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29 May 2010 |
Sofia〜Boyana〜Sofia
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ホテルの部屋から |
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デデマン・プリンス・ホテル |
6時に起床し、窓から外を見ると、雪を抱いたヴィトシャ山の朝焼けを見ることができました。
ソフィアはバルカン山脈、ヴィトシャ山など周囲を山々に囲まれた標高550mの高原都市で、
アドリア海と黒海を結ぶ要衝の地として古くから栄えた人口150万人の都市です。
7時から朝食をとった後、ホテル近辺の散歩に出掛けました。
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ソフィア中央駅 |
中央バスターミナル |
ホテルのすぐ北側にソフィア中央駅やバスターミナルがありましたが、
首都の駅とは思えないほど閑散とした雰囲気で、ヨーロッパの東端に来たことが実感されました。
その後、1km余り離れた街の中央を観光した時に、その印象はかなり改められましたが、
使われなくなった廃墟のような地下道があったり、だだっ広い道路が寒々しく感じられる駅周辺でした。
裏道では古い建物や石畳が歴史を感じさせ、花盛りの菩提樹や野イバラが目を楽しませてくれました。
2007年にユーロに加盟したブルガリアですが、通貨は自国のものを使っていますので、
ホテルへ戻った後、レセプションでユーロをレヴァに換金(1レヴァ≒60円)しました。
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聖ペトカ半地下教会とソフィア女神像 |
半地下! |
9時半にバスでホテルを出発、セルディカ交差点で下車し、地下道を通って聖ペトカ半地下教会へ行きました。
北側のネザヴィシモスト広場からみると車道の間に没しているような不思議な教会は、
オスマン・トルコ支配下の14C末に目立たないように建てられたものだそうです。
小さな入口から中に入ると、祭壇周辺に16Cの壁画が残り、ろうそくや生花が捧げられ、
れっきとした現役の教会であることが分りました。
右手に勝利のシンボル月桂樹の輪、左手に知恵のシンボルふくろうをのせたソフィア女神像は、
レーニン像に代わって、ソフィアの街を守っています。
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セルディカ遺跡 |
旧共産党本部 |
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ネザヴィシモスト広場からスターリン・ゴシック建築と呼ばれる旧共産党本部の建物を
カメラに収め(逆光・・・)、地下へ下りて、セルディカ遺跡を見学しました。
トラキア人が住んでいたソフィアの町を征服した古代ローマ人は、
500m四方の城壁で囲んだ町を造り、先住部族の名前を取ってセルディカと命名したそうです。
地下鉄工事で偶然発見されたセルディカ遺跡はローマ時代の石、ビザンチン時代のレンガが層を成し、
2000年の歴史を伝えていました。
セルディカは7Cのスラブ人国家の時代にはスレデッツ、11Cのビザンチン時代にはトリアディツァ、
14Cに入ってからはソフィアと町の名前を変えています。
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聖ゲオルギオス教会 |
大統領官邸 |
ローマ時代の石の舗装が残る地下道を歩き、再び地上に出て、大統領官邸へ立ち寄ると、
官邸の中庭に聖ゲオルギオス教会とローマ遺跡がありました。
4Cにローマからコンスタンティンープルへ遷都したローマ皇帝コンスタンティヌス帝は
セルディカを「私のローマである」と讃え、この地をしばしば訪問、霊廟としてロトンダを建設したそうです。
そのロトンダを原型として、ビザンチン皇帝ユスティニアヌス帝が6Cに再建したのが
ソフィア最古の教会、聖ゲオルギオス教会です。
大統領官邸、シェラトン・ホテルなど近代建築に囲まれた第2次世界大戦の空爆後に修復された教会や
ローマ遺跡の外観を見て、外へ出ると、官邸前で写真を撮っているグループがいましたが、
衛兵との対照が面白くて、思わず横撮り?をしてしまいました。
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考古学博物館 |
国立美術館・民俗博物館(旧王宮) |
官邸前広場に現在は考古学博物館として使われている1494年建造のビュユク・ジャーミイ(大モスク)があり、
ドームを載せたンガ造りの建物の前にローマ時代の石碑などが置かれていました。
ツァール・オスヴォボディテル通りへ出ると、ブリガリア国立銀行、国立美術館・民族博物館(19C〜20Cの王宮)、
市民公園などが連なり、首都の風格を感じさせられる一画となっていました。
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聖ソフィア教会 |
聖ニコラス教会 |
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通りを進み、ロシア正教会の聖ニコラス教会の横から、プーシキン像が立つロシア大使館前の公園を抜けて、
聖ソフィア教会へ行きました。
イスタンブールにアヤ・ソフィア寺院を建築したユスティニアヌス帝によって建てられた聖ソフィア教会は
ソフィアで最も由緒ある教会で、街名の由来ともなっています。
ローマ時代のネクロポリス(墓地)の礼拝堂の上に建てられ、
後にカトリック教会の典型となるラテン十字の萌しが見られる建築史上珍しい様式を持つ教会で、
オスマン・トルコ支配下に入った1382年以来、約500年の間モスクとして使用された後、露土戦争を経て、
キリスト教徒の手に戻った1900年代に創建当時の姿に復元されたそうです。
内部にはわずかに中世のフレスコ画が残り、一部ガラス張りになった床下にローマ時代の墓や
ビザンチン時代のモザイクを見ることができました。
聖ソフィア教会からアレクサンドル・ネフスキー教会へ向かう途中の道路脇に永遠の灯が灯されている
無名戦士の慰霊碑がありました。
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アレクサンドル・ネフスキー教会 |
1877年から1年間続いたロシアとオスマン・トルコの露土戦争の後、ロシア人とブルガリア人の慰霊と
トルコ支配からの解放を記念して、1882年から40年の歳月をかけて建造されたのが
ロシアの聖人の名前を採られたネオビザンチン様式のアレクサンドル・ネフスキー教会です。
国家的なプロジェクトで建てられ、バルカン半島最大の規模を誇る教会は
大理石で造られた3つのイコノスタシス(聖障壁)や総勢400人の画家がかかわったという壁画で飾られ、
5000人の礼拝者を収容できる堂内はカトリック教会のように椅子を置いていないため、
一層広く荘厳に感じるようでした。
教会南側の記念撮影スポット広場に出ると、景観を堂々と邪魔をして1台のバスが駐車していましたが、
よく見ると、私達を待っているズラティンさんバスで、仕方なし・・・という所でした。
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ソフィアの街から南へ8kmほどのヴィトシャ山麓のボヤナへ行き、
遠くにソフィア市街地を望むレストラン「Chepishev」でランチを取りました。
食事をしながら自己紹介が行われましたが、今回の旅なかまは24名で、その中、7名は数年来、
年1度一緒にツアーに参加しているグループ、その他は夫婦、姉妹、友人、個人など様々な組合せで、
男性6名、女性18名、60〜80代までのシニア世代で構成され、
N添乗員さんとスルーガイドのビストラさん、スルードライバーのズラティンさんを合わせて27名となりました。
ロケーションも建物も素敵なレストランでしたが、野菜クリームスープ、ポークケバブ、プリンというランチは
スープ2種?という感じで、今回のツアーで最も冴えないものでした。
この時、ブルガリアでコーヒーと言えば、エスプレッソのことであることを知りました。
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