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2 June 2010
Nessebar〜Shumen


ホテルの南向きの部屋からソゾポル方面の夜明けの風景が見られました。
9時にホテルを出発し、新市街を抜けて、10分ほどで旧市街に到着しました。


旧市街の西門 考古学博物館から見た砂州方面



ネセバルの旧市街はBC1000年頃のトラキア人の集落「メナブリア」を起源とし、BC510年にギリシア人が
植民都市「メセンブリア」を建設して繁栄、支配者を変えながらも長い歴史をつないで来た港町で、
1983年に世界文化遺産に登録されています。
海の水位の上昇によって街の3割近くは水没し、かっての城壁は修復された西門周辺だけとなっていますが、
新市街とトンボロ(陸繋砂州)によってつながる街は東西900m、南北300mほどの規模で、
眺望にも恵まれて、「黒海の真珠」と称えられる観光名所となっています。


パントクラトール教会(13-14C) 聖ステファン教会(11-13C)

かっては30近くあったビザンチン教会の中、残された10棟ほどが点在する街の中を散策しました。



西門を通り抜け、土産物店が並ぶメセンブリア通りを進むと手入れの行き届いた花壇がある広場の一角に
パントクラトール教会がありました。
石と煉瓦の横縞模様の中に緑の陶器でラインを入れた壁面装飾は、
黒海沿岸のビザンチン建築の特徴とされています。
その下方の卍文字はトラキア人が太陽や人生の象徴として用いた吉祥文字がインドや中国に伝わった、
中央アジアのゾロアスター教の空気・水・火・土を表わすシンボル・マークだったなど諸説あるようです。
パントクラトール教会の内部はアートギャラリーになっていました。

南へ向うと、新司教座聖堂(ノバタ・ミトロポリャ)とも呼ばれる聖ステファン教会がありましたが、
有名なフレスコ画を有するという内部には入りませんでした。



更に南側の海沿いに建つ聖ヨハネ・アリトゥルゲトス教会(14C)は、
建設されてすぐ十字軍の襲撃を受け、屋根が焼け落ち、教会として使われることがなかったため、
「奉納されなかった(アリトゥルゲトス)ヨハネ教会」と呼ばれることになったそうです。
歴史の証人としての堂々たる風情が面白く感じられました。


黒海沿岸独特の民家が続く路地を中央広場まで戻ると、ネセバル最古のソフィア教会(5-6C)がありました。
コンスタンティノープルやソフィアに聖ソフィア教会を建てたユスティヌアヌス帝が同名の教会を建立した所に、
この街の重要性が窺われ、古い司教座教会(スタラタ・ミトロポリャ)とも呼ばれています。




アプスとアーチしか残っていない教会遺構は今はコンサート会場としても利用され、
周りには観光客目当てのお店が軒を連ねていました。



聖パラスケヴァ教会(13-14C)
大天使ミカエル・ガブルエル教会(13C)



近くに並んでいた聖パラスケヴァ教会と大天使ミカエル・ガブリエル教会の緑の陶器装飾は
保存状態が良く、とても美しいものでした。

フリータイムをはさみながら、教会巡りをしている途中、小雨が降り始め、
海に稲妻が走るのが見えたりしましたので、当初は希望者だけが行くことになっていた考古学博物館へ
行くことになりました。
今回の旅なかまには晴れ男、晴れ女を自認する方が数名いて、
この時にほんの短時間だけ傘をさしたのは「雨の中には入らない」と認定され(!)
ソフィアの夕刻の雷雨もフリータイムなので除外となり、
この翌日のネセバルは大雨、私達が滞在した街は降っても夜だけという幸運な天候が続いたこともあり、
晴れ男・女伝説の方達の記録はめでたく保持されることになりました。
私自身は「時の運」としか思っていないのですけれど・・・。


考古学博物館 博物館の窓から見た景色

考古学博物館で30分余り雨宿り見学をしている中に、外は全く心配のない空模様になっていました。
内部撮影は入館料と同額の4レヴァ(240円)で、ソフィアの歴史博物館の10レヴァに比べると、
気合いが欠けていますが?海の都市らしい所蔵品などを少々ご紹介します。


テラコッタ像(BC5-4C)と大理石墓碑(BC3C)

ギリシア植民都市時代の墓地から発見されたテラコッタ像やギリシア語の銘文付き墓碑は、
内陸部のトラキアとは異なった埋葬習慣などが注目されているそうです。



アンフォラ

赤絵式クラテル

イヤリング
青銅製ヒュドリア

ワインやオリーブ油の貯蔵・運搬容器のアンフォラやヒュドリア、赤絵式クラテル(ワインと水の混酒器)など
BC4-2C頃にギリシア人が用いた多様な器、精巧な細工のイヤリングなどが目を引きました。
当時はギリシア神話に登場するトラキア人、勇猛なトラキア戦士などの装飾モチーフが好まれていたようです。


ローマ時代ガラス器

コイン(3C)

イコン(14C)

ローマ時代の彫像、ガラス器、コインやビザンチン時代のイコンなど数多くはありませんでしたが、
時代を追った展示品には興味深いものがありました。



聖スパス教会(17C)
洗礼者ヨハネ教会(10C)

