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10 Jan 2009 |
Narita〜Cairo
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2008年秋は10月下旬のイラン・ツアーを申込んでいたのですが、
9月の終わり頃、「イラン航空は成田線を撤退するのでは?」というメールが旅仲間から届き、
新聞1紙だけの報道という点に疑問を抱きつつ、様子をうかがう日々が始まりました。
10月初旬の旅行社の説明会の時点でも、両国政府レベルでは運航継続を望んでいるけれど、 イラン航空の結論待ちという状況で、イラン航空の決定が先延ばしになる中、 旅行社はエミレーツ航空に手配を変更、燃料サーチャージなどで
旅行代金を8万6千円上げるというプランを10月中旬に提示して来ました。
もしもイラン航空が運航を取りやめなかったら、悔しい思いをすることになりそうですし、
結局、今回は一緒に申込んでいた友人とキャンセルすることに決めました。 ハッジ(メッカ巡礼)の時の機材不足が理由とも聞きましたが、真相は分らないまま、
イラン航空の撤退は見送られ、1ヶ月の不安定な状況の後、成田線は通常運行に戻っているようです。
出発半月前に予定が消え、気持の納まりが悪い秋でしたが、
気を取り直し、別の旅を探している中に、ユーフラテスの次はナイル!という思いが湧いて来て、
ベストシーズンと言われる冬のエジプトへE社のツアーで行くことに決めました。
「ギリシアの都市はギリシア文化に関心をもたない人には無縁だが、エジプトは一般の人をも魅了する
エキゾチシズムにあふれている。とくにヨーロッパ人の眼には異国情緒豊かに映るのは、
近現代の西欧人、そのうちで最も西欧的なイギリス人のエジプトへの関心の強さにも示されている。」と
塩野さん(「ローマ人の物語」\巻)が書いていますが、
年末年始にはTVでエジプトの特別番組が盛んに放映されていましたし、 イランと言うと、「イラン?いらんわ。」とか「中止になって良かった」という声が聞かれましたのに、
エジプトは行ったことがある旅仲間も多く、「羨ましい」という声にも見送られましたので、
日本でも幅広い年代層に人気のある国であることが感じられました。
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「最近は個人チェックインのため長い行列が出来ますから、なるべく早く受付カウンターへ」という
出発5日前のT添乗員さんからの電話案内を受け、自宅を午前9時前に出て、
いつもより1時間早く、出発3時間前に成田に到着しました。
エジプト航空は2・4・2列席と聞いていましたので、是非窓際の席をと願っていたのですが、
ハイシーズンで10団体以上集まったのではと思われる満席の機内は予め旅行社毎の席割が出来ていて、
大手旅行社が2列席を縦に占めている様子を横目に、4列席が割り振られてしまいました。
古代エジプトの天空神ホルスが尾翼やエンジンカバーに描かれたエジプト航空965便は、
定刻を20分ほど過ぎた14時45分に成田空港を離陸しました。
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エアバス340機は座席は古く、TV個人モニターもない旧式のままの機内でしたが、
2回の食事の他、おむすび、どらやきなどの軽食、飲み物をキャビンアテンダントが度々配って回り、
サービスは良い航空会社だと思いました。
アルコール類の機内サービスはありませんが、長いフライトを飲まなくては過ごせないという人には
機内持ち込みが許されているという寛大さもありました。
14時間のフライト後、25分程早く、現地時間21時45分にカイロ国際空港に到着しました。
現地ツアー手配会社のスタッフにパスポートに印紙を貼ってもらい(手数料込み25USドル)ビザを取得し、
両替などをしながら荷物が出て来るのを待ちました。
4年前の北アフリカ・ツアーで初めてエジプトを訪れた時、紙幣の余りの汚さに驚きましたので、
今回は100円ショップの財布を使い捨てにしようと準備万端だったのですが、
紙幣は新しくなり、硬貨まで発行されていて、ちょっと肩すかし気味となりました。
USドルがかなり通用すると聞いていましたので、両替は夫婦2人で5000円と少額にしましたが、
半年前には20円だった1エジプト・ポンドが17円という円高になっていてラッキーでした。
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朝起きてから24時間後、現地時間23時25分(日本時間午前6時25分)にホテルに到着しました。
カイロのランドマークの一つといわれるラムセス・ヒルトンはちょっと古めでしたが、
部屋の広さ、設備は充分なホテルでした。
満月の夜のナイル河やライトアップされたカイロ・タワーを部屋の窓から眺めた後、
入浴や翌日の支度をして、0時40分に就寝しました。
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