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12 Oct.2011
Ljubljana〜Blejsko Jezero〜Radovljica〜Zagreb


リュブリャーナの朝は霧に包まれていましたし、ホテル周辺には見どころもなさそうでしたので、
「餌が良いので美味しい」というY添乗員さんお勧めの卵や豊富な野菜・果物など、
8時の出発までゆっくりと朝食を楽しみました。
お陰で?今になって、恒例のホテル外観写真を撮るのを忘れていたことに気が付きました。
ホテルの正面は車道に面し、ガラスを多用した今風の近代的な建物だったと思います。


スロヴェニアはヨーロッパの中ではフィンランドとスウェーデンに次いで緑が多い国、
4月30日の火たき祭りを1年の農作業の始まりとするケルト人と同じ習慣がある、
ヨーロッパの品評会で受賞するじゃがいもが有名などという話を豊かな緑を車窓にしながら聞いていると、
25分ほどで前方にユリアン・アルプスの最高峰トリグラウ山(2864m)が見えてきました。
3つの頭を意味するこの山は国家紋章や国旗にデザインされ、国の象徴とされています。

現在はスロヴェニア第4の都市ですが、ハプスブルク時代の州都でオーストリア系の住民が多く、
スノータイヤで有名なSAWAの工場があるというクラーンを通過し、
ちょうど1時間のドライブでブレッド湖に到着しました。
盆地でもともと霧の発生が多いというリュブリャーナはともかく、車窓もちょっと心配な空模様です・・・。



けれどもバスを降りると、静かな、秋景色のブレッド湖が待っていてくれました。



そして、絵のようなと簡単に表現したくない、言葉を呑み込んでしまう完璧な風景が、
突然のように目の前に広がり、道中の冴えない空さえ、この瞬間のためにあったと思えるほどでした。


手漕ぎボート・プレトナ船2隻に分かれて、ゆらゆらと、ブレッド島まで10分ほど揺られて行きました。
この地に山荘を建てたハプスブルク家のマリア・テレジアが湖岸のムリノ村の男に操縦権を与えて以来、
プレトナ船はムリノ村出身者のみが漕ぎ手となることが出来るそうです。

右写真の森に写っている建物は、左が現在ホテル・ヴィラ・ブレッドとなっている元チトー大統領別荘で、
右はリュブリャーナの街で出会った建築家プレチニックの設計によるものだそうです。




湖に浮かぶ小さな島へと少しずつ近づいて行くローアングル写真も言葉は不要、ですね。
一緒に船に乗った気分でご覧ください。



船着き場に着くと、後ろの人から順番に下船するというのがお約束のプレトナ船でした。
島の上に建つ聖母マリア教会はスロヴェニア人憧れの結婚式場だそうですが、
その手前で待つのが花婿が花嫁を抱きかかえて上がらなければならないという99段の石段で、
結婚が決まったら男性はジムに通い、女性はダイエットに励むと言われています。
その石段を我がツアー・メイトの中の10数年前の新婚さんは予備準備もなく完登し(お見事!)、
本当の新婚さんは、既に結婚式も終わっているという所で、仲良く手をつないで登って行きました。
左写真の階段上に見られるように、新婚が遠くなった人達は、好き勝手に上がっていけばよい訳ですね!?

この教会は6〜7C頃に島にやって来たスラブ人の神殿を起源とし、
キリスト教に改宗したスラブ人によってロマネスク、ゴシック、バロック建築と改修が重ねられたそうです。
教会建築のための建材は湖面が凍結する冬季に運び込まれたと伝えられています。


教会の中に入ると聖母子像と両側に11Cのブレッド領主ヘンリック2世と妻クニグンダの像が飾られた
1747年に造られたゴッシク様式の主祭壇がありました。
ミカエル、マグダナのマリアなど新しい祭壇も並ぶ中で、
壁にうっすら残った15Cのフレスコ画が長い歴史を感じさせていました。

右写真で引っ張っているのは、1534年に造られた「望みの鐘」です。
盗賊に殺された夫を悼んだ若い未亡人が教会に奉納しようとした鐘が島に運ぶ途中の嵐で湖底に沈み、
それを悲しんだ未亡人は島を出てローマの修道院に入ったという話を伝え聞いたローマ法王が
寄贈したという伝説を持つ鐘は、鐘を鳴らすことが出来たら望みが叶うと言われていますが、
正直に言うと、カメラ目線で耳がおろそかになってしまい、聞きそびれてしまいました。
でもお願いごとをした訳でもありませんから、罰はないことと・・・。

 

再びプレトナ船で湖畔へ戻り、周囲6km、東西1380m、南北2120mのブレッド湖を
ビュー・ポイントに立ち寄りながら、バスで一周しました。
最初に下車したのが標高526mの標識を掲げたブレッド駅です。
人影もない駅でしたが、鉄道駅と長く伸びた線路が揃った情景には旅情をそそられます。



