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1 June 2010 |
Plovdiv〜Sozopol〜Burgas〜Nessebar
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プロブディフからネセバルまで今回の旅で最も移動距離が長いこの日は、
8時にホテルを出発して、先ず、ソゾポルへ向けて230kmバスを走らせました。
昨夜来の雨が残り、小雨が降ったり、曇り勝ちだったお天気は序々に回復していきました。
ヒナゲシ群落が目立つ中、たまにチドリソウが優占している一面紫色の野原や麦秋の畑を車窓に見ながら、
N添乗員さんの第2回車内講座に耳を傾けました。
世界初の美人コンテスト「パリスの審判」が引き起こしたトロイ戦争は、
食糧不足を解消するために人間を減らそうとした神の策略であった、
10年間膠着した戦況を脱し、ギリシア軍が城壁の中に入ることができたのは地震崩壊のお陰という説、
海神ポセイドン(=ネプチューン)の象徴である馬を戦勝のお礼として贈ったのがトロイの木馬であるなど
トラキア人もかかわったトロイ戦争やギリシア神話の話が続きました。
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8000年の歴史を持ち、伝統あるトラキア大学があるというスターラ(古い)ザゴラを通過し、
10時前にノバ(新しい)ザゴラに到着、トイレ休憩が取られました。
バルカン山脈南に広がるこの辺りは土地が肥沃で、水田もあり、ブルガリア農業の中心地となっています。
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ブドウやモモの果樹畑、ナタネ、カラシナ、ヒマワリ、様々な野菜畑を見ながらの車内講座は
バシリカにビザンチン様式を吸収し、発展させて生まれたロマネスク、パリの北のサン・ドニ修道院の
シュジェール院長が始めたゴシック建築、調和、機能性が重視されたルネサンス様式と
ヨーロッパのキリスト教会建築史へと続きました。
道路脇には満開のエニシダが目立っていましたが、近過ぎて、カメラに収めることは出来ませんでした。
一基500万円という風力発電のプロペラ機が増え、車窓にカモメが現れ、
黒海が近付いてきた11時半過ぎにブルガスに到着、2度目のトイレ休憩がありました。
再びバスに30分程乗り、黒海が見えるソゾポルのリゾート施設内のレストラン「Santa Maria」で
ランチ・タイムになりました。
チキンスープ、ステファニーロール(ミートローフ)とフルーツというメニューでしたが、
フルーツはもちろん1人前ではなく、8人掛けテーブルを3周ほどして、ようやくほぼ食べ終えました。
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小1時間散策をしたソゾポルの町は、BC7Cにギリシア人が「アポロニア・ポンティカ(黒海)」と名付けた
黒海沿岸最初の植民都市で、港には守護神として高さ12mのアポロン銅像が建てられていたそうですが、
1C終りにローマ軍に持ち去られてしまったそうです。
トラキアからは銅、穀物、蜂蜜、家畜など、ギリシアからはオリーブオイル、ワイン、壺などを交易し、
ギリシア時代に大いに発展した町はローマ、ビザンチン時代までは海の交易地として発達したものの、
近代になってブルガスとソフィアの間に鉄道が敷かれてからは陸上交通の時代になり、
次第に寂れていったそうですが、現在は再び観光地として活気を取り戻しているようです。
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残された少ない遺跡のひとつ、ローマ時代の浴槽を見学しましたが、
右の写真のコンクリートの波線から下がオリジナル部分だそうで、
別の場所でも同様に石を積み重ねて、町を取り囲んでいたBC12Cの城壁が修復されていました。
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石造りの1階の上に木造家屋を載せているのが18C末から19C初めに建てられた黒海の伝統的な民家で、
アポロニア通り、キリル・メトディー通りの街並みは日本人にとっても懐かしい雰囲気が残されていました。
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遊歩道のある岩場や海水浴場、ヨットハーバーなどに海のリゾート地としてのソゾポルの顔を見た後、
3時前に出発して、再びブルガスへ向いました。
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40分ほどでブルガスに到着、バスの中から最初に目に留めた建物がブルガス中央駅でした。
ギリシア時代にビルゴス(塔)と呼ばれた町は、1902年にソフィアと鉄道で結ばれて産業の町として発展、
国内線空港も持つため黒海沿岸リゾートの基点としても利用価値の高い町となっているそうです。
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海沿いに3km続く公園から見る黒海と眺望を楽しむ旅なかま |
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民俗復興期様式の建物が並ぶアレコ・ボゴリディ通り |
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海底から出土したローマ時代の遺物も景観となっている街並み |
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ブルガス市街地をバスから遠望 |
塩田 |
30分ほどブルガスの町を散策して、4時過ぎに出発、35kmバスを走らせて、
この日の宿泊地ネセバルへ向いました。
塩田風景などを見ながら黒海沿いに北上し、ネセバルの新市街に入ると
小規模なホテルやレストランの建築ラッシュで、ブルガリア有数の観光地に着いたことが分りました。
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5時過ぎに大型リゾートホテル「ホテル・ソル・ネセバル・ベイ」にチェックインし、
室内設備など問題はなさそうでしたので、ドア下に「散歩にでます」とN添乗員さんにメッセージを残して、
海岸へ行きましたが、カードキーの磁気切れ続出で、散歩どころではない人も多かったようです。
(結局、私達の1枚も後でチャージしてもらいましたが・・・。)
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ほとんど人影のない夕刻のホテルのプールとプライベート・ビーチ |
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地中海に比べると暗い印象を受けることから、ギリシア人が「黒海」と名付けたと言われる海は
水温は割合高目で、磯遊びをする親子連れや軽石?探しの老夫婦の姿が見られました。
珍しい形でもありませんでしたが、小さな2枚貝や巻貝を拾って、お土産に持ち帰りました。
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7時半からの夕食は民族衣装姿のウエイター達が、お客さんを迎える特殊なパン、
バニツァを持って出迎えてくれました。
丸い形が永遠の恵みを意味するバニツァにはコショウやトウガラシのようなスパイスをつけていただきます。
ビュッフェ形式で、ドリンク飲み放題という珍しいホテルで、様々なメニューが用意されていましたが、
風が入って来る出入り口近くの席に座ったせいか、腰を落ち着けてたっぷり飲食とはいきませんでした。
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9時半から民族舞踊ショーが行われるということで、会場へ向かう途中、
手前の部屋で子供達の仮装コンテストが行われていましたが、見物は割愛して、舞踊ショーの部屋へ行くと、
仮装をしない小さな子供達が舞台に陣取って、ちょっと退屈そうな様子を見せていました。
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定時にビンゴ・ゲームからショーが始まり、もうすぐと期待したビンゴは2番までに入れず、
ワインや陶器のゲットには至りませんでした。
楽しそうに踊るフォークダンスは、簡単そうに見えて、複雑なステップを踏んでいて、
誘われても踊りの輪に加わることは出来ませんでしたが、
ブルガリアンなファミリータイプ・リゾート・ホテルの夜を楽しんだひと時となりました。
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