11時過ぎに博物館を出て、聖スパス教会へ行き、1609年に描かれたキリストの生涯の壁画を見ました。
この教会は地元の裕福な市民によって寄進されたものだそうです。
洗礼者ヨハネ教会を見て、街並みに溶け込んでいる教会を見ながらのガイドさんとの散策が終了し、
ランチまで30分程、フリータイムが取られました。



メセンブリア通りを歩いている途中に目をつけていた貝細工のお店で小さなお土産品を買ったり、
西門を抜けて、城壁や砂州(400m)の写真を撮ったりした後、集合場所のレストランへ向かう途中、
ハンドメイドのアクセサリー店を見つけ、中に入ってみると、
かわいい&安さに驚喜し、その後訪れた街でも同じお店を見つけた結果、
今回の旅で買ったペンダント・トップは30個近くになりました。
(旅なかまにも教えて、最も感謝された商品情報でした。)


 
  ヤモリ、カメ、ゾウが3大人気    ブリガリアへ行ったらご注目!

海に面したレストラン「Zomitza Sevina」

  

魚のスープ、唐揚げ魚、イチジクのジャム添えヨーグルトというヘルシーなランチ・メニューでした。
現地ではチェルノ(黒い)コップ、外のメニュー看板には「Scad」と出ていたムロアジの仲間は、
とても食べ切れない(食欲をそそる盛り付けとも言いがたく・・・)と思いましたが、
鮮度の良さにつられて、ほぼ完食できました。




1時過ぎにバスに乗って、宿泊地のシューメンへ向いました。対岸に新市街のホテル群が見えています。


2時半過ぎのトイレ・ストップの時、道路の反対側に出ていたサクランボの露店の女性から手招きをされ、
買っても食べきれないし・・・と迷いながら近付き、とりあえず、写真を撮ってもいい?とジェスチャーで示すと、
あっさりOKの仕草が返って来た上、サクランボをひとつかみプレゼントしてくれました。
隣の建物は歴史的建造物かレストラン・・・?全くお手上げのキリル文字でした。



バルカン山脈越えをせず、ゴールデン・サンス(黄金海岸)とよばれる黒海寄りの道を100kmほど走り、
3時過ぎにブルガリアの海の玄関口であるヴァルナの街を通過、
国内2番目の規模のロシア正教会の聖母被昇天大聖堂などを車窓に見ることができました。

ソフィア国立歴史博物館で見た前5千年紀の王笏など世界最古の金製品は、
1972年にヴァルナ集団墓地遺跡から発見されたもので、
ヴァルナに原文明が存在したことが考古学的に立証されています。
その後、BC585年にギリシア人が植民都市「オデッセス(水の上の町)」を建設して以来、
ローマ時代、第1次ブルガリア帝国時代、オスマン・トルコ時代を通して発展し続けた
黒海沿岸の中心都市のひとつがヴァルナです。



ヴァルナからシューメンまで100kmほどの車中、昼寝タイムも終わった所で?
今までと少し様子の違う内陸部の平原風景を見ながら、N添乗員さんの3回目の講座が始まりました。

ブリガリアの国旗は白=平和・純潔、緑=自然、赤=勇気・民族の血を表わす、
明治ブルガリア・ヨーグルトは1970年の大阪万博の時に明治乳業の研究員がブルガリア館を訪れたことを
きっかけに開発されたもので、ブルガリアのヨーグルト菌は1国に1社にしか提供されないという前振り話の後、
バロックからロココ、新古典、ネオロマネスク、アール・ヌーボー、アール・デコと
ヨーロッパの建築様式講座が一先ず終点まで辿り着きました。
300回を越す添乗経験に基づく講座は具体的で、分り易く、知識の整理に役立った車内講座となりました。



トンブル・モスク

4時半にシューメンに到着し、トンブル・モスクを見学しました。
トルコ人の人口比率が10%足らずと言われるブルガリアの中で、シューメンには20%程と
比較的多くのトルコ人が住んでいるようです。
1744年建造のトンブル・モスクはバロック時代の影響を受け、装飾に彫刻を多用している所が特徴的でした。
修復が終ると美しい姿が蘇ることと思いますが、
泉亭を取り巻くメドレッセ(学院)は土産物店になっていたり、観光用として使われているモスクのようでした。


社会主義時代の面影を残す「ホテル・シューメン」

6時からN添乗員さんが希望者(8名)を街散歩に案内して下さいました。
第1ブルガリア帝国のシメオン1世(在位:893−927)に因んで名付けられたというシューメンの中心通りは、
だだっ広いプロムナードや大きなモニュメントが旧政治体制時代の置き土産のようで、
少し違和感を感じるものがありました。



7時前にホテルに戻り、7時半からホテル内の展望レストランで夕食になりましたが、
ロビーに集合した時、鳩山さんが退陣したらしいというニュースが飛び込んで来ました。
写真は夜8時を過ぎても明るいヨーロッパの初夏の夕暮れ風景です。



山頂に見える建都1300年記念碑


この日の夕食はナスの前菜、ブルガリア・チーズ・スティック、ハーブ風味の鶏胸肉、アイスクリームと
ボリュームあるメニューでしたが、地元のワイン・ボトルをシェアしながら、美味しくいただきました。


好評だった焼き立てパン

ゆっくり2時間かけて夕食を取り、後は寝るだけという楽しい旅時間も早や折り返し点を通過です。


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