12世紀から20世紀初めまでバイエルンを統治したヴィッテルスバッハ家の学問や芸術をこよなく愛した君主達に
よって建設された建築物や収集した美術品であふれたミュンヘンはイザール河畔のアテネとも呼ばれるそうです。
ドナウ河支流イザール川の橋の上にマキシミリアン2世像が立っていました。
通りの中程にはマキシミリアン2世のミュンヘン美化構想に基づくマキシミリアン様式で建てられた
オーバーバイエルン議事堂や民族学博物館があり、帰って来てから分かったことですが、
この博物館にはシーボルト寄贈の日本の展示品もあるようです。
ケンピンスキー・ホテルの向い側はエルメスとカルティエ、この辺りからマックス・ヨーゼフ広場に向って
名だたるブランド店が軒を連ねていて、ミュンヘンで最も地価が高い通りであるということが納得出来ます。
|