次に湖の北側の100mの断崖の上に立つブレッド城へ行きました。
ブレッド城は1011年5月22日に領主ヘンリック2世が司祭アデルベロンに譲渡したことが文献に見られる始まりで、
13Cの屋根付きの城塞に囲まれた内部には、16Cにハプスブルク家が建造した邸宅や礼拝堂が残り、
現在は博物館やワインセラー、レストランなどとして使われています。


トリグラウ山を遠望 カラバンケ山脈の山裾に広がる村



「望みの鐘」の失敗にもかかわらず?ブレッド城でもこの上ない眺望が待っていてくれました。
眼下に見下ろすブレッド島は、「絵葉書でみたことがある」という方もいらっしゃるかもしれませんね。
「アルプスの瞳」と呼ばれるに相応しいロマンティックな風景です。



景色汚しの一枚

30分ほどのフリータイムは景色を堪能、写真撮りまくり・・・で過ごした後、
入城した時に全員で寄り、デモンストレーションを見た印刷所へ行き、小さな木版画を買いました。



味わいのある手すきの紙


目の前で瓶詰めをしてくれるワイン・セラーも大人気でした。
重くて、割れるものは敬遠気味のこの頃ですが、旅の道中にホテルの部屋で飲んだという話も聞きました。
様々な旅の楽しみ方を垣間見られるのが、団体旅行のひとつの面白みとも言えそうです。



11時半にブレッド湖を出発して、6kmほどバスを走らせてラドヴリツァでランチとなりました。
スロヴェニア伝統のジンジャー・ブレッドを製造、販売しているレストラン「レクタル」の地下で、
クリスマス・ツリー・オーナメントに良さそうだと思い、小さなものを孫土産に選びました。
とてもカラフルですが全部、天然色素で作られているそうです。



食事中に名前が入りました


食事を待つ間、夫が手を出しているテーブルの上のものは、くるみ割り器です。
素朴で暖かい手触りの道具、ロケーション、何をとっても文句のつけようのない素敵なレストランでした。



くるみ割り器


生ハムの前菜、野菜サラダ、川マスのグリル、地方伝統のグルマーダ・ケーキはすべて合格点でした。


レストラン「Lectar」

3C以来の歴史を持つというラドヴリツァの街を歩くのは駐車場への往復だけ、
というのはいかにももったいなかったのですが、先を急ぐ旅では致し方がありません。
この街は養蜂でも有名で、女王蜂を日本へも輸出しているそうです。



海外では見られると、つい、こちらからもカメラを向けてしまいます。 −ラドヴリツァの街で−


国境通過

クロアチア入国

旅も4日目になると、当初の緊張がとけ、バスの中でゆっくりと眠れるようになるこの頃、
昼寝やトイレ休憩を入れながらラドヴリツァから2時間余りバスを走らせて、4時過ぎにクロアチアに入国、
ドライバーのトニーさんが書類を見せるだけで国境を通過しました。
クロアチアの車窓に見えてきたユーゴ時代のアパート群は広さと安さで住む人が戻って来ているそうです。
日本の景観と言っても信じられそうですが、緑に慣れた目にはとても無機的に思える建物でした。



ホテル・ドゥブロヴニク

ホテルの部屋の窓から見た街景色

5時20分にクロアチアの首都ザグレブのイェラチッチ広場にほど近いホテル・ドゥブロヴニクに到着しました。
希望者(13名)は6時にロビーに集合して、Y添乗員さんと一緒に夕方の街散歩へ出掛けました。



先ずトラムに乗って、ザグレブ中央駅へ行き、かってはオリエント急行が停車したネオクラッシク様式の
1892年に建てられた美しい駅舎に入り、構内を覗いたり、
改札口がありませんでしたので、ホームに立ってみたりしました。



駅前のりんご屋台


駅の近くにはオリエント急行で到着した著名人達が宿泊した由緒あるエスプラナーデ・ホテルがありました。
ホテルへ向かっている途中、刻一刻と色調を変える素晴らしい夕焼けに出会えました。

お天気に恵まれた一日の終わりに又もや出会ったミラクルな夕景色


夕焼けだけで充分に満足した散歩の帰りに、リージェント・ホテル・グループ傘下に入り、
2004年に全面改装したというエスプラナーデ・ホテルに立ち寄り、
アガサ・クリスティが好んだことで評判が高まったというペッパー・ビスケットをお土産に買いました。




帰りはプラタナスの並木道が続くプラシュカ通りを歩き、1時間の散策を終えました。
散歩には行かず、入浴した後、一人でホテル近くのスーパーマーケットへ行ったという夫は、
ホテルより少し安くペッパー・ビスケットを買ったことを自慢、夕焼け讃美の声を無視に?務めていました。




ホテル・レストランでの夕食はきのこスープ、トマトソース・サーモン、チーズケーキで、
美味しいけれど、完食したら食べ過ぎかも、とこの頃から迷うことが増えた食事でした。
お天気の神様に心から感謝して4日目が終わりました。

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