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15 Jan 2009
Edfu〜Luxor
ナイル河の夜明け

6時40分過ぎ、船を降りて観光に出発しようとした頃、ちょうど太陽がナイル河に昇って来ました。
エドフ西岸の港から10分ほど馬車に乗ってホルス神殿へ向った時、
私達はガイド&添乗員さんの馬車でしたので何事もなかったのですが、同じ頃、エジプトを旅した旅仲間から
「行き帰りの馬車が曲者で何かと理屈をつけてチップを要求され不快でした。」と届いたメールと同様に、
他の馬車ではT添乗員さんが駆けつける場面があった様子です。


誕生殿

上エジプトの州都として栄え、グレコローマン時代にはアポリノポリス・マグナと呼ばれたエドフには、
古くからホルス神を祀る至聖所があり、時代毎に神殿が建造されたようですが、
エジプト国内で最も保存状態が良い遺跡のひとつと言われる現在見られるホルス神殿は、
BC237年から2世紀にわたって造られたもので、周辺からは古代の町や墓が発掘されているそうです。
最初に誕生殿に寄り、出産の守護神ベス、ナイル河のハピ神、イシス神の乳を飲むホルス神などのレリーフや
迫害から逃れたキリスト教徒が生活していたため黒く煤けてしまった内部を見学しました。



塔門

王がホルス神とハトホル女神にいけにえを捧げる大きなレリーフが彫られた塔門は幅90m高さ36mあり、
カルナック神殿に次ぐ規模を持ち、完成度は最高だと言われています。
入口両脇に置かれた大きな花崗岩製の一対のホルス神像の足元にはプトレマイオス8世が彫られていました。



第一列柱室

第一列柱室の入口には上下エジプトの統一を象徴する二重王冠をかぶったホルス神像が置かれていましたが、
一対の右側の像は地面に倒れたままでした。



列柱には様々な神のレリーフが彫られ、違った装飾が施された柱頭彫刻や天井には彩色が残っていました。
列柱室の周りは小さな部屋に分かれ、図書室や宝物庫などとして使われていたそうですが、
香水の作り方を壁一面にレリーフで表した部屋もありました。
クレオパトラと名付けられた香水もあるそうです。



至聖所においてあったレバノン杉製の神輿はレプリカで、本物はベルリンの博物館にあるそうです。
至聖所には神官以外は入ることができなかったため、右側写真の台の上に神輿を置いて、
壁の外からも見えるようにして収穫のお祭りが行われたということでした。


様々な姿に化身したホルス神像

ナシュワさんのガイドが終わった後フリータイムに、神殿外側の回廊に彫られたレリーフについて
T添乗員さんが説明して下さいました。
左写真の空白の楕円形の中にはクレオパトラの名前が彫られる筈だったそうで、
クレオパトラ7世で終わってしまったプトレマイオス朝の歴史の証人のようなカルトゥーシュでした。
右側は動物で表したセト神をやっつけているホルス神で、同じテーマを違うモティーフで描いたレリーフが、
長い回廊の壁面いっぱいに繰り返し彫られていました。


誕生殿正面 彩色が残る授乳するイシス女神のレリーフ

ホルス神殿での1時間の観光が終わった後、8時20分ごろ再び馬車に乗り、
活気が出始めた町の様子を見ながら、8時40分にモヒト号へ戻りました。



 

おしぼりとハイビスカス・ティーで迎えてくれたモヒト号は、
私達を待っていたように、10分後にはルクソールへ向けてエドフを出航しました。


船室からの風景

クルーズの醍醐味をたっぷりと味わう1日が始まりましたが、9時過ぎに部屋へ戻って、最初の仕事は・・・・。
実はホルス神殿でレリーフの写真をゆっくり撮っている中に集合時間に遅れそうになり、
小走りで馬車に戻っている途中、でこぼこした道に足を取られ、左足をひねってしまったのです。
腫れた足首に消炎剤を塗ってから、足を投げ出して外の景色をゆっくり観る場所を作ることから、
朝のクルーズが始まりました。
カメラと双眼鏡、本を側に置いて、持ってきたこぶ茶とおせんべいのティー・ブレイクを入れながら、
2時間半余り、変わって行くナイル河の風景を堪能して過ごしました。
7000年間エジプトの生活を支えて来た悠久のナイルの流れは見飽きることがありませんでした。
幸い、捻挫の方も歩くことに支障がでる程ではなく、ほっと一息・・・でした。



