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11 Jan 2009
Giza〜Old Cairo
朝もや 中央の建物の上にクフ王ピラミッド

ギザのクフ王の大ピラミッドは午前と午後150名ずつに入場数が制限されているため、
「ホテルを7時15分に出発します。」ということで、フライトの疲れが・・・などという贅沢は許されず?
4時間余りの睡眠の後、5時起床、6時に朝食を取って、早々にエジプト観光が始まりました。

寒さによる朝もやで幻想的な色合いを見せる景色を車窓に見ながらナイルを渡り、
西岸のギザ(アラビア語で「渡る所」の意)に向かいましたが、高速道路を下り、
ギザ街道に入った所で大渋滞、カイロ中心から12kmの距離を1時間も要することになってしまいました。
    街道沿いの建物の間にピラミッドが見え隠れし始めた時は、4年前の感動はありませんでしたが、
再びピラミッドの地を訪れることが出来たうれしさが湧いて来るようでした。



8時20分過ぎにクフ王の大ピラミッドの入場券売り場に到着、無事にチケットを入手して、
逆光・・・と思いつつ、ピラミッドの全景写真を撮りながら、入口へ向かいました。
右側写真の人が出入りしている地上10mの入口は9世紀のカリフ、アル・マムーンが開けたもので、
その上に見える地上18mに位置する穴が創建当時の入口だそうです。

今回のツアーのスルーガイド、カイロ大学で日本語を学んだというナシュワさんの説明を聞いた後、
内部の写真撮影は禁止ということで、T添乗員さんにカメラを預け、ピラミッドの中に入りました。
狭い斜路を身体をかがめながら38m上り、さらに両側の壁が階段状にせり出した持ち送り積み構造の
大回廊を47m上ると、蓋のない石棺が置かれた王の間と呼ばれる玄室に着きました。
ピラミッドは石灰岩で作られていますが、この玄室の壁と石棺には赤い花崗岩が使われています。
この大きな石棺はアル・マムーンが盗掘に入った時点ですでに空っぽだったそうです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・追記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



大回廊の持ち送り積みの壁、石棺の大きさが分る1996年の内部写真が旅仲間のTSさんから届きました。
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吉村教授は王のミイラが発見されないので、クフ王ピラミッドを「魂の再生復活装置」と考えているようですが、
エジプト考古庁長官ザヒ・ハワス博士を始め、エジプトの考古学者は王墓であると主張、
小型ロボットやレーザーを使って、内部探索をするプロジェクトが進行中のようです。


少し骨の折れる上り下りで、ピラミッド内部には観光客の目を引くものはないことを確認した後、
エジプト考古庁が1954年にピラミッド南側の地下溝で発見し、
14年かけて復元した全長43mのレバノン杉製の船が展示された「太陽の船博物館」へ行きました。
亡くなったファラオの魂が天空を往来する時に使う太陽の船は、昼と夜用の2種類があると考えられていて、
1987年には第2の船を日本の調査隊が発見しているそうです。
発掘された時の溝、木片、ロープ、復刻に使った道具、模型などの展示物もありました。



見学時に付けた靴カバーにはちょっと笑えました。


次にギザの3大ピラミッドのパノラマポイントへバス移動しました。
BC2700年の古王国時代からおよそ900年間、中王国時代にかけて作られたピラミッドは、
現在118基が発見されているそうです。
BC2550年以降にクフ王(高さ137m)、カフラー王(高さ136.5m)、メンカウラー王(高さ66.5m)と3代の王によって
造られた3大ピラミッドはバランスのとれた美しい四角錐で、
ピラミッド建設技術を集大成した真正ピラミッドと呼ばれています。

観光客が集まるポイントでは油断は禁物であるのがエジプトです。
近付いてきたエジプト人にあっという間にスカーフをかけられ、2〜3枚シャッターを押してもらっただけで、
3ドル支払ったのは、間違いなく、カモられたということでしょう。
同じ場所で、希望者は4ドルでラクダに乗ることになりましたので、一度体験しておくことにしました。


心配気に見上げるラクダ 大丈夫です!

