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29 Sept 2009
Bamberg~Würzburg

フランス号は朝6時にバンベルクを出港して、ライン・マイン・ドナウ運河からマイン川に入りましたが、
何百キロという単位で美しい河畔が続いていることには、ただ驚嘆するばかりでした。
石造りの建物に大洪水の記録を刻みながら自然と共存して来た民族の歴史、知恵が詰まった川は、
自然からはるかに遠ざかってしまったコンクリート護岸の川を見慣れた目には奇跡のように映りました。



7時45分から朝の体操がサンデッキで行われ、10℃以下と思われる寒さをものともせず、
3分の1位の方が参加して、熱心に身体をほぐしていました。
混雑解消のため、7班を2つに分け、15分の時間差で始まるビュッフェ・スタイルの朝食は、
この日はゆっくりと8時から始まりました。
長い列が出来るのは、大体いつも、数種類の焼きたてソーセージの前だったようです。
クルーズの終わり頃には添乗員さん達が炊いたおかゆも人気を呼んでいました。

 

地図の真ん中、ブルーの線がドイツを東から西へ524km流れるマイン川です。
クルーズも中盤に入ったこの日は右の山の形をしたオーバーマインの中心地バンベルクから
V字のマインドライエック(3角形のマイン)のヴュルツブルクまで253kmを終日航行します。
その後、マインフィーアエック(4角形のマイン)の街に立ち寄りながら、
ウンターマインのフランクフルトを通って、マインツからライン河へと航行が続きます。

古代ローマ時代以来、重要な水上交通路であったマイン川は、
1879年に鉄道が敷設されてからは水運が低下して行ったそうですが、
一日の移動距離に合わせて約30km毎に造られた中世来の大きな街が今も残っているようです。
因みにクルーズの語源はラテン語の十字架、横切るという意味も持つ‘Crux’で、
それが16Cのオランダの海賊が「獲物を求めて行ったり来たりする」‘Kruisen’となり、
英国でも使われるようになった17Cに‘Cruise’と変化、
船による旅が普及してからは客船による航海をクルーズと呼ぶようになって行ったそうです。



豊かな自然が残るマイン川を下りながら、添乗員歴長く、軽妙な語り口の関西グループのA添乗員さんによる
「ドイツとヨーロッパ キリスト教文明について」というレクチャーが9時半から開催されました。
ヘンリー8世の英国国教会、ルターの宗教改革の陰には女性あり、という裏話?も面白かったのですが、
とりわけ‘腑に落ちた’のは、1990年代初めに東京にイラン人やトルコ人が増えたのは
1989年のベルリンの壁崩壊が原因だったというお話でした。
東ドイツから西ドイツへの人々の移動によって押し出されたイラン人達が向った先が東京であったため、
世界のTV放送の中で、NHKの‘おしん’だけを放映するという親日的なイラン人も
ビザによって入国規制せざるを得ず、日本人がイランへ行く時もビザが必要とされることになったのだそうです。
11月9日に壁崩壊20周年を迎えたドイツをこれから支えていく‘壁を知らない世代’にエールを送りたい所です。




レクチャーの後、オープンした船内ショップで、ユーモラスな逆立ち水兵ベアを買いました。
観光ハイシーズンを終え、本拠地へ帰る途中の品薄なフランス号でしたから、
真ん中の直立ベアは、ディスプレイ用の最後の1匹でした。



11時頃に右岸にブドウ畑が見られるようになりました。
魚釣りの人達と手を振り合ったり、本当にゆったりとのんびりと時間が流れる川の旅です。




1時からの昼食は添乗員さんによる蕎麦前菜が食欲を呼んで?
野菜のキッシュ、チーズ包み豚肉フライ、エッグクリーム(メレンゲ)というラインナップを
「食べすぎよねぇ」と言いつつ完食してしまいました。
美しい景色、美味しく楽しいテーブルと3拍子揃えば、流れるままに・・・・ですね。


旅の前にはゆっくり読書をと目論んでいましたが、外が明るい間は流れる景色が気になって
本に集中することは無理であることが分りました。
対岸へ車を運ぶ筏のようなフェリー、牛や馬の牧場など、変化のある景色は見飽きることがありませんでした。



2時半頃からフランケンワインの主要産地に入ったようで、延々とブドウ畑が続くようになりました。
斜面を縦に植えているブドウの木を見て、横並びに植えた方が降りたり、上がったりする手間が省けて、
作業が楽なのではという意見がありましたが、風、水蒸気、日照などの気象条件には、
縦列の方が向いているのだろうと思われました。少し黄葉を始めた畑もありました。


2時45分からナプキン折り教室が開かれましたが、私は経験則によって、
使わない中に忘れてしまうことが分っていましたので、ちょっと様子を覗くだけにしておきました。



今回のクルーズでは何と62箇所ものロック(閘門)を通過することになっています。
一度位は通過見物をしておこうと、冷たい川風を我慢しながら、水圧に耐えるように観音開きに作られている扉が
ゆっくり開くと共に前方の景色が広がって行く様子を見守りました。



レセプション

合わせて、船内の様子もカメラに収めておきました。
同じ広さのキャビンが2フロア合わせて76室、ほとんど格差のない庶民性?がうれしいフランス号です。



4時からビンゴ大会があり、「リーチ」という声が聞こえ始めた時は、まだまだと思っていたのですが、
最終コーナーを回ったあたりから猛追撃して、何とベスト3に入ってしまいました。




いただいた‘豪華粗品’(ミスタイプではなく、旅行社用語?です)は猫のキャンドル・スタンドでした。
何枚もの外れカードを猫がうれしそうに見下ろしています?



勝った余裕で、ゲームの途中に景色が良さそうな所を通過する時はデッキへ出て写真を撮りました。
ちょうど農作業中のブドウ畑をカメラに納めることも出来ました。



5時20分ごろ通過した大きな街はおそらくシュヴァインフルトだろうと思われます。
川と石橋という取り合わせは何度見ても素敵な景観です。




7時からの夕食はサラダ、七面鳥とピラフ、アイスクリームでした。
フランス号のワインの品揃えはフランス産が中心で、ボルドー、ブルゴーニュ、南仏と気儘な選択でしたが、
この日は七面鳥ということで、アルザスのリースリングにしました。



9時半からグリークラブで鍛えたY添乗員さんの独唱リサイタルがありましたが、
リサイタル前のひと時をMrs.Yさんが大好きなダンスで楽しむ姿が見られました。
Y添乗員さんはオーソレミオ、上を向いて歩こう、イマジン、カタリカタリ、里の秋など多国籍な選曲で、
時にみんなを合唱に誘い込みながら、きれいな声を披露して下さいました。


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