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3 Oct 2009
Rhein~Strasbourg

好天に恵まれた7泊8日のクルーズもいよいよ最終日を迎えました。
マインツからケルンまでのライン中部地方はライン河が山地の間をカーブしながら流れ、
両岸に続く古城やブドウ畑が美しい景観を見せて、ドイツを代表する観光地となっていますが、
私達のフランス号はマインツから上り航路に入りましたので、
今までと余り変わらない平野に囲まれた穏やかな景色が続いて行きました。


8時からの朝食が終わった後、ゆっくりと取り掛かった荷造りも10時半にはすっかり終わり、
屋上デッキやラウンジでのんびりとクルージングの終わりを楽しみました。
多くの人達の姿が船室の外に見られるようになった11時半から30分間ほど、
「旅はドラマチック」というA添乗員さんによるトークショーが開かれました。
新人の頃の失敗や苦労話、ベテラン添乗員になっても引っ掛ることがある巧妙な換金詐欺、
9・11のニューヨークに居合わせた体験談など旅にまつわるお話は無尽蔵のようでした。



行き交う船の数やドックの規模に国際河川らしさを感じるライン河航行では、
ドックの中で隣合わせた観光船の乗客と手を振り合って束の間の交流を楽しむ一幕も見られました。



船内最後のランチ・メニューは野菜スープ、骨付きカモ肉のロースト、ロールビスケットケーキでした。



ランチ5回、ディナー7回というのがフランス号での食事回数でしたが、
ランチ毎に夫はビール、ディナー毎に夫婦2組でワイン1本をシェアした他、ミネラルウォーターを数本買って、
合計100ユーロ、14000円ほどで済んだエコ(ノミー)・クルーズ旅となり、
「飲み過ぎて川に落ちないように」という先輩からの2組夫婦への忠告も不要な大人しい飲み方となりました。
予め購入したドリンク・カードの数字を飲み物がテーブルへ届けられた時に消していくシステムですが、
私達の「ハーフ&ハーフ」という意味をすぐに理解したクルー・スタッフによって間違いなく計算されました。



ヤドリギをつけたポプラの木、川辺で白鳥やカモ達と日光浴をしている人達など、のんびりとした河景色が、
最後まで目を楽しませてくれました。


2時にストラスブールに到着する予定でしたが、水位の低下で運行が大幅に遅れたため、
予定港の20km手前のガンプスハイムで下船し、バスでストラスブールへ向かうことになりました。
O添乗員さんはバスの手配変更などでランチを食べ損ね、
クルー達は制服姿ではなく普段着でお見送りと、ちょっと慌ただしい下船風景となりましたが、
パッサウから1160kmという長いクルーズが無事に幕を下して、安堵感の漂うフランス号でした。
(ストラスブールに到着すると、すぐにアムステルダムへ向けて次のクルージングに入るそうです。)





                   
2時半過ぎにガンプスハイムを出発したバスは40分程でストラスブールに到着し、
防塞の役目を果たしていた3つの塔を持つ旧市街入口のクヴェール橋から街歩きを始めました。

ケルト人の集落アルゲントラーテ(水の要塞)に始まり、古代ローマ時代にはアルゲントラートゥムと呼ばれ、
軍の駐屯地が築かれたストラス(大通り)ブール(城塞都市)は、
ライン河の水路とヨーロッパを横断する陸路の中心地点に位置する地の利を得て大いに発展しますが、
正にその利点によって、歴史に翻弄されることになったアルザス地方の中心都市です。
ドイツになったり、フランスになったり、2重の文化を持つこの地方のお話はドーデー「最後の授業」で有名です。

ライン河支流イル川の中洲に築かれたストラスブールの街はライン河本流から14kmほど内陸に位置し、
旧市街は1988年に世界文化遺産に指定され、現在は月に一度、EUの欧州会議が開かれる国際都市です。



13Cに木造で造られた時には屋根に覆われていたことに名前が由来、19Cに石造りで再建された
クヴェール(屋根付き)橋のたもとから木骨組みの家が立ち並ぶプティット・フランスへ下りて行きました。
皮なめし工や漁師たちが住んでいた一帯は、20Cに入って整備された観光スポットで、
皮の乾燥用の大きな通気口を持つ屋根が当時の家屋の特徴を留めていました。



旧皮なめし業者ツンフト(同業者組合)会館の前で、運河に入って来た遊覧船を見物していると、
奥に見える橋はゆっくりと跳ね上げられて、一時通行止めにされていました。
写真だけ撮って焼き栗の車は素通りしたのですが、素通りしなかった方から熱々の栗が回って来て、
1個賞味させていただきながら、入り組んだ路を歩いてノートルダム大聖堂へ向かいました。
途中、「犬の落し物に気を付けて」と声がかかる所にフランスへ入ったことを実感させられました。

