体として
クリムトを中心にホフマン、コロマン・モーザーなどが参加して1897年に結成されたのがウィーン分離派で、
その展示拠点としてオルブリッヒの設計で1898年にゼセッションが建てられました。



金色メッキを施した3000枚の月桂樹の葉で飾られた「黄金のキャベツ」と呼ばれるドーム、
「それぞれの時代にそれぞれの芸術を 芸術には自由を」の金文字、メドゥーサ、トカゲ、フクロウ、カメのレリーフや彫刻など、
建物のデザイン、装飾など外観を見るだけでも見応えのあるウィーン世紀末を代表する建物です。

ここでは地階展示室のクリムトの連作壁画、「ベートーベン・フリーズ」を見に入館しました。
1902年の分離派展覧会の出品時には卑猥、露骨とセンセーションを巻き起こした作品で、展覧会後には取り壊される予定でしたが、
ユダヤ人実業家に買い上げられた後、ナチスが没収、その後1973年にオーストリア政府に買い戻されて、
1986年にセセッションの地階専用展示室に納められたといういきさつを持つ高さ2.5m、長さ34mのフレスコ画です。
ベートーベンの交響曲第9番をテーマにして詩情豊かに描かれ、右端の「歓喜」で終わる壁画は、
写真撮影は出来ませんでしたので、95年に買って来た図録から少し掲載してみましたが、
豊かなイマジネーションが込められたメッセージ性の高い作品は、100年を経た今、芸術性を疑う余地はないものと思われました。

ゼセッション前の通りを少し西へ向かったところに、「マジョリカハウス」「メダイヨンハウス」と呼ばれる集合住宅がありました。
これらもワーグナー設計で1898〜99年に建てられたもので、
ウィーンの世紀末芸術ユーゲントシュティールを代表する建物として有名です。
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マジョリカハウスは外壁を飾る花模様のマジョリカ焼きタイル、メダイヨンハウスは顔が彫られた金色のメダイヨンに由来しています。
メダイヨンハウスの金細工デザインはコロマン・モーザーによるものです。

周辺の路上に嵌め込まれた音楽家のサイン入りプレート「Musik Meile Wien」
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ゼセッション近くからマジョリカハウスの前まで、二つの大通りに挟まれてナッシュマルクト(=つまみ食い市場)が続いていました。
地元の生鮮品の他、トルコ、アラブ、アジアなどのエスニック食材店が並び、少し怪しげなすし店も見られました。
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造形美術アカデミー |

ミュージアムクォーター |
次の目的地、自然史博物館へ向かう途中にあった1692年創立の造形美術アカデミーは、
オットー・ワーグナーやエゴン・シーレも学んだ名門美術大学で、ヒットラーは受験に2度失敗したと言われています。
このアカデミーの絵画館ではヒエロムス・ボスの祭壇画「最後の審判」が有名なようです。
右写真のミュージアムクォーターはマリア・テレジア広場と道路をはさんで建っていて、
国際見本市会場として使われていた王宮の厩舎や馬術学校の建物を2001年に美術館や博物館として再生した場所で、
MQと略称で呼ばれる大規模な美術・博物館地区です。
ガイドブックお勧めのルートヴィヒ財団近代美術館(MUMOK)とレオポルト美術館は、時間的に今回は割愛してしまいました。
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自然史博物館 |

美術史美術館 |

右上でおしりを見せている象の正面
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マリア・テレジア像 |

自然史博物館入口 |
美術史美術館、自然史博物館という双子のような建物が向き合って建つ広場の真中に、
高さ19m、マリア・テレジア像だけで6mの1888年に建立された銅像があたりを睥睨するように立っていました。

知性、正義、力、慈悲の寓意像に囲まれたマリア・テレジアの下に立つのは名宰相として名を馳せたカウニッツ伯爵で、
右側面には侍医のヴァン・スィーテンやモーツアルト少年、グルック、ハイドンなどの姿がありました。


宮殿のように華やかな博物館の中は、シンプルなイラストの説明パンフレットに案内されました。 今回は博物館などで入場券を購入する時、オーストリア航空の搭乗券半券を見せると料金が割引されることを教わりました。
半券の有効期間は1年間で、正確には把握していませんが、ウィーンカードと同程度の割引率のようです。
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マリア・テレジアの夫君ロートリンゲン大公フランツ・シュテファンのコレクションを元に、1876年にフランツ・ヨーゼフ帝が設立、
1889年に現在の建物になって公開されたのが、3000万点の収蔵品を持つウィーン自然史博物館です。
人類の起源、哺乳類、鳥類、爬虫類、昆虫類の剥製や標本、恐竜、翼鳥、始祖鳥などの模型や骨格標本、化石や鉱物などが
テーマや時代別に所狭しと陳列されている様子は圧巻の一語でした。