11時40分過ぎにエスナの町に入り、アスワン−ルクソール間で唯一の水門を通過することになりましたので、
屋上デッキへ見物に行きました。
狭い水門に船を誘導する作業、カーペットを敷いて1人でお昼のお祈りを始めた作業員、
デッキ先頭で見物をする私達をビデオに撮る人(船のラウンジの一画で船内の様子を流していましたので、
CDディスクに入れて販売していたのかもしれません。)などをただのんびりと眺めた時間でした。



左の写真から右地点までに要した時間が20分間、船の動きは本当にゆっくりでした。
気温27℃の中、1時間余り立ったままの背中に照りつける太陽が暑過ぎて、船が水門先端に到着した所で、
部屋に戻りましたが、ノックしてもドアーが開かなかったため、少し早目でしたが、レストランへ行きました。


スタッフが待機するレストラン 前菜コーナー
メイン・ディッシュ・コーナー 生なつめやし・グァバ・柿・オレンジ・バナナ

1時過ぎ、船客が集まり始めた頃、水門を通過、窓の外がコンクリート壁から、河の景色に変わりました。
この水門は7mの水位があるそうです。
この日、牛と鶏の肉料理の中に初めて登場した鳩のグリルは少し野性味があって美味しかったですが、
写真を撮り忘れ、拝借した隣の方のプレートはシーフードが中心でした。
フレッシュなつめやし、グァバ、カラスウリのような形の柿など珍しい果物が並んでいましたが、
美味しさは今一つのようでした。

昼食後は昨夜のガラベーヤを船内ショップへ返しに行って、数人のツアーメイトと買物を楽しみ、
私は孫達にハロウィン・パーティ用?のガラベーヤと大人用のTシャツを数枚買いました。


 
エジプシャン・ポーズ?

提示されたドル価格をわざと「ポンドで?」などとサポートのT添乗員さんが店員さんをからかったり、
狭い店内でサイズ探しなどてんやわんやしながら、各自、納得のものを手頃価格で手に入れた様子でした。


サッカーをする子供達 さとうきび畑

4時から屋上デッキでお茶のサービスが始まりました。
コーヒーとクッキーをいただきながら、丸く椅子を並べて、ツアー・メイトとおしゃべりに興じていると、
まもなくルクソールの街が見えてきました。


ルクソール西岸 ルクソール東岸

いよいよルクソール・・・!と少しハイテンションで写真を撮っていて、又もや、足を捻ってしまいましたが、
そんなことには構っていられない?景色でした。
希望者は下船して、T添乗員さんがルクソール博物館へ案内して下さることになりましたが、
ポンドの手持ちがなく、思案していると、沢山両替されたというNさんが円と交換して下さいました。
入館料は80ポンドと日本並み価格で、エジプトでは物価に比して、この種の料金が高いと思いました。

ルクソール博物館

1975年開館のルクソール博物館はほど良い規模で、展示法も工夫されていて、
ルクソールの神殿や墓から発掘された第18王朝の出土品を中心とした展示品をゆっくり鑑賞することが出来ました。
持って来ていた履き替え用の靴が足首をうまく包み込んでくれ、1時間余り問題なく歩くことも出来て、
満ち足りた気分で部屋へ戻ると、「ゆっくりしたいから」と博物館をパスした夫が、
「鍵がなかったから夕日を見に外へ出ることも出来なかった」と不機嫌な顔で待っていました。
昼間は私が部屋へ戻れず、カードキーが一枚しか渡されないのが不便なモヒト号でした。



ツアー・メイトもベリーダンス!

7時40分ごろからタブラ(太鼓)ラバーバ(弦楽器)などエジプトの伝統楽器の伴奏で、
少し太めダンサーのベリーダンス・ショーが行われました。
ダンサーの誘いに応じて、最初にステージに上がったのはノリの良さ抜群の我がツアー・メイト達でした。
次に行われたスーフィーダンスは、イスラム神秘主義者スーフィーの修行のひとつ、
旋舞をステージ化したものらしいですが、15分間回り続けながら、重ねたスカートを外していくショーは、
とても見応えのあるものでした。

クルーズ船のお楽しみが終わって、8時半から遅めの夕食となりました。
少しずつバリエーションはあるものの、ビュッフェ料理には飽き始めて来ましたが、
この頃には懸念していたお腹を壊す不安も薄らいで来て、生野菜も食べられるようになりました。
暑い夏と違って水を飲み過ぎないせいか、今回はお腹を壊した人はいなかったようです。


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