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Nov 4 2006
Engelhartszell〜Passau〜Munich
 
 
朝6時にエンゲルハーツェルを出航、セレナーデ号はオーストリアを後にしてドイツに入りました。
7時40分頃、パッサウの街が前方に見えてきました。
イン川とイルツ川がドナウに合流している三角地点の全貌を視界に入れながら、
ゆっくりとパッサウの街に近付いて行くというのはクルージング旅ならではの醍醐味だと思われました。
 
セレナーデ号とお別れ
車窓に見たパッサウの街 初寒波のドイツ
 

9時過ぎに下船し、8日間のクル−ジングが終りました。
夕方にはまた同じコースを下るツアー客を迎えるセレナーデ号のクルー達は
厖大な量の食料品の搬入におおわらわの様子でした。

パッサウにはハンガリー初代王イシュトバーンの妃ギーゼラが夫の死後、
僧院長として過ごしたニーデルブルク修道院があるそうです。
ギーゼラはバイエルン大公、後の神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の妹にあたるそうで、
ブダペストから始まった旅がゆかりあるパッサウで終った連続性に満足したり、
婚姻によって国の安定、発展を計ったヨーロッパの歴史の複雑さの一片に触れたドナウ旅でもありました。

パッサウの街には立ち寄らず、バスで一路ミュンヘンへ向いました。
3日前からの寒波で雪化粧をした景色を車窓に見ながら、アウトバーンを2時間半余り走って、
お昼前にミュンヘンに到着しました。

 

 
 

バスを降りてミュンヘンの中心、マリエン広場まで行くと、新市庁舎中央部の塔の
仕掛け時計グロッケンシュピールがちょうど12時の時を知らせていました。
この仕掛け時計はバイエルン大公ヴィルヘルム5世とロレーヌ公女レナーテの結婚式を再現したもので、
32個の等身大の人形が踊っているそうです。
底冷えのする日でしたが、大勢の観光客が立ち止まって、仕掛け時計を楽しんでいました。

この新市庁舎は1867年〜1909年に建てられたネオゴシック様式の建物ですが、
近くにある15世紀の旧市庁舎は第2次世界大戦の折、大半が破壊、1975年に改装して玩具博物館として
使用しているそうで、新しい建物の方が旧市庁舎であるという理由が分かりました。 

 

 
 
マリエン広場近くのレストランで昼食を取った後、マキシミリアン1世像の立つマックス・ヨーゼフ広場まで歩き、
バイエルン州立歌劇場やバイエルン王家の宮殿であったレジデンツの写真を撮りました。
ここで再会したもう一つの12日グループの人達は、
これからアムステルダムかミラノへ行き、明日帰国の途につくことになります。
この広場からバスに乗り、車窓観光をしながら、アルテ・ピナコテークへ向いました。
 
 
アルテ・ピナコテークはバイエルン王家ヴィッテルスバッハ家の16世紀以来のコレクションを
所蔵する国立美術館です。
ピナコテークというのは古代ローマの建築家ウィトルウィウスの著書からとった‘美術品の所蔵所’という
ギリシア語だそうで、近代美術館ノイエ・ピナコテークが開館してからは、
こちらはアルテ(古い)・ピナコテークと呼ばれるようになっています。

ルネッサンス様式で1826年に着工、1836年に落成したアルテ・ピナコテークは、
第2次世界大戦で多大な被害を受け、4年にわたる修復工事の後、1957年に再公開されたそうですが、
創設当時の面影をとどめている部分はかなり少ないようです。
民主的な開放性のシンボルと評価されている装飾のない広い階段が印象的でした。
 

 


ダヴィット 「三賢王の礼拝」


メムリンク 「薔薇園の聖母」
デューラー 「4人の使徒」
館内はドイツ、イタリア、オランダ、フランドル、スペイン、フランスの名作の数々を国別に展示してありましたが、
とりわけデューラー、ルーベンスのコレクションの充実で有名な美術館でした。
ラファエロ、ボッティチェルリ、レンブラント、エルグレコなどお馴染みの巨匠達にも出会うことが出来ましたが、
ある筈のレオナルド・ダヴィンチの作品が見つからなかったのは残念でした。
宗教画が多い中で、ムリーリョが描いた少年たちの風俗画に印象深さを感じながら、美術館を後にしました。
写真は「撮影は出来ません。」と言われる前に撮ってしまったものです。
 

 
プリンツ・カール宮 フォルクスバート
バイエルン州議会の建物 「マキシミリアノイム」
 

1992年に1泊だけしたことのあるミュンヘンですが、車窓に見る街は全く初めてのような印象を受け、
現在はバイエルン政府のレセプション用として使われているプリンツ・カール宮、
以前は共同浴場だったフォルクス・バートと呼ぶ温水プールなどの建物を、
ガイドさんの案内を聞きながらバスの中からカメラに収めました。

マキシミリアン2世によって建てられたネオ・ゴシック、ルネッサンス様式の建物マキシミリアノイムは、
1949年よりバイエルン州議会の会議場として使われているそうです。
バスを降り、マキシミリアン様式と呼ばれる建物のファサードの写真撮影タイムが取られました。
側を流れるイザール川の 秋景色が良い趣きを見せていました。

 

 
ケンピンスキー・フィーア・ヤーレスツァイテン・ホテル
 
4時半頃、ケンピンスキー・ホテルに到着しました。
かってはバイエルン王家の迎賓館、1993年には天皇・皇后両陛下も宿泊されたというホテルは、
入るとすぐにきらびやかなラウンジが広がっていました。

私達の部屋は数あるランクの中の、さしずめツーリスト・クラスといったあたりでしょうか、
充分ではありましたが、豪勢という程ではありませんでした。
 

 
 
ホテル内レストランでのハーブ・クリームスープとタラのメイン・ディッシュ、チョコレート・ムースのデザートの夕食は
サービスや盛り付け、味すべてにトップクラス・ホテルの格式を感じるものでした。
 

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