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25 Sept 2009 |
Český Krumlov |
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ホテル・ベルビュー |
チェスキー・クルムロフの一日は幸いにも下り坂に向かうという予報が外れ、良いお天気に恵まれました。
7時からゆっくりと朝食を取った後、早速、朝の散歩に出掛けました。
3階の左から2番目の部屋から顔を出して、「どうせ後から行くんだから」と夫は不精を決め込んでいます。
チェスキー(チェコの)・クルムロフ(ねじれた川辺の草地)は、
逆S字状に流れるヴルタヴァ川に沿って、13Cから地元の貴族によって建設された街で、
中世以来の美しさをそのまま残した街並みが1992年に世界遺産に登録されています。
地図の右上‘H’がホテル・ベルビュー、その右手、‘く’の字に曲がっている道がラトラーン通りで、
‘く’の字の頭の部分にブディヨヴィツェ門があります。
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ラトラーンの渡り廊下 |
ブディヨヴィツェ門 |
ラトラーン通りの渡り廊下とブディヨヴィツェ門の間を中心に30分ほど散策しました。
渡り廊下は王家の居城と修道院教会をつなぐ16C後半に作られた道路横断用の廊下で、
ブディヨヴィツェ門はチェスキー・クルムロフにもともとは9つあった中、唯一残っている要塞門です。
ブディヨヴィツェ門の街の内側に面した外壁はルネサンス様式で飾られた4つの窓や日時計が
‘住民に向かって笑顔をみせている’と言われています。
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ブディヨヴィツェ門 |
クルムロフ城 |
内側に対して、ブディヨヴィツェ門の外側は銃眼付きの胸壁があり、塔屋根も鋭い線を見せています。
今は緑に包まれているクルムロフ城ですが、かってはヴルタヴァ川の岩場の上の城壁に囲まれて、
もっと厳めしい姿をみせていたのだろうと思われます。
8時過ぎの街は開店の準備をするお店や出勤、散歩の人達で活気が出始めていました。
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9時にホテルを出発して、ガイドのシャーカさんとクルムロフ観光に向かいました。
最初にシュヴァルツェンベルク家の‘カラスとトルコ人’の紋章がついた‘赤い門’から
クルムロフ城の第1中庭に入りました。
フラーデックと呼ばれる塔と砦は城内で最も古い部分に立ち、
現在見られるような美しいルネサンス様式の装飾に改装されたのは1580年頃で、
プラハ城に次いでチェコ2番目の規模を持つというクルムロフ城の景観の要となっています。
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ロジェンベルク家 エッゲンベルク家 シュヴァルツェンベルク家
13C初めのヴィーテク家に始まったクルムロフ城は、14Cに親族であったロジェンベルク家に譲られた後、
16C後半のヴィレームの時代に最盛期を迎えますが、17C初頭にハプスブルク家のルドルフ2世に売却され、
再びエッゲンベルク家が買い戻すという時代を経て、18Cにはシュヴァルツェンベルク家が統治、
ルネサンス、バロック、ロココと様式を重ね、融合しながら、現在見られる姿となって行ったそうです。
第2次世界大戦で被害を受けなかったクルムロフ城は、1947年以来、国の管轄となっています。
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熊の堀 |
第2中庭 |
第2中庭へ通じる橋の下の堀には18C初期から熊が飼われているそうで、
今もケイト、ロック、マリア・テレジアと名付けられた3頭がのんびり昼寝をしたり、餌をもらったりしていました。
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右側が旧造幣局 |
第3中庭 |
第2中庭に面して建つ旧造幣局は現在は入場券売り場や両替所になっています。
建物の壁を装飾しているのは、16C中頃にイタリア人芸術家が持ち込み、ボヘミア地方で大流行したもので、
質の違う石やしっくいで、滑らかな部分とざらざらした部分のコントラストを出したりして、
だまし絵的効果を持たせるスグラフィート技法と呼ばれるものです。
クルムロフは街全体がこのルネサンス装飾に包まれているといっても過言ではありませんが、
大流行の裏にはお金をかけずに高い視覚効果が得られるという事情もあったようです。
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屋根付き橋 |
第4中庭 |
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第3と第4中庭に面した建物は14Cから19Cに渡って作られた宮殿複合施設となっています。
最近は結婚式を上げるのが流行っているという聖イジー教会チャペル、
赤いバラの紋章が随所に見られるロジェンベルク家のルネサンス様式の部屋、
黄金の馬車が飾られたエッゲンベルクの間、シノワズリーやロココ調のシャヴァルツェンベルク家の客間などを
西端の庭園までの見学が終わった後に1時間ほどかけて見て回りました。
内部撮影は禁止で写真は撮れませんでしたが、支配者の変遷をたどりながら、
宮殿生活の一端を垣間見るのは興味深いものがありました。
石造りの建物の保温用の大きなタペストリーや陶器製のストーブ(熱源はホカロンの原理に似た、
鉄の酸化を利用するというエコ先取りの仕組みとか・・・?)などが旅仲間の目を引いていたようです。
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第5中庭 |
シュヴァルツェンベルク家の門 |
木製のはね橋から徐々にレンガに置き換えられたという18C後半の斬新なデザインの屋根付き橋を渡って、
第5中庭に出ると、ヴルタヴァ川に沿った美しいクルムロフの景観が広がっていました。
庭園へ通じる門の紋章は今やお馴染みのカラスとトルコ人のシュヴァルツェンベルク家のものでした。
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1750年代に造られた滝状噴水のまわりを取り囲む11haもあるという庭園は、
バロックからロココ、古典、英国式と様式を変えた後、現在は再び18C後半のロココ調に復元されています。
飛び跳ねているリスを見つけ、カメラを構えたら、数十メートル離れていても警戒の様子でした。
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野外円形劇場 |
ベッラリア夏の宮殿 |
噴水の奥の方に見える不思議な建物が気になり、10時からの宮殿内見学が近付いている中、
急ぎ足で見に行くと、お城の中にあるのが相応しいかどうか今なお激しい論争があるという野外円形劇場でした。
1958年建築の回転ステージを持つ劇場は、確かに庭園の中央線上に違和感のある姿を見せていました。
その前面には1757年に完成したロココ調の夏の宮殿がひっそりと佇んでいました。
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11時過ぎに高台にあるクルムロフ城を出て、旧市街の中心部へ降りて行きました。
ヴルタヴァ川にかかる床屋橋を守るのは金色の5つ星と殉教者印のシュロを付けたヤン・ネポムツキー像です。
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白い町役場の建物 |
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ペスト円柱 |
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町役場やペスト円柱があるクルムロフの街の中心地スヴォルノスティ広場は、
聖ヴァーツラフのお祭りの出店がたくさん並び、大賑わいを見せていました。
2重の屋上破風が特徴的な町役場は古いゴシックの建物をつなげて17Cに議会場として改造されたもので、
チェコとクルムロフ、エッゲンベルク家、シュヴァルツェンベルク家の紋章が壁に描かれています。
広場の周りをかわいいパステルカラーのルネサンス様式の家々が取り囲んでいました。
ヴルタヴァ川の上の旧市街側の見晴らし台からクルムロフ城の眺望を楽しみました。
何とも美しい絵のような景色に、少しばかり荒々しい雲が現実感を添えているようでした。
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12時過ぎからきのこのスープ、ロールキャベツ、アイスクリームのランチをいただきました。
大きなロールキャベツに添えられているのは南ボヘミア名物のクライダと呼ばれるじゃがいもの付け合わせです。
いずれも家庭的でおいしい郷土料理でした。
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