高さに少し不安を感じましたが、近辺を5分足らず歩く位なら、少し緊張気味ながら、
何の問題もなく、ラクダの上から写真を撮ることもできました。
ここでもチップ(バクシーシ?)を要求されましたが、ガイドに払ったというと、
案外あっさりと「OK、背中を後ろに倒して」と下してくれました。馬子ならぬ駱駝子も笑顔のようで・・・?


河岸神殿 スフィンクス
スフィンクスの視線の先は  →→→ Pizza Hat?

ギザ観光の最後にカフラー王時代にピラミッド複合施設として作られたといわれるスフィンクスを見に行きました。
アスワンから運ばれた花崗岩の大きな柱がある河岸神殿を抜けると
全長57m、高さ20mのスフィンクス全像が見られる回廊に出られました。
ネメス(頭巾)をかぶったカフラー王似とも言われる顔は、
アラブ人に鼻を削られ、あご髭を大英博物館へ持っていかれて、少し間が抜けた感じがしました。
胴体はライオンの形をしていて、前足の間には「私を砂塵から救い出してくれたら王にしてあげよう」という
トトメス4世(BC1420年頃)の夢を象徴した碑文が彫られているそうです。

民放TV的に言うと、スフィンクスはケンタッキーフライドチキンの上のピザハットを見つめているそうですが、
ちょうど旅行中、1月17日の朝日新聞に下記の記事が掲載されていました。
『胴体を分断するように大きな亀裂が走っていた。首から胸にかけて表面の岩がぼろぼろと崩れ、痛々しい。
現地の研究者は「気候変動や人口増加によって、この10年で急激に悪化した塩害が原因だ」とみている。』
ギザ周辺の都市化が進み、食料増産に向けて農地が拡大したことによって、地下水位に変動があり、
地下水によって溶かされた石灰岩内部の塩分が蒸発、再結晶化することにより、
岩の亀裂を広げ、崩しているという現象のようです。
首のあたりが原形より1mほども小さくなっているのでは、というスフィンクス保護に向けた対策を、
世界の研究者に向けて呼びかけることが緊急課題のようです。


両手にピラミッド? 記念撮影定番スポット

4年前にはピラミッドの写真だけ撮ってアレクサンドリアへ向かった無念を晴らしたギザ台地での3時間の後、
11時半にレストラン「PEACE」へ行き、ランチ・タイムとなりました。

アエーシ(パン) イカ・スズキ・エビ クナファ(菓子) パン焼き

アエーシの上に写っているのがゴマやナスのペースト、赤カブ、キャベツなどのエジプト・サラダで、
薄味(無味?)のスープと写真の海鮮料理をメインにいただきました。

エジプトでは空港でもレストランでもトイレ・チップを要求されることが多いことに面倒臭さを感じましたが、
この時はトイレ前に座ったチップおばさんから、100円をエジプト・ポンドかドルに変えてほしいと頼まれ、
びっくりでした。円払いの日本人がいたのですね。
レストランを出る時、パン焼き窯の前の3人の女性に思わずカメラを向けてしまい、
失敗した?と思った時には、パンを放り投げる芸当まで見せてくれ・・・。
いくらチップを渡せば良いか分らないまま、外で待っていた夫に小額ポンドをもらいに行ったのですが、
「手元にない」と言われ、この時は振り逃げして、バスに乗ってしまい、
後から来たツアー仲間に「怒ってたわよ。」と言われてしまいました。
やっぱり1ドル位、置いてくれば良かったと思いつつ、T添乗員さんにこういう場合の相場を尋ねると、
「1ポンド(トイレ・チップと同じ17円)位でいいんじゃないですか。」とのことでした。
イスラム圏の国での写真撮影は注意が必要だとガイドブックなどにも書かれていますが、
エジプトでは宗教とは別問題で要注意であることを早々に体験しました。