宝石の花束 宝石展示室 ヴィレンドルフのビーナス
今回の私の目的の「ヴィレンドルフのビーナス」は、先史時代の展示室である11〜13ホールが改装中で、
マリア・テレジアが夫の誕生日プレゼントに贈ったといわれる1500個のダイヤモンド、1200個の宝石が使われた「宝石の花束」と
同じ4ホールに展示されていました。

1908年の夏にバッハウ渓谷のヴィレンドルフ遺跡から出土したのが、
「ヴィレンドルフのビーナス」と呼ばれるわずか11cmほどの約3万年前に作られた女性石像です。
狩りと採集で生き、石を割って生活用品を作っていた旧石器時代に、石灰岩を削ってこのような像を彫り出した人がいたという事実を
「武器でも道具でもない。ヒトが初めて芸術を作り出した瞬間だった。」と生物学者の福岡伸一氏が日経新聞コラムに書いていました。
不思議な髪型に隠された表情は見えませんが、豊満な身体の細部、胸に置かれた腕の腕輪に至るまでの表現や技にミラクルを感じ、
ヒトの長い歴史に思いを馳せたひと時でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 追記 2023.12.10・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近の研究でこの石灰岩は北イタリアか黒海沿岸産であることが分かったそうです。
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ブルク門 |

新王宮 |

カール大公騎馬像 オイゲン公騎馬像
リングを渡って、ブルク門からホーフブルク(=王宮)へ入ると、
ウィーン郊外のアスペルンで無敵のナポレオンを初めて破ったカール大公(皇帝フランツ2世の弟、マリア・テレジアの孫)と
オスマン・トルコを撃退し、バルカン半島におけるハプスブルク躍進の立役者となったオイゲン公の騎馬像が、
ヘルデン(=英雄)広場に立っていました。
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新旧王宮の中も国立図書館や様々な博物館など見所多々なことは分かっていましたが、これらの見学も割愛し、
ウィーン少年合唱団の日曜ミサで有名な王室礼拝堂の入口を見ながら、ヨーゼフ1世騎馬像が立つヨーゼフ広場へ出ました。
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ヨーゼフ広場に面して立つ14世紀に建てられた宮廷付属教会アウグスティーナー教会は、
マリア・テレジアとフランツ1世、マリー・アントワネットとルイ16世(代理人)、マリー・ルイーズとナポレオン(代理人)、
フランツ・ヨーゼフとエリザベートなどハプスブルク家の多くの結婚式が行われた教会で、
地下にはハプスブルク家の心臓安置所が置かれているそうです。
真中の白い大理石の美しい彫刻は、マリア・テレジアの寵愛を最も受けたと伝わる4女(実質は次女)クリスティーネの墓碑で、
イタリアのアントニオ・カノーヴァー(1757−1822)の傑作と言われます。
19世紀初頭にアウグスティーナー修道院が改築された時、芸術に造詣の深かったクリスティーネの夫アルベルト公のコレクションを元にして
造られたのがアルベルティーナ美術館で、素描、版画では世界最大の所蔵を誇るデューラーの「野うさぎ」で有名な美術館です。
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アウグスティーナー教会を後に、ハプスブルク家の歴代皇帝12人など146人の柩が安置されているカプツィーナー教会へ行き、
先ず、礼拝堂へ寄った後、隣接する地下納骨所へ降りて行きました。
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撮影禁止マークがついていましたが、他の見学者に同調して、最初は遠慮がちに、段々と大胆に数葉の写真を撮って来ました。
様々な柩が所狭しと並べられた中で、右のエリザベートとルドルフ皇太子を両側にしたフランツ・ヨーゼフの柩(どうやら裏側の様子・・・)が、
モダンですっきりとして見えました。
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墓所内でひときわ大きく、豪華な装飾が施されているのがマリア・テレジアとフランツ・シュテファンが合葬された柩で、
2人が向き合った像が柩上に飾られていました。
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マリア・テレジアの両親のカール6世とエリザーベト・クリスティーネの柩
1989年に最後の皇妃ツィタ、2011年にその長子オットー・フォン・ハプスブルク(1912−2011)がここに眠ったそうです。
納骨所見学とは良い趣味とは言えませんが、ハプスブルク家の歴史を語り継ぐ場所として、興味深いものがありました。
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ペスト記念柱 |

ペーター教会 |
ケルントナー通りを少し歩いて、グラーベンへ出て、1679年のペスト終焉を記念してレオポルト1世が寄進したペスト記念柱を見た後、
ケルト神殿に始まり、8世紀にカール大帝が寄進したとも伝わるペーター教会へ行きました。