聖トーマ教会 グーテンベルク像

大聖堂へ向かう道に宗教改革の時にプロテスタントの拠点となった聖トーマ教会がありました。
1778年10月に22歳のモーツアルトが3週間ほどこの街に滞在した時、華美なロココ様式を見なれた眼には
ストラスブールのゴシック様式は貧相に映り、演奏会もあまり成功しなかったと言われていますが、
聖トーマ教会のパイプオルガンの音色は絶賛したと伝えられています。

少し先のグーテンベルク広場に立つ彫像は発明400周年記念として1840年に造られたものですが、
活版印刷の発明がグーテンベルクが1434年から10年間、ストラスブールに滞在した時のことだったのか、
マインツへ戻って以降のことだったのかは、いまだ議論が分かれ、結論が出されていないようです。



グーテンベルク広場から大通りを渡ると、一本だけの尖塔がユニークなノートルダム大聖堂が姿を見せました。

ケルトの聖域にアルボガスト司教が6Cに築いた聖堂を基に、ヴェルナー司教が1015年から10数年かけて
ロマネクク教会を建造、その後、幾度もの火災に遭いながら、1439年に完成したノートルダム大聖堂は
142mの尖塔、繊細な彫刻、バラ窓などライン地域の建築家の技術の粋を集めた数々の傑作で飾られ、
ストラスブールのシンボルとして堂々とした存在感を見せていました。


 
正面ファサードの彫刻 「キリストの受難」「思慮に欠ける娘達」

後陣 天文時計

聖堂内に入って13~4Cの直径13mのバラ窓やロマネスク時代のアーチが残る後陣、16Cの天文時計など
主要箇所をみながら一巡した後、展望テラスへ上りたいと思い、案内窓口で上り口を尋ねると、
「330段あるよ」ということで、ブーツの足元を見ながら少し迷いましたが、
ゲーテを始め、スタンダール、バルザック、ユゴー、デュマなど数多くの文学者や著名人を魅了した眺望を
是非とも見ておかなければと頑張って上ることに決めました。



大聖堂の南側にある入口では30分毎に入場制限をしていて、少し並んで待った後、4時半に入場券を買い、
人一人が通れるだけの狭いらせん階段を、時々息を整えながら上っていきました。
見上げていたフライングバットレス(飛梁)を途中のすかし彫りの壁を通して見下ろすと、
ゴシック建築を支えている実用性と共に造形性の美しさも兼ね備えている様子がよく分かりました。



たどり着いた地上66mの平屋根展望台からは、東方遠くにドイツのシュヴァルツヴァルト(黒い森)、
手前にアルザス平野に広がる市街地、そして真下に観光客で賑わう大聖堂広場が見え、
ストラスブールが紡いで来た歴史を感じる上り甲斐のあった眺望が広がっていました。
パノラマを堪能して一息入れた後、上下一方通行で北側の下り用の階段から大聖堂の下へ降りました。



5時過ぎに大聖堂を出て、 グーテンベルク広場の古本市や車依存社会から脱却するためにストラスブールが
先駆的に導入したモダンなトラムが違和感なく調和している旧市街を歩いて、
孫達へのお土産のセーターを買ったりしながら、ホテルへ向かいました。



‘メゾン・ルージュ’という名前の通り、調度品が赤に統一されたホテルにチェックインした後、
隣接するデパート‘ギャラリー・ラファイエット’へお土産の買物に行きました。
土曜日の夕方で混雑した店内で、気付かずに買ってしまったイギリスやスイス・メイドのお土産菓子は、
EU圏ということでお目こぼししてもらうことに(勝手に)決め込みました。


  
イスラム圏より断然人気の高いEU圏の家族土産


グーテンベルク広場のメリーゴーランド
Hotel Maison Rouge

6時45分にホテル・ロビーに集合して、大聖堂広場に面するレストランへ夕食に行きました。
歩いて行けるロケーションがうれしい所です。


10分足らずで到着すると、夕陽を受けた大聖堂の尖塔が息を呑むような美しい色を見せていました。
最後のディナーが用意された‘Maison Kammerzell’の黒い建物と赤い砂岩の大聖堂が見せる
素敵なコンビネーション写真を物する時間とカメラ精度と腕が足りなかったのが残念です。

カメルツェル館は1589年に建築した当時に流行していたと言われる木彫り装飾の外壁を持ち、
19C末に修復されたそうですが、屋内の狭い階段などに歴史を感じる建物でした。



                     -YE-

細やかな気配りでツアーを支えて下さったO添乗員さんの丁寧なご挨拶の後、
旅行社サービスのアルザスワインで乾杯をして夕食が始まりました。




玉ねぎのタルト、コック・オ・ヴァン(鶏のワイン煮)アルザス風麺添え、クグロフ型アイスクリームという
郷土料理が並んだ最後の晩餐でした。

旅の終りの満ち足りた気分と共にホテルへ歩いて帰る途中、街の古い建物の上に見えた14夜の月が、
2週間という旅の時間を改めて実感させてくれました。


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