 
バビロン砦? コプト博物館
マーカス・シーマイカ・パシャ像 博物館入口

午後はカイロ発祥の地であるオールド・カイロ地区へいきました。
ガイドのナシュワさんは「4世紀のローマ皇帝トライアヌス時代の城壁」と言い(トライアヌスは2世紀初めです・・・・。)
ガイドブックには「ローマ時代のバビロン砦」と記す遺跡の上に、
キリスト教徒、後にはアラブ人が建設した地区をオールド・カイロと呼ぶようです。
この辺りをバビロンとも呼ぶのはバーブ・エル・オン(アラビア語で「オン(ヘリオポリス)につながる門」)が
詰まったものだと言われています。

写真撮影禁止ということで受付けにカメラを預け、設立者マーカス・シーマイカ・パシャ像の前を通って、
コプト博物館に入りました。
ギリシア語のアイギュプトス(エジプト人)に由来するといわれるコプトは、
聖マルコがキリスト教を伝えたと言われる1世紀から信仰を守るエジプトのキリスト教徒のことで、
現在でもエジプト人の1割がコプト教徒だと言われています。
キリスト教徒を大虐殺したローマ皇帝ディオクレティアヌスの記憶を残すために、
皇帝即位の年、284年を元年と定めた独自の暦を持つコプトは、
キリストの神性のみを認める単性派であるため、異端として長い抑圧の歴史を歩んだようですが、
古代エジプト、グレコローマン時代の芸術を受け継いだコプトの文化遺産は、
美術的にも高い評価を得ているそうです。
フレスコ画、ステラ(墓碑石板)、工芸品、コプト織、コプト語聖書などを
大邸宅であった博物館の建物の美しさと共に鑑賞した1時間でした。



ヘロデ王から逃れてきたイエス達、聖家族が滞在したと言われるオールド・カイロには、
それにまつわる教会がいくつかあるようですが、そのひとつ、聖セルギウス教会へ行きました。
シリアで殉教したセルギウスとバッカスに捧げるために5Cに建てられたこの教会は、
ファーティマ朝時代に再建されたそうですが、教会とは見えない建物の中に入ると、
バシリカ式の礼拝堂や奥にイエスと聖母マリアが身を隠していたといわれる地下室へ通じる階段があり、
観光客が熱心に下を覗き込んでいました。
(教会内は撮影禁止でしたので、地下室の様子はポストカードの転載です。)


ベン・エズラ・シナゴーグ

聖セルギウス教会を出て、ほど近くのベン・エズラ・シナゴーグにも寄りました。
ガザ地区でイスラエル軍が戦争中でもあり、シナゴーグへ入れるの?と心配しましたが、
入口の荷物チェックも形式的で、観光的に開放されているシナゴーグのようでした。
キリスト教会の跡地に建てられたエジプト最古のユダヤ教会は (内部写真はポストカードより転載)、
ローマ軍に破壊された後、1115年にエルサレムから来た司祭ベン・エズラによって再建され、
19世紀の修復時にユダヤ人の生活を伝える貴重な史料「ゲニザ文書」が25万枚以上も発見されたそうです。



20分ほどの自由時間にT添乗員さんが通って来た道を戻って、別の教会を案内して下さいました。
左の教会はコプトのお墓が並んでいる一角にあり、確かイエスの父ヨセフにまつわる話があった教会ですが、
教会名は失念してしまいました。
右側はコプト博物館の隣で大きなドームが目立っていた聖ジョージ教会です。
立派な内部装飾を駆け足で見て回りました。



4時前にホテルへ戻り、ゆっくり休憩した後、6時半にロビーに集合してナイル河沿いのレストラン、
「THE PLACE」へ夕食に行きました。
前菜サラダ、野菜スープ、仔牛カツ・スパゲッティ添え、プリンという、ちょっと無国籍風メニューでした。


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