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22 Sept 2009
Narita〜Helsinki〜Praha



W航空の月刊誌「旅のひろば」5月号の掲載記事の中に
特別チャーター・クルーズ「秋色に染まるドナウ・マイン・ライン河の船旅」という企画を見つけ、
実に簡単に、あっという間に2009年秋のツアーを決めてしまいました。

パッサウからストラスブールまで3つの河を辿るクルーズ・コースには興味深いものがありますし、
何より3年前にブダペストからパッサウまで上ったドナウ・クルーズとの連続性がうれしく、
又、ヨーロッパ線の中では最短距離を取り、飛行時間が短縮されるフィンランド航空利用も魅力的でした。
狭い船室など若干の不安も「もっと狭い列車の客室でもすぐ慣れた」とか
「行かないと後悔する企画ですよ」と旅仲間からのエールも受け、思い切ることにしました。

クルーズ前にチェコ・ボヘミア地方にも寄る14日間コースを選んだ話を聞いた学生時代からの友人Y夫妻も
チェスキー・クルムロフとドイツの2語に‘行ってみたいスイッチ’が入ったようで、参加することになりました。
立ち寄る街、歴史など調べる中に植物系ボランティアに携わる私にとって見逃せない地域であることも判明し、
ツアー選択が正しかったことを確信しつつ、Y夫妻とも情報を交換しながら過ごした旅前の4か月でした。



比較的早い午前9時55分という出発便で、通常より30分ほどゆっくり目の8時20分集合でしたが、
5時前に起床しなければならない朝の早い旅のスタートとなりました。
6時前の電車で上野に向かい、京成スカイライナーで8時前に成田に到着しました。
‘シルバーウィーク’終盤の9月22日の割には成田空港は混雑し、
個人チェックインに長い行列が出来てしまい、時間的にはあまり余裕なく搭乗ゲートへ向かいましたが、
ヘルシンキからの到着便の遅れで、結局は30分ほど遅く、10時半に成田を出発しました。

フィンランド航空のエアバス340機は、設備は新しく、2・4・2列席で座席間隔も心持ち広めに感じられ、
機内の快適度は高い方だと思われました。
成田から札幌上空へ抜け、シベリアの北端あたりを飛ぶルート・マップをモニターで確認しながら、
飽きることもなく窓の外を眺めて過ごしました。



ロシア上空は雲で覆われていることが多かったのですが、フィンランドに近付いて行くにつれ、
地形が分かる半島が見えたり、森と湖の多い北方の国の様子が見られるようになりました。
針葉樹林が多いせいか紅葉はほとんど見られないようでした。



2度の機内食は「こんなものでしょう・・・」という所でしょうか、熱々で供される所は長所と言えそうです。
無理やり和食の?鶏の照り焼きよりはトマト・パスタの方が良かったと思います。

7835kmを10時間弱で飛行、30分の遅れを取り戻し、
現地時間午後2時15分の定刻にヘルシンキ・ヴァンター空港に到着しました。
空港ではかなり厳重な入国審査、荷物チェックが行われた為、
2時間余りの乗継時間はムーミン・ショップなどを覗いている中にすぐに経ってしまいました。

再びフィンランド航空のエアバス320機でプラハへ向かい、2時間余りのフライトで、
夕方6時にプラハ・ルズィニエ空港に降り立ちました。
95年の中欧ツアーでチェコに立ち寄った時はビザが必要で、物々しさすら感じる空気がありましたが、
今回は普通のヨーロッパの国へ来たという印象での入国となりました。



空港からプラハ市内まで18kmバスを走らせて、7時半に14年前と同じホテル・ヒルトン・プラハに到着しました。
O添乗員さんがまとめてチェックインしている時間を利用して、
翌日のフリータイムの効率アップのためにレセプション・カウンターでチェコ・コルナに換金しましたが、
まだ部屋番号が分らないというと、パスポートのコピーを取ったりする手続きの慎重さに、
90年代以前の社会習慣を感じたというのは穿ち過ぎでしょうか。
O添乗員さんもチェックインに他のホテルにはない手間取りがあったようです。

今回もプラハの旧市街に泊まる!という願望は果たせませんでしたが、
前回泊まった時の唯一の記憶、最上階まで吹き抜けになった広い大理石のホールに面した部屋に入ると
室内は思っていたより快適そうで、少しほっとしました。
2002年の大洪水で浸水した後、大幅な改装をしたらしく、部屋の内装も変わったのかもしれません。

最近はツアー初日は零時を過ぎて就寝という旅が続いていましたから、
9時半に寝られることがとても有り難く、ほぼ丸一日の長旅の疲れも、
フィンランド航空のお陰で、随分軽減されたようでした。


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