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12時40分頃アシャッフェンブルクに到着、ウィリギス橋を渡る車窓から見えたヨハニスブルク城の中の
レストランでランチをいただきました。
野菜サラダと七面鳥ライス添え、アップルキュヒラー(揚げりんご)とアイスクリームというメニューでした。
至ってシンプルな内容の写真を見ていて、昼、夜ともに必ずついていたデザートが、
おいしいけれども食べ過ぎにならないかと心配の元になっていたということに気付きました。
それなりに調整していた私は勿論、毎回ビールやワインと共に完食し、体重を2キロ増やして帰って来た夫も
帰国後の不思議は、体脂肪率がかなり下がっていたことでした。
これは「知らない土地へ行き、おいしいものを食べると、心がうきうきする。知らない景色をみて感動する。
副交感神経が刺激され、血管が拡張し、循環がよくなり、血圧が下がる。免疫力だって上がる。」
と医師・鎌田實さんがブログで書いていらっしゃることと大いに関係がありそうです。
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ガイド&添乗員さんミーティング |
昼食後、レストランの窓から見えたイチョウの木の前で写真を撮っていると、近くにいらしたSMさんが、
「銀杏はGinkyoを間違えてGinkgoと表記したのがそのまま学名に使われたそうですね。」と教えて下さいました。
帰国後調べて見ると、ヨーロッパにイチョウが広まったきっかけには諸説あるようですが、
ドイツの博物学者・医者であったケンペル(1651-1716)が1690年から2年間来日した後、
オランダへイチョウの種を持ち帰り、ユトレヒトに植えたという説がかなり支持されているようです。
Ginkgo Bilobaという学名は、銀杏の音を聞いたままに付けられたのが Ginkgoで、
こちらも誤記説、kgo=kyoと発音するなど意見が分かれていますが、
BilobaのBiは2つ、lobaは葉っぱで、イチョウの葉の形状に因んでいるようです。
7つの班のコースなどの打ち合わせが行われた後、2時半過ぎに街散策に出掛けました。
それ程、広くない街で、他の班とかち合ってしまう場面がなかったお見事なコース分けでした。
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聖母マリア教会 |
市庁舎 |
歩き始めてまもなく、今回の旅で初めて小雨が降り、傘を取り出しましたが、それもほんの10分程のことで、
最初に入った1200年代の聖母マリア教会の見学を終えて外へ出た頃にはもう雨は止んでいました。
30年戦争後プロテスタントになったアシャッフェンブルクは、現在は人口69000人の9割がカトリックだそうで、
第2次世界大戦で天井が崩れ落ちたという聖母マリア教会もきれいに再建されていました。
市庁舎の屋根の軒天や民家の壁に人の顔や悪魔の魔除けが取り付けられていました。
顔のマークのついた家はかっては高位の人々の遊び場所を示していたとも言われています。
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10世紀建造のシュティフト教会(修道院聖堂)に入り、バロックの主祭壇、聖マルガリータの聖遺物櫃や
オーク材のピエタのある教会内部、ロマネスク回廊の修道院などを見学しました。
この街生まれの宮廷画家グリューネヴァルト(1470-1528)のキリストの絵は見逃してしまったようですが、
10年前にコルマールのウンタ-リンデン美術館で見た「イーゼンハイム祭壇画」が、
グリューネヴァルトによるものであることを思い出して、旅のつながりをうれしく思いました。
教会の前に立っている2人の像は、左側はペテロだとすぐに分りましたが、
「右は誰ですか?」と尋ねると、「この街ではあまり好かれていない教皇アレクサンドル6世です。」と
少し複雑な表情のガイドさんでした。毒殺で有名なボルジア家のドンですから、さもありなんですが、
500年前が今もそのまま息づいている所が正にヨーロッパだと思われました。
息子のチェーザレ・ボルジア共々、ボルジア家の評価は歴史家によって分かれる所のようです。
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2011年に取り壊しが決まっている18C建造のピンクのかわいい木造劇場や、
12Cの塔を見ながら、再びヨハニスブルク城へ戻りました。
マインツ司教圏にあり、神聖ローマ帝国の重要都市であったアシャッフェンブルクに築かれた
ヨハニスブルク城は17Cに拡大し、アルプス以北のルネサンス建築の最大傑作と賞され、
現在は州立博物館となっています。砂岩の赤い色と4つの大きな塔が印象的な均整のとれたお城でした。
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ヨハニスブルク城のテラスからマイン川を見ると、
ルードヴィッヒ1世がポンペイで発掘された遺跡をイメージして作ったといわれるポンペイハウスが遠望出来、
歴代皇帝達にも愛された街であった様子が垣間見られました
しばらくするとヴェルトハイムからアシャッフェンベルクまで131kmを下って来たフランス号が姿を見せました。
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ヨハニスブルク城 |
シュロス・ガーデン |
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イエズス会芸術ホール |
シティ・ホール |
ヨハニスブルク城広場へ戻り、のんびり周辺の写真を撮りながら20分ほどのフリータイムを過ごした後、
2時間の観光を終え、4時半過ぎにバスでフランス号へ戻りました。
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船はヨハニスブルク城が見える所に停泊していましたので、ひと休みした後、川沿いの道を散歩してみました。
船から、河岸から、様々な景色を楽しめるのがクルーズの醍醐味と言えそうです。
7時からの夕食はクロワジー社が昨年よりエジプト・紅海クルーズを始めたことを記念して
エジプシャン・スタイルで行われました。
モロヘイヤ・スープ?カバブ?という予想は外れ、
アボガド・サラダ、肉と野菜炒め、ピラミッド型ケーキというメニューで、
今年1月にエジプトで食べたものとも様子の違うエジプシャン・メニューでしたが、
変わった趣向を楽しんだ夜でした。
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