ペーター教会に着いたのが2時50分で、狙っていた3時からの無料オルガンコンサートにちょうど良いタイミングとなりました。
オイゲン公のベルヴェデーレ宮殿と同じヒルデブラントの設計で、1701〜33年に建設されたバロック建築のペーター教会は、
天井ドームのロットマイヤーの「聖母マリアの被昇天」のフレスコ画が見どころとされています。
椅子に座って、休憩がてら、教会の中の音響を楽しんだ30分のコンサートでした。
演奏曲目は分かりませんでしたが、過剰で落ち着かない装飾に比べ、音楽には耳に馴染む心地よさも感じるバロック様式です。
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ペーター教会を出て、ほど近くにあるチョコレート店「Wiener Schokolade konig LESCHANZ」で買物をしました。
ザッハーやデーメルで製菓マイスターを務めたチョコレート王レシャンツ氏のお店で、
ザッハトルテを髣髴させるウィーンらしい甘さたっぷりのチョコレートだと分かったのは帰国後のことでした。
皇室御用達のボタン店だった内装をそのまま活かした店内に趣きがありました。

4時近くなってカフェでコーヒーブレイクをしましたが、エクレアも程良い甘さの現代的なお店でした。
一休みして、元気が戻った所で、この日最後の3つの追い込み?プランへ向かいました。
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ひとつ目は1902年にユーゲントシュティールに改装された16世紀創業の薬局「ENGEL APOTHEKE」の天使の絵を見ることでした。
2013年にオープンしたゴールデン・クォーターと呼ばれる高級ブランド・ショッピングエリアを通り抜けた先に、
天使たちの壁画を見つけた時は、ブランド街よりもこちらが断然ウィーンらしい!と観光客的な採点を下しました。
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ルプレヒト教会 |
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2つ目はルプレヒトが仲間と740年頃に創建、ウィーンがパッサウの管轄下にあった9世紀初頭に建てられたなど諸説ありますが、
ウィーン最古の教会のひとつであることは間違いないと思われたルプレヒト教会でした。
内陣は13世紀の早期ゴシック様式ですが、鐘楼はウィーンに残る唯一のロマネスク建築と言われています。
ドナウ運河近くに位置していますが、かつては塩を運ぶ船着き場に面していたことから、ルプレヒトは塩運搬人の守護聖人とされています。
都会の片隅に残るロマネスクの素朴な佇まいが心に残りました。
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結婚の泉 |

アンカー時計 |

3つ目はホエールマルクト広場にあるユーゲントシュティールの画家フランツ・マッチュが手掛けた1913年に作られたアンカー時計です。
時計の中にカール大帝、マリア・テレジア、ハイドンなどウィーンゆかりの歴史上の人物の人形が12体入っていて、
1時間ごとに姿を現すようですが、12時には12体すべての人形が次々と音楽に乗って登場するそうです。
この時、4時半を指していた時計の裏では5時の人形が待機しているようでした。
アンカー時計のあるホーエルマルクト広場は古代ローマの駐屯地ヴィンドボナがあった所で、
結婚の泉の前に2008年に開館した古代ローマ博物館があるようですが、これも今回は割愛ポイントとなりました。
降ったり、止んだりだった小雨が、とうとう本降りになってしまった午後遅くに詰め込んだ追い込み3つのプランは、
無駄歩きを省くために、人に道を尋ね尋ねの道中となりましたが、ともあれ完遂出来た満足感と共に、
5時前にシュヴェーデンプラッツから地下鉄U4に乗って、ヒーツィングへ戻りました。
ヒーツィングからは雨を避けて、トラムに乗りましたが、グロリエッテガッセで降りてからの曲がり角を間違えてしまい、
結局、徒歩帰宅と同じほど歩く羽目となってしまいました。

この夜は、夕刻、成田から到着した舟田さんの友人Kさんのウエルカム・スープ・ディナーにお相伴させていただきました。
7時にアトリエに伺った時、テーブルに乗っていたのは、「見たことはある気がするけど・・・」という
ブロッコリーとカリフラワーの合いの子のようなブロッコロ・ロマネスコでした。
丸ごとタジン鍋で蒸した迫力ある温サラダに目を奪われてしまい?
昨日ホイリゲから残りを持ち帰った骨付き豚足首肉で作ったスープの写真は撮り忘れてしまいました。
或いは、会話が楽しく弾んだテーブルだった証しとしておいてもよいのかもしれません・・・。
翌日はアルプスを越えた初めての鉄道として1998年に世界遺産に登録されたセンメリングへ4人で行く予定でしたが、
雨模様の山向きではないお天気が予想され、「センメリングは止めましょう」ということになってしまいました。
遠足はドナウとセンメリングと決めていましたので、困ってしまいましたが、旅の予習の時のおぼろげな記憶をたどって、
「バーデンなら電車一本で行ける筈ですけど、メードリンクは行きにくいでしょうか?」と尋ねると、
「光子が晩年暮らしたところね。・・・じゃあ、私も行ったことがないから、メードリンクにしましょう」と簡単に変更場所が決まりました。
古い時代から現代までウィーンの様々な貌を求めて歩き回った旅の真中の一日は、思い出すだに目まぐるしいものがありますが、
頭の中の地図が現実と結びついたことがうれしく、達成感に充たされた夜でした。
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